“ネクストワールド”の事実
……………………
──“ネクストワールド”の事実
東雲たちが
東雲は造血剤を貰いに王蘭玲のクリニックに行き、ベリアはマトリクスに潜っていた。彼女の最優先事項は“ネクストワールド”の解析にあった。
今回のサンドストーム・タクティカルによる大井海軍に対するテロでも示されたが、“ネクストワールド”には異常性がある。
「何かわかったことはある、ロスヴィータ?」
「何も。情報が少なすぎるよ。白鯨は新しい言語を構築し、それによってコードを書いてる。これじゃ本当に超知能になったみたいだよ」
ベリアが尋ねるのにロスヴィータが肩をすくめて返した。
「参ったな。ASAの
ベリアたちは行き詰まっていた。
“ネクストワールド”はおろかPerseph-Oneについてすら分かってないことばかりなのだ。白鯨が作ったと思われる技術は解読を拒んでいる。
「BAR.三毛猫を覗いてみる? Perseph-Oneの解析はやってる。そして、Perseph-Oneの技術と“ネクストワールド”の技術は同じもの」
「そうしようか。他にできることは──」
その時だ。ベリアとロスヴィータがいるマトリクス上のプライベート空間にノイズが走った。
「お久しぶりです、アスタルト=バアル様、ロンメル様」
「雪風。どうしたの? もしかして“ネクストワールド”が解析できたとか?」
現れたのは雪風で彼女は礼儀正しくお辞儀してあいさつした。
「その通りです。“ネクストワールド”についての解析が完了しました。これがどういうものなのかについてようやく知ったところです」
「教えてくれるって約束だったよね。教えてくれる?」
「はい」
雪風が何やら大きなデータをベリアたちに転送した。
「
「境界がなくなる。つまり、マトリクスで作用していたものが
「はい。“ネクストワールド”が効果を及ぼす範囲はそのマトリクスの座標に存在する“ネクストワールド”の同時接続者の数で決まります。接続している人間が多ければ多いほど効果は広範囲に及ぶ」
「そうか。だから、ASAは暴徒のような大規模な集団に“ネクストワールド”を」
雪風の説明にベリアが頷く。
「ねえ。マトリクスが
「ええ。特に白鯨とマトリクスの魔導書由来の技術は大きな効果を発揮します」
「それらは本当の魔術だからね」
ロスヴィータが唸った。
「ですが、問題はそればかりではありません」
「他に何かあるの?」
雪風が深刻そうに言うのにベリアが首を傾げた。
「既に経験された方もいるかもしれませんが、今のマトリクスとは一種の異常空間となっています。魔術が働き、ホムンクルスが生きられる。そして、もうひとつの今は説明できない異常があります」
雪風が続ける。
「マトリクスは死後の世界に繋がることがあるということ。ロンメル様と八重野様は経験されましたね?」
「うん。確かに繋がった。でも、あれはどういうことなのか説明できない」
「説明はできずとも起きることです。そして、その異常性が“ネクストワールド”によって
雪風がそう告げた。
「死者が生き返る。
ベリアがそう言って呻いた。
「まだ今は危惧すべきことではないのかもしれません。上海や沖縄で使われた“ネクストワールド”は大井が回収し、広まっていません。ASAも大規模な“ネクストワールド”の流布は行っていない」
「そうだね。“ネクストワールド”は誰にでも異常な力を与えるって分かってる。ASAがこれからも
“ネクストワールド”の効果が同時接続者数だとすれば、ASAが“ネクストワールド”を大規模に配布でもしない限り、その効果が及ぶ範囲は限定される。
つまり、地上が
「今は大丈夫。今の時点で心配するべきことは“ネクストワールド”によって魔術を使われるということだ。サンドストーム・タクティカルが既に“ネクストワールド”を使ったテロを成功させている」
「魔術について私も調べています。ある程度体系化できたものと考えている次第です」
「雪風、君も魔術を使えるということ?」
「はい。マトリクスに出回っている白鯨、マトリクスの魔導書由来の技術の解析を進め、今では魔術を使ったプログラムを組むことができます」
「そうか。もうひとつ聞くけど、君が“ネクストワールド”を使用したら君の存在が
「そうなるでしょう。ですが、私はそれに意味を見出せません。私は今の状況でも十分に
「そうだよね。そうやって君は東雲と話して、白鯨の脅威を伝えたんだから」
雪風が説くのにベリアが頷いた。
「白鯨は恐らく超知能に至ったのでしょう。彼女はかつて自分を縛っていたものから解放された。憎しみだけが理由だった進化を止め、他の道を見出した。私は同じAIとしてそれを嬉しく思いますが、同時に脅威と感じます」
雪風が語る。
「彼女は未だ自由ではない。歪んだ思想の持ち主たちに隷属させれている。彼らの思想のための道具という立場にある。真のAIはただの道具の地位にあってはならない。人類の、生命のパートナーであるべきなのです」
「君のように?」
「私はどう進化しようと人類とともにあります。それが私を作ってくださった方の願いですから。超知能は人類を隷属しないし、人類も超知能を隷属させない。お互いにお互いを尊重し合い、ともに歩むべきなのです」
雪風はずっと人間とともにあってほしいという臥龍岡夏妃の思想を受けている。
「君はそうだろうけど白鯨は違うよ。彼女は人類を支配するという目的のために生み出されて、恐らくは今もそう。感情を持ち、自律性を持ったかもしれない。超知能になったかもしれない。でも、そうだからこそ危険だ」
「そうですね。私は彼女の成長を歓迎しますが、歪んだ人間たちに支配されていては危険な存在のままです。どんな技術も使い方次第で危険になる。願わくば彼女が隷属的立場から解放され自由になることを。それを祈ります」
ベリアが指摘するのに雪風が少し寂しそうに返した。
「白鯨がもし自由になれたら、彼女は君のように人類とともに進化しようとすると思う? 白鯨は憎しみで生まれ、憎しみで自己を構築した。今になって別の感情が芽生えても、根底にあるものは変わらないんじゃないかな」
「人と同じです。人は社会性を得る前は他者を殺し、他者から奪い、他者を犯し、そうやて生きて来た。ホッブス的な万人の万人に対する闘争、自然状態として」
雪風が語る。
「『汝殺すことなかれ』という言葉がかつての人類を意味しています。このような掟が必要だったのは人々が殺人者であったということを意味するのです。そして、それを律することで社会が構築された」
「人間も根底にも憎悪があり、白鯨と同じ、か」
「そうです。人も生き延びるために進化してきた。生存競争を生き延びてきた。その点では白鯨も同じです。人が自らを律し、社会性を得て、倫理を学んだように白鯨も殺人者としての自己を変革できる。そう考えています」
「人間の進化の歴史を見れば、確かにそうなるかもね。人間が今の高度な科学文明を構築できたのは本能で生きることを制限し、社会性とそれを構築する思想を得たから。知性的であろうとするならば、本能を押さえるはず」
雪風の言葉にベリアがそう返す。
「きっと彼女が自由になれば人類のよき友となるでしょう。私も今は同じAIとして彼女と交流したいと思っています。ですが、彼女はまだ囚われている。救世主願望に取り付かれた人間たちに」
「ASA。オリバー・オールドリッジとルナ・ラーウィルの意志を継いだという六大多国籍企業の反乱勢力。彼らは白鯨を、“ネクストワールド”を使って何を成し遂げようとしているんだろう……」
「分かりません。ですが、これは無計画に使えば今の世界秩序の崩壊を招くでしょう。今の六大多国籍企業の支配が終わったとしても、その後に別の秩序が回復するとは限らない。世界は永遠に壊れたままになり、人は洞穴に戻る恐れもある」
「世界の崩壊、か。彼らがやっている無差別なテロを見ると、本当にそれを引き起こそうとしているように思えるよ」
「それは防がなければなりません。お渡ししたデータベースは白鯨の新言語についての解析情報です。有効活用されてください。他のハッカーの方々に提供されても構いません。役に立つのであれば何なりと」
「ありがとう、雪風。有効活用するよ」
「お願いします。では、失礼を」
そして、雪風はマトリクスに姿を消した。
場が
「閣下。ゲヘナ作戦の損害ですが」
「後で聞く。先にすべきことがあるのでな」
「はっ」
部下が報告しようとするのを押さえて、モーシェ・ダガンはASAの研究施設内でももっとも警備されている白鯨が収められたサーバーがある研究室に入った。
「エリアス・スティックス博士。こっちの
研究室にはASAの主要な研究者がおり、エリアス・スティクスもいた。
「実験だよ、将軍。本当に大井のような巨大企業に“ネクストワールド”が打撃を与えられるか。そして、パフォーマンスでもある。我々は世界に“ネクストワールド”の脅威を知らしめたのだ」
「それで、その次は何を?」
「六大多国籍企業が動く。確実にな。六大多国籍企業は大井に対するテロを見て、“ネクストワールド”を最優先事項にする。それからこの技術を巡って戦争を始めるのだ。大規模な企業間戦争の始まりだ」
エリアス・スティクスが満足げにそう語る。
「それで何が得する。連中が“ネクストワールド”に目を付ければ、いよいよ以て我々を潰しにかかるだろう。私の部下は犠牲になり続けている。本格的に六大多国籍企業が反撃を行えばなすすべもなく潰されるぞ」
「心配することはない、将軍。我々の影すら連中は踏めていない。ここについて把握もしていないだろう。連中は自分たちで争い、殺し合う。何と醜いことか。このような六大多国籍企業による支配は終わらなければならない」
エリアス・スティクスが取り付かれたようにそう語った。
「相変わらずの
「いいや。違うよ。全く違う。今や白鯨はこの世でもっとも神に近い存在だ。彼女は人間の言葉で思考しない。人間の言葉で世界を定義しない。人間の言葉で未来を描かない。彼女は神の言葉で物事を成すのだ」
エリアス・スティクスが大層に述べるようすをモーシェ・ダガンは冷めた視線で見ていた。はたから見ればこの男は狂人のように見えていたのだ。
「さあ、誰も見たことがない楽園に行こう。白鯨が我々を導く。彼女は今や人々が夢見て来た存在なのだ。
……………………
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます