上海遊戯//中華電子空間

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 ──上海遊戯//中華電子空間



 ベリアとロスヴィータは東雲たちの仕事ビズのために上海について調べることにした。いつものようにBAR.三毛猫にログインする。


「上海の暴動についてトピックが立ってるや。Perseph-Oneの解析トピックに入り浸ってから知らなかった」


「“上海暴動を観察するトピック”ね。覗いてみる?」


「そうしよう」


 ロスヴィータとベリアがトピックに顔を出し、ログを見る。


「だから、上海で働いている低所得層はほとんどが上海の外から来たかつての農村出身の人間なんだよ。上海で会社が用意した独房みたいな部屋で寝泊まりして、一日13時間労働してる。なのに給料は雀の涙」


「それはどこでも同じことだろ? TMCやニューヨーク、ロンドンなどの主要経済都市の格差はクソみたいに広がっている。使われるのは半ば人権がない移民や不法入国者」


「移民や不法入国者って分かってるじゃないか。上海は違う。中国人が同じ中国人を奴隷みたいに使ってるんだ。前は人民の平等がどうのこうのって言って、なんだかんだで同じ扱いだったのに」


「共産党の戯言だろ。前々から地方と都市部の格差は大なり小なりあった」


 今現在の上海の経済格差について一通り議論が進む。


「本当に労働者が自発的に起こした暴動だと思うか? 俺は中国中央政府が絡んでるんじゃないかって思ってる。北京政権は上海政権をいいようには思っていないはずだ」


「ないない。上海自由地区は中国共産党と人民解放軍のお偉方が西側の経済制裁を逃れて安定して資産を運営できる場所なんだ。言いたいことは分かるぜ。『香港で自由化が起きたとき北京政権はそれを叩き潰した』だろ?」


「そうだよ。第三次世界大戦前夜の香港で自由化を求めるデモが起きたとき、北京政権は徹底的に弾圧した。今回もそうじゃないのか? 台湾独立を承認したとは言えど、北京政権のモットーは今もひとつの中国だ」


「状況が違う。北京政権が世界を相手に戦争を始めて、共産党や人民解放軍幹部が外国に持っていた資産は全て凍結の上、接収された。そして、世界的な中国製品の不買運動とゼータ・ツー・インフルエンザパンデミック」


 列席しているアバターのひとりがそう言う。


「繁栄を誇った中国経済はズタボロ。追い打ちをかけるように中国内陸部でテロリストが暴れ出し、トドメはネクログレイ・ウィルスのパンデミック。中国が第三次世界大戦中に何人の餓死者を出したと思う?」


「それでいて第三次世界大戦後の復興のためには金が必要だった。だから、経済制裁が続く北京政権から上海、マカオ、香港が自治権を得て、北京と距離を置くことで西側からの資産の流れを誘導した、と」


「中華連邦は連邦負担費ってものがある。それが絡繰りだ。上海、マカオ、香港は自由と引き換えにせっせと北京政権に金を送ってる。それをわざわざ止めようと思うか?」


「そう考えると北京政権の介入はなさそうだな。では、久しぶりの中国における自発的な市民運動ってわけか? いつもの官製デモじゃなくて」


「だろうな。上海政権はそこまで市民を監視してないし、抑圧してもいない。上海政権の上海都市警察はほとんどただのお巡りさんだ。公安組織が存在しない。そいつは大井統合安全保障がかつての北京政権の人間を雇ってやってる」


「わお。それなら上海の人間は北京政権が懐かしくなるだろうな。大井統合安全保障の公安部門はろくでもない人間だらけって話だ。日本情報軍だったり、連邦捜査局FBIの国家公安部だったり」


 大井統合安全保障は上海政権から業務委託を受けている。


「しかし、その大井統合安全保障は何してんだ? 暴動をさっさと鎮圧しないと進出している企業はもちろん上海政権からも文句が来るだろ」


「さてね。現地で妙な噂が飛び交ってるんだよ。例のASAが開発したアイスブレイカー。そいつが暴徒に出回っているって。しかも、暴徒はそれをマトリクスではなく、現実リアルで使ってる、と」


「はあ? アイスブレイカーが現実リアルでどう役に立つってんだよ? そりゃあ噂のPerseph-Oneなら大井統合安全保障の構造物に仕掛けランをやってどうこうできるだろうけど」


「現地のハッカーどもが話してるんだよ。『Perseph-Oneって奴が現実リアルに影響しててマジでヤバイ』って。向こうに現地の企業で管理者シスオペやらサイバーセキュリティやらやってる連中が声を揃えてな」


「訳が分からねえ。どうなってんだ?」


 トピックはそれから上海にいる友人、知人、仕事仲間を頼って現地の情報を集める方向に向かっていった。


「どうやら上海で何か奇妙なことが起きてるってのは東雲が言った通りらしいね。しかし、Perseph-Oneが現実リアルで影響を与えているって……」


「もしかして、Perseph-Oneの魔術で出来たコードが偶然現実リアルで動作した、とか? あれだって本来は現実リアルで動くことを想定した魔術でできてるんだから、あり得なくはないと思わない?」


 ベリアが考え込むのにロスヴィータがそう言った。


「けど、この世界の人間は魔術の素質がないし、精霊は弱り切ってる。仮に現実リアルで動くコードだとしても誰も使えないよ」


「そうなんだよねえ。何故かマトリクスだけがその例外なだけで、現実リアルでファンタジーなのは東雲と“月光”と君ぐらいじゃない?」


「長年地球に住んでて忘れちゃった? エルフも十分ファンタジーだよ」


「そうだった」


 ベリアが笑って指摘するのにロスヴィータが後頭部を掻いた。


「さて、BAR.三毛猫の方のトピックは特に話題もなくなった。みんな困惑しきってるだけだ。ここは直接上海のマトリクスに飛ぶしかないね」


「中国政府──中華連邦政府は自分たちの政治的影響圏を守るためのアイスのネットワークをマトリクスに展開してる。NA情報I保全S協定Pの中国版」


「それを突破しないといけないか。それについての情報は?」


中華C電子C空間S共同C保安S構造S。こいつが中国のマトリクスで他国のハッカーが暴れないようにしてる。構造はほぼ北米情報保全協定と同じ。技術窃盗したって話もあるぐらい」


「私たちは北米情報保全協定をぶちのめしてる。やれるよ」


「オーケー。じゃあ、仕掛けランの時間だ!」


 ベリアとロスヴィータが上海のマトリクスに向かう。


「あのアイスが中華電子空間共同保全構造だよ。アイスブレイカーの準備はいいかい? 北米情報保全協定と違ってこいつはブラックアイスを使用していて、これまで何人ものハッカーの脳を焼き切ってる」


「中国は容赦なくブラックアイスを使うっていうけど本当みたいだ。だけど、大丈夫」


 ベリアがそう言ってアイスブレイカーを準備した。


「ジャバウォック、バンダースナッチ。ぶち抜くよ。君たちならできる。やって!」


「了解なのだ!」


 ジャバウォックとバンダースナッチのコンビが中華電子空間共同保全構造に向けて仕掛けランを始める。


 瞬時に二重の限定AIによるアイスを無力化し、そのままアイスを貫いていき、最後に残るブラックアイスに仕掛けランをやった。


「やったのにゃ! 無力化できたのにゃ!」


「上出来。いい子だ」


 ベリアとロスヴィータが管理者シスオペAIが探知する前に上海のマトリクスに向けてジャンプした。


「ここが上海。いくつもの企業構造物が並んでる。軍の構造物はあるけどそこまで大きくないし、アイスも脆弱。だけど、その代わり大井統合安全保障のびっくりするほど大きな構造物がある」


「それも凄いトラフィック量だよ。上海が大混乱ってことだけは確かだね」


 大井統合安全保障上海事業部の高度軍用アイスに守られた構造物から高い頻度で大量のトラフィックが観測できた。こういう状況は大井統合安全保障が動いている、それも大規模に動いている証拠だ。


「大井統合安全保障から盗み聞きするのは難しそうだけど、上海都市警察と上海自治軍の構造物ならやれそう。これ、凄い貧相なアイスだよ。高校生でもハックできそうなぐらい」


「オーケー。ここから現地の情報を探ろう。アイスを砕くよ」


 ベリアたちが現地の警察組織である上海都市警察と対テロ作戦などの準軍事作戦を担う上海自治軍の構造物に対して仕掛けランを始めた。


 貧弱なアイスは最初から存在しなかったかのように砕かれ、ベリアたちは構造物の内部に忍び込んだ。。


「出動状況はほぼ全作戦要員が出撃中だって。装備も装甲車や軽装攻撃ヘリが出てる。上海都市警察も上海自治軍もアーマードスーツすら持ってないのかな」


「上海は確かに大きな経済都市だけど軍隊を養えるほどの人口も余剰の予算もない。全て経済インフラの整備に回されるし、北京にも送金しないといけないし。そもそも何かあれば大井統合安全保障が対処するはずなんだ」


 ロスヴィータが構造物の中を見渡して言うのにベリアがそう指摘した。


「出動している部隊のC4Iをハックして状況を把握しよう。やるよ」


「はいはい。こっちは上海自治軍のC4Iを盗聴する」


 ベリアが上海都市警察、ロスヴィータが上海自治軍のC4Iをハックし、交信されている通信内容を盗聴し始める。


『オレンジ・ゼロ・ワンより本部HQ! 」これより最終防衛ラインまで撤退する! 暴徒からの攻撃が激しく、現有の装備では足止めにもならない! クソ、自治軍の部隊を回してくれ!』


本部HQより展開中の全都市警察部隊へ。現在自治軍と大井統合安全保障の重武装部隊が展開準備中。可能な限り、指定された区画を維持せよ。撤退は許可できない。繰り返す、撤退は許可できない』


『クソッタレ! 俺たちに死ねっていうのか!?』


『ホワイト・ゼロ・ワンより展開中の部隊へ! どこか弾薬の余剰があるところはないか! こちらは間もなく弾が切れる! どうか支援してほしい! 聞こえていたら、応答してくれ!』


『おい! 装甲車が吹っ飛んだぞ!? イエロー・ゼロ・スリー! 無事か!? 生きていたら通信を寄越せ! 他の装甲車を下がらせろ! 同じ目に遭うぞ!』


『──無力化ガスを使用した。クソ、統一ロシアの連中が言っていた話と違うぞ。何が相手を眠らせるだ。あれは死んでる! ガスを受けた連中が死んでる! 使用を中止しろ! おい、どこの部隊だ! 誰がまた使用した!?』


 上海都市警察のC4Iはまるで戦場のような内容の通信は無数に飛び交い、現場が大混乱を起こしていることが窺えた。


「わお。大混乱だ。上海都市警察の装備は暴動鎮圧用の民間のバスを装甲化した軽装装甲車と放水車。それから自動小銃と短機関銃、狙撃銃、グレネードランチャー、拳銃。この程度か。アーマードスーツどころか強化外骨格エグゾすらない」


 ベリアが展開中の上海都市警察の状況を見ながらつぶやく。


「けど、相手は出稼ぎ労働者でしかなく、彼らの武装はせいぜい火炎瓶か投石ぐらいしかないはず。それなら十分この装備と人員で鎮圧できると思うけどな。やっぱり、東雲が言ったように魔術か……」


 ベリアがそう言いながら上海都市警察の通信の中に魔術に関する言及がないかを検索エージェントを使って探る。


『ワイヤレスサイバーデッキを所有した人間を最優先で排除しろ。狙撃手に厳命。ワイヤレスサイバーデッキを装備した人間は仙術を使うぞ』


『畜生、また装甲車がやられた。邪仙どもめ。あの位置に催涙弾をありったけ叩き込め! 邪仙が混じってる!』


 上海都市警察の通信におよそ理性的であるべきの警察にあるまじき単語が流れていた。それもいくつもの部隊がまるで同じ現象に出くわしたかのように、同じ表現を使って通信を行っている。


「ロスヴィータ。そっちで邪仙って単語が流れてないか確認して」


「確認してるよ。そっちにも同じ単語が?」


「みたい。ワイヤレスサイバーデッキを装備した人間をそう呼んでる」


「邪仙、か。中国の道教における仙人の中でも道に外れた悪い仙人って奴? ボクの検索エージェントじゃ日本のシューティングゲームのキャラしか引っかからないけど」


 ベリアが言うのにロスヴィータが大昔の同人ゲームの情報を見て肩をすくめた。


「仙人。ある意味ではこれも魔術師の部類だね。そして、上海は今その仙人について警察や軍が公式用語のようにその単語を使っている。間違いなく、ASAは何かをやった。彼ら以外に考えられる組織はない」


「ASAがPerseph-Oneの次は魔術を現実リアルで使えるようにした?」


「考えられるのは──」


 ベリアが告げる。


「白鯨のマリーゴールド」


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