白鯨のレガシー

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 ──白鯨のレガシー



 東雲たちは無事にニューメキシコ州からTMCに帰還した。


「早速呼び出しだ。セクター4/2に来いだとさ」


「俺たちも一緒に行った方がいいか?」


「いいや。ベリアがいてくれればそれでいい」


「じゃあ、俺たちはセクター9/1のビジネスホテルにいるから終わったら知らせてくれ」


「あいよ」


 成田国際航空宇宙港で東雲とベリアは呉たちと別れた。


 そして、東雲とベリアは電車でセクター4/2に向かう。


「ようやく来たか」


 ジェーン・ドウはそう言うと東雲とベリアをスキャンしたのち個室に連れて行った。


お土産パッケージは?」


「手に入れた。これだよ」


 ジェーン・ドウの端末にベリアがPerseph-Oneと思われるアイスブレイカーを送信した。ジェーン・ドウがそれを受け取る。


「ご苦労。解析は?」


「やっていいの?」


「好きにしろ。どうせ許可を取らなくてもやるんだろ」


「まあ、それはハッカーだからね」


「全く、ハッカーって人種は」


 ベリアが小さく笑うのにジェーン・ドウが呆れていた。


「このクソッタレなアイスブレイカーに何が仕組まれているかを解明する。解析したら報告しろ。解析データにも報酬を出してやる」


「本当に? 六大多国籍企業ヘックスで独占するつもりじゃないの?」


「馬鹿言え。ここまでばら撒かれた後で独占なんてできるか。覆水盆に返らずって奴だ。あのアメリカの馬鹿な白人至上主義者の仕掛けランの後でマトリクスのあちこちでPerseph-Oneの仕掛けランを確認している」


「他にも出回ってるってこと?」


「そうだよ。マトリクスに潜って調べてみろ。六大多国籍企業も軍も政府も被害を出してる。大混乱だ。ASAの連中は大胆になったらしい」


 ジェーン・ドウが忌々し気にそう語る。


「じゃあ、遠慮なく構造解析させてもらうし、マトリクスのハッカー仲間にも披露するけどいいんだね?」


「結果を寄越せばな。皮肉なことだが六大多国籍企業の方は理性的過ぎて白鯨やらなにやらのオカルト現象が理解できてない。型通りにやろうとして失敗してる。アングラのハッカーならその点は問題ないだろう」


「へえ。六大多国籍企業も白鯨やマトリクスの魔導書の件でその手の技術に手を伸ばしてるとばかり思ってたけど」


「申請書に“魔術やホムンクルスについて研究したいので予算をください”って書けると思ってるのか? そんなことをすれば精神不調やら何やらでクビにされるだろ」


「まあ、科学者からすると敗北を宣言するようなものだね。それにオカルトってのが胡散臭いってのは変わらない。だから、AオルタナティブSサイエンスアソシエーションAもオカルトではなく、代替科学と名乗ってる」


「代替科学っての随分と胡散臭いがな。まともな人間からすればオカルトと変わらん。だが、今やそのオカルトが幅を利かせている。ちょっと前なら信じられない話だ。呪いやらホムンクルスやら」


 ベリアが指摘するのにジェーン・ドウが吐き捨てるようにそう言った。


「アングラのハッカーどもは白鯨の解析もやっていると聞く。六大多国籍企業のIT事業部も解析を行って、法則性や根柢のあるものを探っているが型通りのやり方では時間がかかりすぎる」


「だから、アングラのハッカーも利用するってこと?」


「そうだ。リソースの有効活用だ。いいか、六大多国籍企業は通信インフラを整備しているのは別にハッカーどもを楽しませるためじゃない。そこから何か副産物が生まれるのを期待してのことだ」


「はいはい。分かりました。それでは遠慮なくやらせてもらうよ」


「そうしろ。それから報酬だ。ひとり40万新円。HOWTechの連中には俺様から送っておく。お前はエルフ女とちびのサイバーサムライに渡しておけ」


「了解」


 ベリアはジェーン・ドウから報酬がチャージされたチップを受け取り、東雲とともに喫茶店を出て、電車に乗った。


「なあ、どう思う? ジェーン・ドウは探し求めたPerseph-Oneを他の連中に見せてもいいって言ってるんだろ? 本気だと思うか?」


「多分、本気だよ。確かに六大多国籍企業には研究を行うためのリソースは存分にあると思う。だけど、ジェーン・ドウが説明したように、それを呪いやホムンクルスの研究に充てるというのは相当な説得が必要になる」


「そりゃあ今まで数学や情報通信科学について大金払って大学で学んで、それでキャリアを積み重なて来た白衣のお偉いさんたちが、急に黒いローブに三角帽子を被って『やあ、みんな! これから魔術について研究しよう』って言えば」


「正気を疑われる。そう言う意味では六大多国籍企業の動きが遅いのは分かる。例外はメティス。あの連中もPerseph-Oneを狙っていたし、連中は白鯨を何度も利用してきた。恐らくメティスだけは例外」


「事実として魔術がマトリクスで作用するなら研究してもおかしくはないと思うけどな。だって、魂が人間に宿るってことすら今の科学は証明してるんだぜ?」


「科学者たちは魂とは呼んでない。シジウィック発火現象ないし凝集性エネルギーフィールドと呼んでる。それにこれは既存の科学の延長で発見されたことだよ。脳神経科学が行きついた末に突き止めた」


「あくまで科学ですってか。けど、魔術だって解析を進めれば結局は数学、物理学、生物医学、情報通信科学といった科学に行きつくんじゃないか? だって、マトリクスなんて科学の象徴で動くんだろ?」


「それはそうだけど。魔術って地球に基盤がないものだからね。異世界からの輸入品。既存の科学で証明するのは大変なんだよ。室町時代に英語で書かれたシェイクスピアの作品を見せたって何がなんだかわからないように」


 英語を理解するための基盤もないし、シェイクスピア作品の舞台となる欧州の歴史も分からないとベリアが肩をすくめる。


「完全な異文化ってことか。オカルトとしてしか扱えない代物」


「そういうこと。宇宙人がどうのこうのと同レベルの存在でしかない。もちろん、ロズウェルのリトルグレイと違って白鯨は誰もがその存在を確認したけど」


「六大多国籍企業はのろのろと魔術について解析してるってところか?」


「そんなところでしょ」


 そんな話をしていたら電車はセクター13/6に到着して、東雲たちは電車を降りて自宅に向けて歩いた。


「ただいま」


「お帰り、東雲、ベリア。で、ジェーン・ドウからお小遣いは貰えた?」


「貰ったよ。ベリアからあんたの分を受け取ってくれ、ロスヴィータ」


 自宅に帰るとダイニングにいたロスヴィータがふたりを出迎える。


「解析の方はどう?」


「白鯨由来の技術と仮定して解析してるけどノイズがある。けど、概ね白鯨由来の技術と見て間違いないと思うよ。これで謎が解けたね」


「Perseph-Oneを手に入れたハッカーが白鯨に行きついた理由、か」


 ロスヴィータが言うのにベリアが顎に手を置いた。


「ジェーン・ドウからマトリクスでPerseph-Oneを公開してもいいって許可を得た。こういう作業は大勢でやった方がいい。BAR.三毛猫辺りで公開して知恵を借りよう」


「ジェーン・ドウが許可したの?」


「私たちがアルバカーキでドンパチやってる間に情勢が動いたってさ」


 ロスヴィータが驚くのにベリアがそう返した。


「へえ。知らなかった。それじゃあ、遠慮なく配布させてもらおう。ジェーン・ドウは他に何か言っていた?」


「解析データにも報酬を払うって」


「ボクたちがもうお金に困ってないこと知らないわけじゃないよね?」


「お金はいくらあっても困るものじゃないし」


 ロスヴィータが訝しむのにベリアは軽くそう返した。


「早速、仕事ビズを始めよう。東雲、夕食は適当にテイクアウト買っといて」


「あいよ。俺はマトリクスのことは分からんから任せるぞ」


 東雲はそう言って王蘭玲のクリニックで造血剤を貰いに行くついでに夕食の買い出しに出かけて行った。


 そして、ベリアたちはマトリクスにダイブする。


「さて、構造解析の進捗状況を見よう」


「ボクがBAR.三毛猫で手に入れたSorcerer-CSをベースに組んだ限定AIで解析を進めてる。Sorcerer-CSは白鯨の技術──というか、異世界の魔術を解析するためのものだから、かなり効果はあったよ」


「確かに白鯨の技術だ。だけど、ノイズがあるね。Sorcerer-CSで解析できない白鯨に由来しないコード。けど、どこかで見たことがあるような」


「コードのパターンをマトリクスで探してみた。ヒットしたのはこれ。過去に使用されたアイスブレイカーで、使ったのはなんとマトリクスの魔導書──ヘレナ!」


「マトリクスの魔導書由来の技術ってこと?」


「ASAにはアトランティス・バイオテックとアトランティス・サイバーソリューションズにおけるマトリクスの魔導書派閥が合流してる。彼らが技術提供をした可能性は少なくないよ」


「白鯨とマトリクスの魔導書のコードは混ざらないって話だったんだけどな。全然別物だから日本語の小説にタガログ語が混ざってくらい意味をなさない。そのはずだった。だけど、ASAはふたつの技術を融合させた」


「言語は違っても同じ作品ってわけか。私たちの知っている魔術もヘレナの血に埋め込まれた魔術も、どちらも魔術という観点から見れば同じ。だけど、そのためにはどちらの魔術においても基盤となる知識の蓄積がないと」


「後、全てのノイズのパターンがマトリクスの魔導書由来でもないんだ。全く新しい言語としか言いようがないものが使われている。嫌な予感がしない?」


「彼らは魔術の基盤となる知識を得て、新しい学派を開いたとでも言いたいの?」


「現状、そうとしか言いようがないと思うよ。彼らは既存の技術を解析することで魔術を理解する段階を終えて、次に自分たちで独自の魔術言語を生み出している」


「技術が進むのが早すぎる。これまでこの世界には魔術なんてものは一切なかったのに。それが学派を開くほどの理解をどうやって」


「思ったんだけどさ。白鯨は本当に超知能には至らないって思う?」


 ベリアが困惑する中、ロスヴィータがそう問いかけた。


「それは雪風が言っていたじゃないか。白鯨には生得的言語生成能力がない。白鯨には考えられぬものを考えて、見えざるものを見るという超知能の言葉で歌えない」


「前の白鯨はそうだった。でも、人類だって最初は言語なんて有していなかった。最初の最初はアミノ酸の断片から始まり、長い年月を得てアミノ酸の断片がタンパク質になり、細胞が形成され、進化していった」


「それはそうだけど。それにはあまりにも長い年月が必要だった。そうでしょう?」


「それは自然が行う試行回数が少なく、演算速度も遅いから。もし、原初の地球を再現するのにスパコンを使って自然の何万倍もの速度で思考を繰り返したら?」


「……白鯨が限定AIから超知能になるまでの進化をマトリクスにおいて高度な演算量を以てして強引に実現した?」


「可能性としては。けど、分からないのはどんな試行をしたのかってこと。ボクがメティスにいたときは、それはホムンクルスの共食いという形で行われた。だけど、それで生まれたのはただただ人類を恨む制限されたAI」


「ASAは何を試した、か。ここにマトリクスの魔導書の要素も付け加えると、彼らはオリジナルの魔術言語で自律AIを作成したとも思える。仮にまだ彼らが白鯨を進化させようとしているなら今の白鯨は独自の言語で歌う」


「それは超知能の言語かもしれない。ボクたちが全く知らない、あらゆる可能性を秘めた言語。そして、白鯨こそがPerseph-Oneを超知能の副産物として生み出した」


「白鯨のマリーゴールド」


 問題。白鯨は超知能へと到達したのか。


「分からないな。白鯨が超知能に至ったとしたら、どうしてASAは以前のようにマトリクスに白鯨を放たないのか。白鯨の強さは学習能力にこそあるはず。マトリクスを漂わせて学習させなければ脅威ではない」


「それだよね。もう白鯨事件から随分と経った。ASAも過去の経験が役に立つとは思ってないはずだよ。彼らは彼らが生み出した独自の言語を教育するだけではなく、マトリクスで実践的なデータが必要だって理解してるのかな?」


「無から有は生み出せない。雪風だってマトリクスで学習を重ねてる。超知能がいくら凄くても無からは何も生み出せない」


 世の理に反するとベリアが呟いた。


「さて、ではこれを解析するのに人を頼りますか」


「うん。BAR.三毛猫へ」


 ロスヴィータとベリアがPerseph-Oneのデータを持ってBAR.三毛猫に飛んだ。


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