解散

……………………


 ──解散



 予定通り、暁は東雲たちとフランスで別れ、分離独立勢力が紛争を繰り広げているイタリアに向かっていった。


 東雲たちはフランスの首都パリにあるパリ=シャルル・ド・ゴール国際航空宇宙港から成田国際航空宇宙港への音速旅客機に乗りTMCに戻った。


「はあ。無事に帰ってこれた。仕事ビズはお終い」


「報酬を受け取らないとな」


「くれるかね。ヘレナは暁と逃げちまったわけだし?」


「それはそうだが」


 東雲が肩をすくめるのに呉がぼやいた。


「おっと。早速ジェーン・ドウから呼び出した。どうする?」


「気乗りしないが行くしかないな」


「オーケー。セクター6/2だ」


 東雲たちはジェーン・ドウに会いにセクター6/2のバーに向かった。


「遅いぞ」


 ジェーン・ドウが東雲たちを出迎え、個室に移る。


「で、吸血鬼はどうした?」


「暁が連れて逃げちまった。俺たちのせいじゃないぜ」


「まあ、いい。これでゲームはドローだ。勝者なし」


 ジェーン・ドウは意外なことにあっさりと暁がヘレナを連れて逃げたという話を信じ、それ以上追及しなかった。


「ジャスパー・アスカムとルナ・ラーウィルは仕留めて来たぞ」


「で、呪いは解けたわけか?」


「ああ。ばっちりだ」


「そいつは結構。よかった、ちびのサイバーサムライ。これからも仕事ビズをやってもらうぞ。お前は俺様の駒だ」


 ジェーン・ドウが八重野を見てそう言う。


「分かっている。お前が私を使い捨てディスポーザブルにするまでは従順な駒でいよう。私がジョン・ドウにとってそうであったように」


「はあん。ジョン・ドウを殺していい気になってるな? 俺様をジャスパー・アスカム程度の雑魚と一緒にするなよ。俺様はそこらのジョン・ドウ、ジェーン・ドウのような使い走りとは違う」


 八重野が言うのにジェーン・ドウが嘲った。


「ローテク野郎。お前も妙なことを考えるなよ。お前は俺様の駒だ。これまでも、これからも。妙なことをすると死人がでることになるからな」


「はいはい。分かってますよ」


 ジェーン・ドウが釘を刺すのに東雲が両手を上げた。


「さて、お楽しみの報酬だ。ひとり1000万新円。大事に使えよ」


「おう。また大金だな」


「それだけ評価してやっているということだ、ローテク野郎」


 東雲は大金のチャージされたチップを受け取り、ため息を吐いた。


「それから一応伝えておくが、アトランティスからルナ・ラーウィルの件で報復を受けることはないぞ。アトランティス理事会は鼻からルナ・ラーウィルを切り捨てるつもりだったみたいだからな」


「連中の会社の最高技術責任者CTOだろ? どうして邪魔になったんだ?」


「オリバー・オールドリッジと同じだ。自分の理想を追求するのに六大多国籍企業ヘックスの資産を使った。六大多国籍企業は人類の恒久的な平和と平等にも、今の地球の生態系の保存にも興味はない」


 あるのは利益の追求だけだとジェーン・ドウが馬鹿にしたように言った。


「阿呆な理想主義には六大多国籍企業にとって害悪ですらある。だから、オリバー・オールドリッジは表向きは超知能による利益という名目で白鯨を開発したし、ルナ・ラーウィルは経営陣の保全のために吸血鬼を研究した」


「で、どっちも理事会に悪さがバレた」


「そういうことだ。会社の資産をくだらない妄想のために使えば、理事会はお冠になる。もっとも、連中の後継者は生き残りのために会社の利益になるということを示そうとしているがな」


「白鯨派閥の次は吸血鬼派閥か?」


「そうだよ。アトランティス理事会はアトランティス・バイオテック内で吸血鬼研究をしていた連中を飼うことにした。イカれたルナ・ラーウィルはくたばって、ある程度思想の歪んた人間を事故死させたからな」


「事故死、ね。怖い、怖い」


 ジェーン・ドウがどうでも良さそうに語るのに東雲が肩をすくめた。


「大井はどうするんだ?」


「なんで俺様が大井のことについて知ってると思うんだ? 俺様がいつ大井の人間だって説明した?」


「分かったよ。聞かない」


「そうしろ」


 ジェーン・ドウが吐き捨てるようにそう言った。


「で、これ以上何か仕事ビズがあるのか?」


「今はない。のんびりしてろ。ああ、HOWTechの連中はオーストラリアに帰っていいぞ。同盟は続くが、今はメティスともアトランティスとも停戦だ」


「あいよ。じゃあ、そういうことで」


「まあ、いい仕事だったぞ、ローテク野郎ども」


 ジェーン・ドウはにやりと笑って、東雲たちを見送った。


「なあ、あんたらオーストラリアに帰るんだろう? その前に飯でも食わないか?」


「いや。ちょっと用事がある。すまんが、また今度な」


「つれないな」


 呉が首を横に振るのに東雲が肩をすくめた。


「じゃあ、俺は王蘭玲先生と飯食いに行こう。デートしてくる」


「暢気なものだな」


「いいだろ。仕事ビズは無事に終わったんだ。クソみたいな仕事ビズだったが終わったし、あんたの呪いも解けた。ハッピーエンドだ」


「それはそうだが」


 東雲がそう言い、八重野が頷く。


「それで、八重野。引き続き、アパートで暮らすか?」


「そうさせてもらう。また仕事ビズを一緒にやることになりそうだからな」


「決まりだな。それじゃあ、呉、セイレム。また一緒に仕事ビズをやることになったら頑張ろうぜ」


「またな、東雲、八重野」


 そう言って呉とセイレムはタクシーに乗って成田国際航空宇宙港を目指した。


「私は先に帰っている」


「ああ。俺は王蘭玲先生と飯食ってから帰るから、ベリアたちによろしく伝えてくれ」


「分かった」


 そして、八重野がアパートに向かって帰っていった。


 東雲はセクター13/6の賑やかで治安の悪い歓楽街を抜け、ギャング同士の抗争の後に刻まれた銃痕の横を通り、ウェアを決めたまま死んでいる電子ドラッグジャンキーを軽く眺め、王蘭玲のクリニックを訪れた。


「ようこそ、東雲様。貧血でお悩みですか?」


「ああ。それから先生に時間あるか聞いてくれるか?」


「畏まりました」


 いつものようにナイチンゲールが東雲の受付を済ませる。


 それから他に患者はいなかったのか東雲はすぐに診察室に呼ばれた。


「無事に帰ってこれたようだね」


「ああ。ロンドンとケンブリッジで大暴れして逃げて来たよ」


 王蘭玲がいつものようにダウナーに言うのに東雲が肩をすくめた。


「ロンドンとケンブリッジというとアトランティスの研究施設でも襲ったのかい?」


「そう。アトランティス・バイオテックをちょっとね。先生はマトリクスの魔導書って知ってるかい?」


「いや。知らないが。それはどのようなものだい?」


「先生は吸血鬼がこの地球上にいるっていったら信じるかな?」


「魔術があるのだからゲオルギウスがドラゴンを討伐していても驚かないよ」


「まあ、ドラゴンは目立つだろうからいないだろうけどさ。吸血鬼はいたんだよ。ルーマニアにね。ヘレナって名前の吸血鬼だ」


 東雲はヘレナが東雲たちと出会った経緯を王蘭玲に語った。


「ふむ。マトリクスの魔導書とは吸血鬼の脳神経データをコンバートしたものだと」


「らしい。ベリアが言うにはある種の環境シミュレーションでシミュレーション可能なようにコンバートした結果、自律AIのように機能したんだと」


「環境シミュレーション。プロジェクト“パラダイス”?」


「いや。ルナ・ラーウィルって研究者が作った簡単なシミュレーションだって」


「“エデン・イン・ザ・ボックス”かな?」


「それそれ。そしてそのマトリクスの魔導書とヘレナは魔術が使える。吸血鬼として。因果を捻じ曲げて対象が生存できる時間を決められるんだ」


「それが八重野の呪いの正体、か」


「ああ。八重野は2年後に死ぬ、というよりも2年後までは絶対に何があろうと死なないと言った方が適切な状況になっていた」


「つまり、不老不死が実現できる?」


「ヘレナは事実上の不老不死だよ」


「それは。凄いな」


 王蘭玲は深く感心したようだった。


「俺たちはアトランティスに奪われたヘレナを奪還しにロンドンとケンブリッジに殴り込んだ。無事ヘレナは奪還したけれど、暁が連れて逃げちまったよ。あいつ、ヘレナのこと気にしてたから」


「ジェーン・ドウに追われるのではないかい?」


「覚悟の上だろう」


「ふむ。彼は自由を手にしたわけだ」


「ジェーン・ドウから逃げ回るのは自由と言えればだが」


 王蘭玲の言葉に東雲が少し心配しているようにそう言った。


「君はどうする? 私とともに逃げるかい……」


「それはまだ難しそうだ。ジェーン・ドウがどういうわけか凄く警戒している。今逃げるのは先生を危険に晒しちまうよ」


「そうか。残念だ。だが、いつか一緒逃げよう」


「ああ。そうだな、先生。逃げよう。今回の仕事ビズでも何度も死にかけた」


 もうごめんだと東雲はぼやいた。


「私も君と一緒に新天地で暮らすのを楽しみにしているよ」


 王蘭玲はそう言って猫耳を揺らす。


「それはそうと、先生。この後セクター一桁代で食事なんてどうだい?」


「ふむ。セクター一桁で?」


「たまにはカッコいいところ見せさせてくれよ」


「君も格好つけることがあるのだね」


「先生の前だけだよ」


 東雲はにやりと笑ってそう言ったのだった。


 場がフリップする。


 数日後、自由香港共和国。


 第三次世界大戦後に成立した中華人民共和国を中心にした中華連邦を構成する国のひとつであり、本土とは違って自由主義と民主主義が生きている。


「悪くない場所だ。環境は浄化用のナノマシンで健全に維持されているし、飯も美味い。何より民間軍事会社PMSCのゴミクズどもがいない」


 暁は香港の繁華街を歩きながらそう言う。


「どうだ、ヘレナ。気に入ったか……」


「今まで賑やかなのはそこまで好きではなかったが、ここもそう悪くはない。これだけ人がいても見張られているという気分はしないしな」


「生体認証スキャナーはあるが、秘密警察や六大多国籍企業の息のかかった民間軍事会社のコントラクターはいない。ここは地上で唯一プライバシーの権利が保障された場所だってことさ」


「ふん。今、プライバシーを得るのは苦労するな。我々は自由と引き換えに安全を得た。民間軍事会社に自由を売り、テロの起きない世界を貰った。そのはずだった」


「結局のところ、みんな騙されている。民間軍事会社はテロのない世界なんて取引してはくれない。連中は詐欺師だ」


 今の香港で流行りのファッションであるイギリス統治時代の富裕層の格好をしたヘレナがいい、ブランド物のスーツを身に着けた暁が返す。


「ここが終の棲家となるかどうか。私はもう二度と六大多国籍企業などに関わり合いたくない」


「俺もだ。六大多国籍企業の連中にはもううんざりだ。ここまでは連中も追ってこないだろうさ」


 自由香港共和国には民営の警察組織となる民間軍事会社PMSCはいない。警察業務は香港都市警察と香港共和国軍が行っている。


 ここはシンガポールと同様に六大多国籍企業の影響から逃れている。


「なあ、暁。東雲たちはジェーン・ドウに使い捨てディスポーザブルにされなかっただろうか?」


「連中ならきっと大丈夫だ。あれだけ優秀な連中をそうそう簡単に使い捨てディスポーザブルにはしないだろう」


「だといいのだが」


 暁がそういうのにヘレナが肩をすくめた。


「暁。お前は私の友にして生涯をともにするだろう唯一の人間だ。ふたりでこれから歩んでいこう。何があろうとも」


「ああ。もちろんだ」


 ヘレナと暁は自由香港共和国の繁華街に姿を消していく。


 六大多国籍企業というハイエナどもから離れた土地に消えていく。


……………………

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