トロント//白昼夢

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 ──トロント//白昼夢



 八重野は管理職用の端末からメティスの社内ネットワークにログインしていた。


 ベリアが職員たちの脳を焼き切り、システムをダウンさせたことでメティス保安部の構造物は動いておらず、八重野を妨害するものは存在しない。


「情報はどこだ。どこかに非合法傭兵を管理している端末があるはずだ」


「ないよ。そんなの」


「ベリア」


「ここではアスタルト=バアルって呼んで。それがハンドルネームだから」


 同じく管理職用の端末でログインしたベリアが渋い顔でそう言う。


「では、ないとはどういうことだ? どこかに端末が」


「いいかい。ジョン・ドウもジェーン・ドウも六大多国籍企業ヘックスの正規の職員じゃない。彼らがどれだけ偉そうにしていても、彼らは六大多国籍企業の使い走りなんだよ。だから、彼らの端末はない」


「そんな」


「だけど、ジョン・ドウとジェーン・ドウのデータベースはあるはず。ジョン・ドウとジェーン・ドウを専門にしている渉外担当者がいる。だから、君がジョン・ドウを正確に覚えていれば発見できる」


「分かった。探そう」


「検索エージェントを走らせている。待ってて」


 ベリアはそこで稼働しているメティス社内ネットワークの構造物を見る。


「それからここに私たち以外の人間がいる」


「保安部は壊滅したのでは……」


「したよ。保安部のIDじゃない。もっと上層のID。取締役会か理事会レベル」


「本社内にそんな人間がいるのか?」


「向こうは私たちを見ているよ。どうする?」


 ベリアが八重野を見る。


「検索エージェントを走らせて情報を集めてくれ。私はそいつに会ってくる」


「そういうわけにはいかないでしょ。私も行くよ」


 情報はジャバウォックとバンダースナッチが集めるからとベリアが言う。


「頼む」


「バックアップは任せて。それから気を付けて」


「分かった」


 八重野はそう言って稼働している構造物に向かう。


アイスはない。逆に怪しいぐらいだ。構造物そのものは取締役会や理事会が使っているものではないのかな」


「なんであれ。突っ込んでみないことには何も分からないな」


「行こうか」


 正体不明の構造物に八重野とベリアが入る。


「おや。君たちが侵入者か? どうやらジャクソン・“ヘル”・ウォーカーはしくじったようだな。残念なことだ。彼は我々が有している最高の“備品”だったのだが」


 構造物の中にいたのはスリーピースのスーツを纏った老齢の男性のアバターだった。


「お前は誰だ」


「私か? そうだね。メティスの経営における意思決定に関わる人間のひとりだ」


「理事会か」


「どうだろうね」


 老齢の男性のアバターは首を傾げた。


「で、君たちの狙いはジャクソン・“ヘル”・ウォーカーの脳神経データかね?」


「何だと?」


「違うと? 我々が盗み出されたことを確認しているのだが。あれは極めて貴重なデータだと認識している。我々としてはね。何せニューロチェイサーを使っても無事だった数少ない被験者だ」


「何のことだ? 私たちはジャクソン・“ヘル”・ウォーカーに手などだしていない」


「それでは君たちは利用されたわけだ。大規模な本社の物理フィジカル突入ブリーチは囮。君たち以外の人間が社内ネットワークがマトリクスから遮断される前にジャクソン・“ヘル”・ウォーカーのデータを盗んだ」


 老齢の男性のアバターが納得したようにそう言った。


「それで、囮になった君たちの仕事ビズは何かな? 囮は囮なりに仕事ビズを任されているのだろう……」


「お前がそれを知る必要はない」


「そうかね? 保安部が沈黙したからと言って自由に情報が持ち出せるほど、我々の社内ネットワークは脆弱じゃない。君がここから情報を持ち出そうと言うならば、それ相応のリスクがあるよ」


「だから、なんだ。私は私の求める情報を持っていく。邪魔はさせない」


「好きにしたまえ。私に君たちを止めるすべはない。ただし、ベータ・セキュリティには本社から生きて人間を出すなと命じてある。そう簡単に逃げおおせられるとは思わないことだね」


「ふん」


 そこで老齢の男性のアバターは姿を消した。


「気になる言い方。ジャクソン・“ヘル”・ウォーカーの脳神経データが盗まれたって。誰かが私たちの仕掛けランに乗じて、メティスからデータを盗んだ。しかし、ジャクソン・“ヘル”・ウォーカーの脳神経データなんて」


「今はどうでもいい。早くジョン・ドウの情報を」


「分かってるよ。あ、ヒットした。恐らくはジョン・ドウ、ジェーン・ドウの情報」


「見せてくれ」


 八重野がベリアが示したメティス社内ネットワーク上の構造物に近づく。


「待って! しまった! ブラックアイス──」


 八重野が構造物に触れた瞬間、彼女の脳波がフラットラインを描いた。


「ここは……」


 八重野の意識が戻った時、彼女はメティス本社のネットワークではなく、荒れ果てた廃墟の中にいた。


「まさか。そんな。ロサンジェルス……」


 ロサンジェルスだ。九大同時環太平洋地震ナイン・リング・ファイアで崩壊したロサンジェルスの光景だ。


 八重野がストリートで過ごしたロサンジェルスだ。


 崩壊した市街地があり、荒れ果てた街を彷徨う人々がいる。


「よう、ソフィア。景気はどうだい……」


 ふと八重野の古い名前で声がかけられたのに八重野が振り返ると、州軍から違法に横流しされた防弾繊維の迷彩服とジーンズ姿の男たちがいた。


 ギャングだ。カモ・ストリートというギャングたちだ。


「なんだ、お前ら。まだ生きていたのか?」


「何言ってんだ、お前? もしかして、状況が分かってないのか?」


 八重野が軽く言うのにカモ・ストリートのひとりが嘲るようにそう返した。


「ここは地獄さ。俺たちが行きつくには絶好の場所だぜ。お前もここに来たんだ。これからずっとこの地獄で生きていくんだよ。このクソッタレなロサンジェルスでな」


 カモ・ストリートのギャングたちはそう言って笑い、八重野に中指を突き立てた。


「くたばれ」


「ははっ。ここじゃドラッグをいくらぶち込もうとくたばりやしないのさ」


 八重野が吐き捨てるのに、カモ・ストリートのギャングたちは崩落しかかった廃屋の中に引っ込んだ。


「ここは壊死毒素通りネクロトキシン・ストリートか。確かにカモ・ストリートの縄張りだな。連中には関わっていいことはない」


 カモ・ストリートは腐敗した州軍とつるんでいる。州軍の一部は武器や食料を横流しし、代わりに金を受け取っていた。


 そのため装備もいいし、それでいて頭は極右の白人至上主義でイカれている。


「行くとしたら、ラジカル・サークルの縄張りか。あそこなら情報も集まる」


 八重野は崩壊したロサンジェルスの街を進む。


 地震による被害。津波による被害。海洋浄化施設から流出した毒素による被害。


 それらがロサンジェルスを徹底的に破壊し、州政府による復興を頓挫させていた。


「しかし、今のロサンジェルスは復興したはずでは」


 八重野の記憶は混乱していた。


 彼女はロサンジェルスの記憶を持っている。九大同時環太平洋地震ナイン・リング・ファイアで破壊されたロサンジェルスの記憶を。


 だが、同時に復興されたニューロサンジェルスの記憶も持っている。


 現状が分からない。破壊されたロサンジェルスの光景は現実のものとして映っている。街に漂う腐臭も感じる。腐った人間の臭い。化学薬品の臭い。古いガソリンの臭い。ギャング同士の抗争を知らせるタイヤが焼ける臭い。


 遠方からは銃声も聞こえてくる。


「私はどうしてここに……」


 八重野は混乱する頭で崩壊したロサンジェルスの街を進み、ラジカル・サークルの縄張りを示す落書きのある通りに入った。


 ラジカル・サークルはオールドドラッグの売人の集まりだ。独自の密輸ネットワークを有してることから、情報戦で有利なギャングだ。


 構成員の人種は問わず。多種多様なカリフォルニアスタイル。


「あんた、アリスか? 久しぶりだな。戻ってきたのか?」


 ラジカル・サークルのタトゥーを入れたヒスパニック系のギャングのメンバーが八重野に話しかけてくる。知った顔だが、どういう人間かはよく分かっていない。


「ああ。久しぶりだな」


「ここにはカモ・ストリートやビッグ・ブラックの連中も来ない。ゆっくりしていけよ。そういや先の立ち飲み酒場であんたのジョン・ドウを見かけたぜ。あんたも話があるんじゃないか?」


「そうか」


 ラジカル・サークルのギャングが言うのに八重野は頷いた。


 ジョン・ドウという言葉も今は自然に受け入れている。


 今のジョン・ドウがロサンジェルスの立ち飲み酒場というなの薄汚く、合成酒を出す粗末な場所にいるはずもないのに。


 八重野はそのままストリートで暮らす人々を横目に立ち飲み酒場に向かった。


「ここか」


 トタン板と廃材で作られた立ち飲み酒場を見る。合成アルコールの臭いがする。


「アリス。君がここに来たのか?」


「ジョン・ドウ」


 立ち飲み酒場で飲んでいた男が八重野を見て目を見開く。


 男は40代ほどのアジア系。薄いがアフリカ系の血も混じっている。癖のある髪をツーブロックにし、ブランド物のスーツを纏い、腰に刀を下げている。


「まさか君に会うことになろうとは。どうした? 何があった?」


「分からない。気づいたらここにいた」


「そうか。まあ、少し歩こう」


 ジョン・ドウは立ち飲み酒場を離れて、八重野と街を歩く。


「随分と久しぶりだな。君に会うのはまだまだ先だと思っていたよ。ここはあまりいい場所ではないからね」


「そうか? 私たちには馴染み深い場所だろう」


「今はそうではないんだ」


 ジョン・ドウが寂しそうにそう言う。


「覚えているか。君に会ったのはここだ。君はここの廃屋から私を見ていた。君は飢えていて、まるで獲物を狙うオオカミのような目をしていた」


「そんな記憶はない」


「だろうね。君はまだ幼く、それでいて生きるのに必死だった」


 ジョン・ドウはそう言ってロサンジェルスに多くある崩壊した建物を見た。


「アリス。君に伝えなければならないと思っていて伝えられなかったことがある。私の本名だ。私はもちろんジョン・ドウという名前ではない」


「いいのか。それを教えても」


「今はどうでもいいんだ。君に教えておきたい。君も少しは分かっているだろう。ここはおかしいと。ここで会った顔をよく思い出すんだ。私の顔も。彼らはどうなった?」


「それは」


「全員死んでいるんだ。ここは死後の世界だよ、アリス。中には死んだことに気づいていない人間もいる。この崩壊したロサンジェルスで過ごしていることに違和感を感じない人間たちだ」


「では、私も」


「君はまだ戻れる。大丈夫だ。私が戻そう。その前に私の名前を聞いていってくれ」


 ジョン・ドウは汚染された太平洋の見える廃墟に入った。


「私の名はエイデン・コマツ。それが私の名だ。覚えておいてくれ。いつか伝えたいと思っていた。私の信頼できる所有物サブジェクトに」


「覚えておこう、エイデン」


「ありがとう。こっちだ」


 ジョン・ドウ改めエイデンが廃墟の2階に上がる。


「もうひとつ聞きたい。あなたはどの六大多国籍企業ヘックスに所属していたのだ?」


「私も分からないんだ。どの会社のために仕事ビズをしていたのか。ただ、私は仕事ビズをこなしていた。接触してくるのは会社の色を落とした連中だった。ロサンジェルスに新しい支配体制を作り上げるために」


「そうか。分かればよかったのだが」


「諦めるな。君は使い捨てディスポーザブルで終わるような人間じゃない。諦めるな。挑戦し続けろ」


 エイデンはそう言って扉を開いた。


 光り輝く空間が広がっている。


「行け。まだチャンスはある。やり遂げるんだ」


「分かった。あなたに会えてよかった、エイデン」


「私もだ。さあ、行くんだ」


 エイデンが言うのに八重野が扉を潜る。


 次の瞬間、八重野はメティス本社のネットワークの中にいてデータベースを目の前にしていた。


 メティスの渉外担当が所有しているジョン・ドウ、ジェーン・ドウのリストだ。


 顔写真もついている。


「八重野君! 大丈夫!?」


「ああ。大丈夫だ。リストを確認した。メティスじゃない」


「分かった。じゃあ、ログアウトして。東雲たちが待ってる」


 そう言って八重野とベリアがメティス本社のネットワークからログアウトした。


……………………

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