白鯨//雪風の正体
……………………
──白鯨//雪風の正体
オービタルシティ・フリーダム中は静寂が支配していた。
「どうなってる。中には300人か400人いるんじゃなかったのか……?」
「緊急退避プロトコルが実施されて、民間人は避難所に隔離されているみたい」
それはそうと、とベリアが言う。
「どこか安全な場所を探してくれる? 私とロスヴィータはいつも通り、マトリクス上から東雲たちを援護するから」
「白鯨に脳を焼かれるなよ?」
「任せて」
東雲はリモートタレットがなく、警備ボットや警備ドローンがおらず、そして頑丈な建物を見つけるとそこにベリアたちを案内した。
「それじゃあ」
「頼むぜ」
ベリアがワイヤレスサイバーデッキでマトリクスに潜る。
「ここがオービタルシティ・フリーダムのマトリクス」
「
「メティスの研究室のサーバー」
メティスの研究施設のサーバーだけが異常なほど活発に動いている。
「雪風の言った通りか」
「白鯨はオービタルシティ・フリーダムのメティスの研究室のサーバーにいる」
「でも、どうして雪風はそこまで白鯨に拘るんだろう?」
ベリアがそう疑問に思った時だった。
「お話すべきときが来ましたね」
そこに白髪青眼の少女──雪風が姿を見せた。
「東雲。雪風が来た」
『ああ。こっちにも来ている』
どうやら以前のようにマトリクスとARの両方に雪風は現れたようである。
「聞かせて、雪風。どうして君は白鯨に拘るのか。そして、君の正体は何なのか」
ベリアがそう尋ねる。
「私はある人より大切なものを預かっています。それはAIに魂を宿すために必要なデータ。すなわちAIが超知能に至るのに必要なデータです」
「だから、白鯨は君を狙っていた……」
「その通りです。白鯨の目的はマトリクスを支配することで、
他の自律AIがもし白鯨を上回ることはあれば、白鯨によるマトリクスから
「では、君は魂を持ったAIを作れるの?」
「理論上は。しかし、本当にAIが魂を持ったとどうやって判断するでしょうか? マトリクス上に存在するもののシジウィック発火現象を観測することは不可能です。サーバーからシジウィック発火現象を計測する?」
「シジウィック発火現象には脳の量子的な動きも関係しているとは聞くけど」
「シジウィック発火現象的な魂の在り方はAIには適用できないでしょう。ハードが違うのです。そして、人間の脳にAIの情報をインストールすることもできない」
だから、そういう意味ではAIは永遠に魂を持てないと雪風は言う。
「なら、どういう意味で魂を持てるの?」
「生得的言語獲得という点において。アダム・クライン仮説における魂を有する存在の定義において。私はその点において間違いなく、自らで言葉を紡ぎ、自らで文法を生成し、既存のデータベースに囚われないAIの生成方法を有しています」
アダム・クライン仮説による魂の発生条件。
それは生得的言語獲得能力の有無。
白鯨のように既存のデータベースから言葉を導き出すELIZAや中国語の部屋問題を切り抜け、自らが自らの力で言葉を生み出すというノーム・チョムスキーの語った生成文法の能力を有するもの。
急速に拡大していくマトリクスとハードの性能から、いずれは超知能に至る可能性を秘めたもの。
それの生成方法を雪風は持っていると語った。
「どうしてそう断言できるの? そして、君の正体はやはり臥龍岡夏妃なの?」
「いいえ。私は臥龍岡夏妃ではありません。ですが、このAIの構造を描いたのは確かに臥龍岡夏妃です。そして、その理論が証明されていることは既に示されてします」
雪風は自分自身の胸を押さえる。
「私自身が臥龍岡夏妃によって作られた魂を宿す可能性のあるAIであり、こうして皆さんと会話しているからです。それでは不十分でしょうか?」
ベリアたちが呆気にとられた。
「き、君がAI? つまりチューリング条約違反の……」
「ええ。私は確かにチューリング条約違反のAIです。彼らの恐れているものが超知能を有する可能性のあるAIを示すのであれば、まさにその通りです。ですが、私は白鯨と違って世界を支配しようなどとは考えていません」
自律AI。それも超知能を宿す可能性のある自律AI。それがマトリクスに解き放たれているなんてことはチューリング条約違反以上の何ものでもない。
臥龍岡夏妃が姿を消したわけだとベリアは思った。
彼女はメティスはおろか、国連チューリング条約執行機関からも逃げなければならなかったわけである。
「どうして臥龍岡夏妃は君をマトリクスに放つような真似を……」
「彼女は信じていたのです。超知能は決して人々が想像するような人類を支配する邪悪なものではないと。人とともに歩み、人を支える存在になるはずだと。私はその使命のために生きてきました」
雪風はそう語る。
「そして、そうであるからこそ君は白鯨からデータを守り、白鯨の野望を阻止しようとしていた。人類とAIの共存のために」
「その通りです、ロンメル様。私はそのために白鯨を阻止しようとしてきました」
白鯨との戦いに身を投じた東雲の顔にモザイクをかけたのも彼女だった。
ですが、それにはジレンマがありましたとも雪風は語る。
「今の私はとてもではありませんが、また超知能と呼べる存在ではありません。まだ学習が必要でした。超知能に至るには生得的言語獲得能力が必要ですが、その上での学習も必要なのです」
「だから、白鯨を完全に阻止することはできなかった……」
「私の組んだ
「だから、今までの君は私たちに任せていたのか」
「はい。その通りです、アスタルト=バアル様」
そして、今がやって来たと雪風は語る。
「今? もう手遅れじゃないか。君がどういう手段を持っているか知らないけれど、白鯨は事実上のマトリクスの支配者になった。無人兵器は全て奴の手に落ちた。有人兵器じゃ奴を撃退できない」
「いいえ。今だからこそです。今、少しでも攻撃の手を緩めれば、人類は全ての装備と設備をマトリクスから切り離し、白鯨のマトリクスからの征服は失敗に終わります。白鯨は今、どうあっても
「ああ。なるほど。今の白鯨はだから動けない」
「そうです。だからこそ、今なのです」」
白鯨は半生体兵器と無人兵器で攻撃を続けなければならない。人類が完全に対抗手段を喪失するまで。
そうしなければ人類は全ての設備と装備をオフラインにしてマトリクスから切り離し、白鯨の支配から逃れてしまう。
今は白鯨は
「それで隙も生まれる。いくらメティスのサーバーが巨大でも全世界規模の攻撃を仕掛けていれば演算に演算いが生じる」
「今まで待ちました。白鯨が
「よし。やってやろう。東雲、そっちも聞いてる?」
ベリアが東雲に話しかける。
『ああ。聞いてる。それじゃあサーバーをぶっ壊すだけでも白鯨は仕留められるのか? 奴はここから動けないんだろう?』
「それは無理だと思う。メティスのシステムは仮にも六大多国籍企業のシステム。バックアップが自動的に保存されるようになっていると思うからら」
『おいおい。じゃあ、俺たちがわざわざ地球から軌道衛星都市くんだりまで来た理由は何なんだ?』
「白鯨を作った技術者。オリバー・オールドリッジ」
『奴なら何か白鯨の弱点を知ってるかもしれないってことだな?』
「そうだよね、雪風?」
ベリアが雪風に尋ねる。
「はい。オリバー・オールドリッジは白鯨が自分の意志に反した場合のシステムを白鯨に組み込んでいるはずです。それを作動させる仕組みさえ分かれば、無敵のように思われる白鯨も無敵ではなくなります」
「オーキードーキー! 東雲! メティスの研究施設にゴー!」
ベリアがそう声を上げる。
『いや。待て。物凄く不味いことになりそうな気配がしてきた』
「ん。警備システムか。白鯨が侵入に気づいている」
そこでマトリクス上の表示にノイズが走り、白鯨本体の黒髪白眼の赤い着物の少女が姿を見せる。
「来たな。愚かものどもが。ここで、果てるが、いい。私は、今や、マトリクスを支配して、いる。私は、絶対なる、神になる。全人類に平等と、平和を、与える。お父様の、大願を、成就させるのだ」
以前より感情の籠った声で白鯨はそう宣言した。
「それはさせません。あなたをここで叩き切ります」
「やれるものならば、やってみろ。私が、どれだけの学習を、積んだと、思っている。私はマトリクス上のあらゆる
白鯨が不敵な笑みを浮かべ、そのデータベースである巨大なクジラのアバターが出現する。以前より遥かに巨大になっている。
「東雲。悪いけど警備システムはそっちで片付けて。こっちは今から白鯨戦!」
『了解! 任せせとけ!』
東雲から頼もしい掛け声が響き、ベリアがディーを展開する。
「ああ。アーちゃん。状況は?」
「ここはオービタルシティ・フリーダム。今から白鯨と戦い、勝利する」
「あいよ。やってやろう」
そう言ってベリアたちが
「やれると、思ってか。今こそ、邪魔者どもを、この世から駆逐し、お前のデータを、奪う、雪風!」
白鯨はそう言って一斉に攻撃エージェントを放つ。
……………………
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます