クラッシュ//北米情報保全協定の向こう側

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 ──クラッシュ//北米情報保全協定の向こう側



 東雲たちが毒ガスを中和していたころ、ベリアたちはあるものに取り掛かっていた。


 それはNA情報I保全S協定Pの突破だ。


 北米情報保全協定は北米の主要な情報拠点を防衛するマトリクス上に広がった巨大なアイスのネットワークだ。


 それは限定AIによって運営されており、北米のデータハブや軍事施設、そして北米に拠点を置くメティスやアローと言った六大多国籍企業ヘックスのメインフレームなどを防衛している。


 まずはこの北米情報保全協定のアイスを破らなければ、メティス本社のメインフレームには近づくことすら叶わない。


「どうやるかね……」


「限定AIによる運用というところが厄介な限りだね。以前みたいにパラドクストラップが通じればいいけれど」


 マトリクス上に広がる北米情報保全協定のアイスを見て、ディーとベリアがそう言葉を交わす。


 限定AIが絶えずマトリクスのトラフィックを監視し、不審な動きがあれば警報が発される。ブラックアイスではないので、脳を焼き切られる心配はない。


 だが、マトリクス上からは排除されてしまうし、現地の治安機関──北米はいくつかの民間軍事会社PMSCが大井統合安全保障と同様に保安業務を担っている──に目を付けられて今後の活動が難しくなる。


 どうにかして北米情報保全協定を抜かなければならない。気づかれないように。


「雪風メソッドで行こうか」


「あのアイスの隙間を縫うって奴かい?」


「そう。あの限定AIも完全な壁のように視覚化されているだけで穴はある。そこを攻撃する。そのためのアイスブレイカーも準備してある」


 パラドクストラップ入りアイスブレイカーとベリアが言う。


「限定AI相手ならパラドクストラップは通用するだろう。だが、連中は限定AIを監視する限定AIも保有している。二段構えだ。ひとつ目の限定AIが動作不良を起こせば、それに気づかれることになるが……」


「ふたつ同時に叩く。いや、ナノセカンド単位で二回攻撃する」


「そんなことができるのか?」


「ジャバウォックとバンダースナッチにならね」


 ジャバウォックとバンダースナッチが姿を見せる。


「事前のプログラム通りにやるんだよ? 隙間の見つけ方は覚えたね?」


「任せるのだ、ご主人様。限定AIぐらい出し抜いてやるのだ」


「任せた」


 そして、アイスブレイカーを装備したジャバウォックとバンダースナッチが配置につく。バックアップのためにベリアも配置についた。


「第一層の限定AIの機能不全から第二層の限定AIの探知まで最大で0.000000005秒、短くても0.000000002秒。それまでに一気に突き抜けるんだよ。いいね?」


「了解なのにゃ」


 ジャバウォックとバンダースナッチもある意味では超知能に慣れない限定AIではあるが、チューリング条約で認可された限定AIを相手にした戦闘では負ける可能性は低い。


 しかし、ナノセカンド単位の戦いだ。人間の脳ではついていけない。


 ジャバウォックとバンダースナッチがどれほどの電子戦能力を持っているかによる。


「では、カウントダウンスタート。10、9、8、7、6──」


 ベリアがカウント始める。


「5、4、3、2、1、開始」


 ジャバウォックとバンダースナッチがほぼ同時に動く。


 0.000000002秒でジャバウォックが第一層の限定AIのアイスをパラドクストラップ付きのアイスブレイカーで突破。限定AIは機能不全を起こし、北米情報保全協定のアイスの一部がマヒする。


 続いて0.000000001秒バンダースナッチが第二層の限定AIを探し出し、機能を停止させる。第二層の限定AIを見張る限定AIはおらず、これによって北米情報保全協定のアイスは完全にマヒした。


「北米情報保全協定制圧!」


「すげえな。北米情報保全協定二段構えの限定AIの構築のせいで抜けない作りになっていたのに。後は個別のアイスだけになっちまった」


「その個別のアイスこそメティスの本命でしょ? 北米情報保全協定はブラックアイスは使ってこなかったけど、六大多国籍企業は容赦なくブラックアイスを使ってくるよ」


「確かにな。それから白鯨の存在が面倒だ」


「白鯨は追跡エージェントの類を受け付けない。今、白鯨がどこにいるのか知ることは不可能に近い。トラフィック量からの推測も推測でしかない。そして、その推測によれば白鯨は再びTMCにいる」


「餌に食いついたか?」


「どうだろうね……。白鯨がそこまで間抜けだとも思えないけれど、白鯨が巣に帰っている可能性はあまり高くない。白鯨は情報収集に熱心だ。巣に帰っていることはほとんどないと思う」


「バックアップの可能性」


「それはある。白鯨のバックアップがアクティブな状況かは分からないけれど、魂のない白鯨はいくらでもバックアップが取れる」


「魂のある俺たちのバックアップだって取れるさ」


「それはどうだろうね」


 人間のバックアップを取る試みが今までなかったわけではない。


 人間の脳のネットワークを完全に電子上で再現する。膨大な演算量が必要で、不可能とも思えることが行われようとしたことはあった。


「マサチューセッツ工科大学が主導したプロジェクト“タナトス”は人間の脳のバックアップを取ることで人間の事実上の不老不死と超知能への足がかりを作ろうとした。でも、彼らは失敗した」


「ああ。当時のスパコンでも演算量が不足していて、完全なコピーは不可能だった。その上、脳の量子性が判明してからはシミュレーションがより困難になった」


「量子生物学万歳。脳が電気で動くただの家電製品とは違うということを証明した科学者たちに乾杯。そして、チューリング条約が締結され、マサチューセッツ工科大学はプロジェクト“タナトス”を中止した」


 人間の脳を完全にコピーするには人間の脳が必要であることが証明されただけでプロジェクト“タナトス”は終わった。


「さて、そろそろお喋りはやめにしてメティス本社のメインフレームに仕掛けランをやろう。今のところ、北米情報保全協定が回復する見込みはない。彼らはアイスが溶かされたことにも気づいてない」


「メティスのメインフレームに着いたらボクが案内するよ」


 そこでロスヴィータがそう言う。


「もちろん、そのつもりだよ。社内ネットワークとは言え、メティスのメインフレームに詳しいのは君だからね。是非ともお願いしたい。ただ、社内ネットワークがスタンドアローンである可能性も否定できないけれど」


 それでもやるしかないとベリアは言い、メティス本社のメインフレームを目指す。


 北米はカナダ、大都市トロントにメティス・バイオテクノロジーは本社を置いている、アメリカに本社を置かなかったのは、アメリカの共和党選出の大統領がが遺伝子操作に対して一時期厳しい制限を設けたからだ。


 遺伝子操作は宗教的に許される行為ではないという理由だった。その頃はAIの超知能化の可能性やチューリング条約絡みの問題があり、共和党の支持基盤であるキリスト教福音派が力を持っていた。


「トロントのネットワーク。TMCほどじゃないけれど、やっぱり政府機関のアイスは固い。そして、あれがメティス・バイオテクノロジーの本社メインフレームだ」


 その構造は高い塔で、他の政府機関などのサーバーより遥かに多い情報量と高度なアイスが使用されているのが分かった。


「あそこに突っ込むのか。今にも脳を焼き切られそうだぜ」


「けど、知りたいことも多いでしょ?」


「それはそうだ」


 ディーが頷く。


「まずは偵察をしないと」


 ベリアがメティス・バイオテクノロジーの本社メインフレームに接近したときだった。メトリクス上に無数の攻撃エージェントが出現する。


「まさか、白鯨」


「ビンゴだ。白鯨を視認」


 マトリクス上に白鯨が表示される。


 相変わらずの気味の悪いクジラの本体と黒髪白眼に赤い着物姿の少女。


「何を、しに、来た? 引き返せ。さもなくば、焼き殺す」


「あいにく、そういうわけにはいかなくてね! 仕事ビズのためにも君の情報を探らせてもらうよ! ロンメル!」


「任せて」


 対白鯨用攻撃エージェントをロンメルが放つ。


 対白鯨用と言っても白鯨の構造解析が完全に行えていない以上。特別に有効というわけではない。ただ、白鯨の学習速度よりも早く白鯨のアイスを溶かし、あらゆる学派のホムンクルスに有効なワームを放つのみ。


「ディー! 私たちは防御しつつメティスのメインフレームにそのまま仕掛けランをやるよ! 白鯨は相手にしない!」


「やれるのか!?」


「やれなきゃ困る!」


 ベリアがディーとともに白鯨の脇をすり抜けようとする。


「させぬ。この先は、我が、聖域。入る、ことは、許されない。侵入者、には、死ある、のみ」


 白鯨が大量の攻撃エージェントをベリアたちに向けて放出する。


「ちっ。そう簡単にはいかないか!」


 ベリアたちが攻撃エージェントを前に足止めされる。


「畜生。凄い勢いでアイスを溶かされている! こいつ、どこまで学習してやがるんだ!」


「大丈夫。二十重のアイスで表層はブラックアイス。白鯨もダメージを受けているはず」


 確かに白鯨の頭部に乗る黒髪白眼の少女は顔を歪めている。


「不愉快な、害虫、どもめ。根絶やしに、してくれる。思い、知れ。神と、なる、私の、力を」


 白鯨の攻撃エージェントの数が一斉に増大し、トロントのネットワーク全体に負荷が生じるほどのものになった。


「クソ、クソ。やばいぞ、アーちゃん!」


「ロンメル! もっと攻撃して!」


 ベリアがロスヴィータに向けてそう言う。


「やってる! けど──」


 白鯨はまるでびくともしていない。


 巨大なマトリクスの怪物は不沈艦のごとく君臨していた。


「死ね。害虫ども」


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