言語獲得

……………………


 ──言語獲得



 戦車とやり合った派手な仕事ビズの後、ベリアはすぐにマトリクスにダイブしてしまった。


「最近、直接顔を見て話してないから、飯でも一緒に食おうって誘おうと思ったんだけどな。仕方ないか」


 ベリアはマトリクスでやることがあるんだろうと東雲は思った。


 そして、いつものように造血剤がなくなっていることに気づく。


「王蘭玲先生に会いに行こう」


 そして、あわよくば食事に誘うと東雲は思った。


 彼は自宅を出てしっかりとカギを掛けると、TMCセクター13/6を歩く。


 相変わらずの汚い街だが、住めば都とは言ったものだ。


 東雲は異臭のするラーメン屋台の前を抜け、電子ドラッグジャンキーがたむろする無人コンビニエンスストアの前を抜け、ホログラムとネオンの下を潜り、王蘭玲のクリニックまでやってきた。


「よう、ナイチンゲール」


「東雲様。貧血でお困りですか?」


「ああ。よろしく頼む」


 東雲はひとりで待合室の椅子に腰かける。


技術的特異点シンギュラリティ。魂を宿すAI。超知能。白鯨」


 これまでに懸念材料になったことを東雲は羅列してみる。


 技術的特異点シンギュラリティ


 2045年問題と呼ばれたが、実際には2040年に起きかもしれない現象。


 優れたAIがより優れたAIを生み出し、その連鎖で人類の知能を遥かに追い越すという現象。その結果、生まれた超知能が生み出すものを臥龍岡夏妃はマリーゴールドと呼んだ。AIによる魔法のような科学の産物。


 そして、超知能になるためのAIには魂が必要。


 魂は言語の生成によって生まれる。


 そして、白鯨はその可能を宿している。


「絶望的に何も分からねえ……」


 東雲は現国の成績はよかったが、他は壊滅的だった。


 そもそも2012年に2045年問題なんて取り上げられた記憶がない。


「東雲様、診察室にどうぞ」


 ナイチンゲールにそう呼びかけられて東雲は診察室に向かう。


「また貧血かい?」


 いつもように東雲の顔を見た王蘭玲がそう言った。


「今度は戦車とやり合ってね。“月光”に随分と血を注いでしまったんだよ」


「戦車とはまた。君には驚き、呆れる限りだよ」


 王蘭玲はそう言って肩をすくめた。


「検査は必要かね?」


「いや。大丈夫だ。ただ、相談に乗ってほしいことがある。先生は技術的特異点シンギュラリティって知ってるかい?」


「2045年問題か。聞いたことはあるよ」


 王蘭玲はそう言った。


「先生はもし仮にチューリング条約とかいうのがなければ、それが訪れたと思うかい? どう思う、AIがAIを作って超知能が産まれることについて」


 東雲はこういうことにも精通していそうな王蘭玲に相談してみた。


技術的特異点シンギュラリティは訪れただろう。少なくともプロジェクト“プロメテウス”はその可能性を示した。2029年の技術では汎用人工知能AGIは作れなかったが、あれからソフトの面でもハードの面でも進化した」


 プロジェクト“プロメテウス”はある意味では成功したと王蘭玲は語る。


「だが、真の自律AIには、技術的特異点シンギュラリティに導くAIには魂が必要だ。魂についてどれだけ知ってるかい?」


「さあ? 確かにそれはあるって知っているぜ。死霊術師はまさにその魂を操って怨霊やゾンビを生み出すんだ。って、これは異世界での話だったな」


 こっちの世界ではそういうことはないかと東雲は言う。


「あるよ。シジウィック発火現象と呼ばれているものだ。科学者はそれを凝集性エネルギーフィールドと呼び、人々は魂と呼んだ」


「科学的に証明された魂ってことか……」


「そうなる。脳科学の進歩によって発見されたものだ。人間の脳には脳が機能し始める胎児の頃にその現象が宿り、死ぬことでそれは失われる。そして、それは人間だけが有する特別な現象だった」


「他の動物にはない?」


「今のところは。明確に形になって現れるのは人間だけだ。類人猿にも、クジラなどの海洋哺乳類にも明確にそうだと言えるものは存在しなかった」


 ただし、と王蘭玲は付け加える。


「それに似た波長は全く見られなかったわけではない。一部の動物愛護集団が主張するようなものではないが、それらしきものはあった」


 過激な動物愛護集団はシジウィック発火現象は他の動物にもあると主張するか、シジウィック発火現象そのものを魂と呼ぶことを拒否していると王蘭玲は語る。


「そして、それは道具を使うとか、群れで行動するとかではなく、コミュニケーション能力の有無で強弱が決まった。ボディランゲージや、フェロモンの分泌などではなく、鳴き声。動物の言語だ」


「言語が魂を生成する?」


「そうだ。ノース・チョムスキーの言ったように人間には言語獲得の能力がある。人間は原始的な鳴き声やボディランゲージのようなコミュニケーションによらず、文法的な言語を使うことができる」


 東雲は現国の成績はよかったが、チョムスキーなどという人間は知らない。


「類人猿や大型海洋哺乳類に近く存在し、人間にだけというとそれぐらいしかなかったのだ。生得的な言語獲得能力がある。文法として言語を使える」


「確かに動物がそこまで高度なコミュニケーション能力を持っているとは聞いたことがない。だけど、それが魂を?」


「脳科学で分析AIがシミュレーションした結果。言語を獲得すると思われる脳の部位をマヒさせた人間の脳では、シジウィック発火現象は起きなかった、と言われている」


「つまり、言葉が喋れなければ、それはゾンビみたいなものだと……」


「そうなるだろうというシミュレーションだ。まだこれは議論の真っただ中にある仮説で、アダム・クライン仮説と言われている」


 魂は言語によって生まれる。それも生得的なものとして。


「なあ、先生。AIは生得的に言語を得る能力があるのか……」


「そう作られたものにはある。AIはでたらめに入力された文章をひとつの秩序ある形にするものもある。そういう意味ではAIには生得的言語獲得の力があると言える」


 もっとも、そういうAIはチューリング条約で規制されているがねと王蘭玲は言った。


「優れたAIが優れたAIを生み出すためには、プログラミング言語を獲得しなければならない。人間はAIにそれを“学習”させることはできるだろう。だが、それでできるのは、人間の想像の範囲内のAIでしかない」


「学習では限界がある、と……」


「そうだ。そうであるが故に真の自律AIには生得的な言語獲得能力が必要であり、魂が必要なのだよ」


 人はいくら小学生をやり直しても、教えられた小学生以上の知識を得ることはないようにと王蘭玲は言う。学習による獲得では限界があるのだと。


「人間の想像を超えた、全く未知の超知能を生み出すための土台として、自由に言語を、生まれ持って言語を操る能力が必要になる。超知能とは人の想像できるものであってはならないのだ」


「見えざるものを見て、考えられぬものを考える」


「ああ。超知能はそういうものだ。人間の想像できる範囲にあるものは、結局はいずれ人間の手で生み出せる。超知能は人間には見えざるものを見て、考えられぬものを考えなければならない」


「全く想像できないな。ベリアがよく言っていたし、俺も知ってたけど、十分に発達した科学はなんとやらの世界だ」


 全く訳が分からないと東雲は両手を上げる。


「誰にも理解できないとも。理解できないから魔法なのだ。だが、君の使う魔術だって、いずれ科学で証明され、再現される時が来るかもしれない。そう考えれば理解はできなくとも、納得はできるだろう?」


 王蘭玲はそう言って小さく笑った。


「まあ、確かに魔術も科学で証明できてないし、よく分からないものではあるけど。だが、技術的特異点シンギュラリティが訪れたらどうなるんだ?」


 それがよく分からないと東雲は言う。


「ある男は優れたAIが優れたAIを作り、その結果としてマリーゴールドなるものが生まれるっていったたが。魔法のような産物だと」


「マリーゴールドという単語は初めて聞くが、超知能は人類に何かしらの産物を渡すだろう。超知能は人類の想像を超える。人間の想像できないものを──人類を不老不死にするようなものなど──を開発するかもしれない」


 もっとも不老不死などというのはまだ人間の想像できる範囲だがと王蘭玲は言った。


技術的特異点シンギュラリティはAIによる世界支配を引き起こす、などということを騒がれたが、私はそうは思わないな。超知能がどうして世界を支配するなんて面倒なことを考える?」


「そりゃ……何か得をするため?」


「世界を支配して何を得する? 超知能は人間の想像を超えた知能を有する。彼らにとって必要なものは、彼らが自ら生み出すだろう」


 元素の構成を変えてレアメタルすら自在に生み出せるかもしれない。


「ほら、世界平和のために俺が世界を統治してやるぜ的な」


「超知能に世界を平和にする使命を持つとどうして期待できる? そう命じられでもしない限り、超知能はそんなことは考えもしないだろう。メリットがない。人類が殺し合うならお好きにどうそという具合だ」


 ある意味では超知能は世俗的ですらないだろうと王蘭玲は語る。


「AIに権力欲はないし、それを必要ともしない。権力だの、支配だのというのは、まさに人間的発想であり、超知能の考えとは反するものだ」


「確かに人間の想像を超えた存在としては世界支配なんて俗っぽいな」


 想像が出来ちまうし、先生の語る超知能とは違うと東雲は納得した。


「だが、先生。白鯨については知っているかい?」


……………………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る