猫耳先生のセキュリティ

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 ──猫耳先生のセキュリティ



 東雲は造血剤を貰いに、王蘭玲のクリニックを訪れていた。


「主様。また血を流さないものばかり斬って。酷い顔色じゃぞ」


「悪い。だが、そういう仕事ビズだったんだ」


 “月光”の化身が言うのに、東雲はそう返した。


「主様。最近では酷い怪我をすることもあって我は心配じゃ。身体能力強化は万能の術ではない。いつか取り返しのつかないことになるのではないか……」


「その時はその時だ。そこまでだったと思うさ。前々からこれぐらいの怪我はしていただろう? ドラゴンと戦ったときなんて凄かったじゃないか」


「ドラゴンは血を流すであろう。主様がこの世界で戦っている相手は血を流さぬものどもばかりではないか。我が身体能力を支えられるとしても限度がある」


「そう心配するな。この世界の敵は確かに血を流さないが、俺には造血剤がある」


 水分さえ欠かさなければ問題ないと東雲は言った。


「じゃが……」


「気にするな。俺は平気だ」


 東雲は王蘭玲のクリニックのドアを開いた。


「ようこそ、東雲様。貧血についてお悩みですか?」


「ああ。前と同じだ」


「畏まりました」


 ナイチンゲールにいつものようにそう言って、東雲は待合室の椅子に腰かける。


「主様よ。一応治療師にちゃんと治療してもらった方がよいぞ。身体能力強化だけでは治療できていない傷もあるかもしれぬからな」


「今回は検査してもらうか。お前は本当に俺のいい相棒だよ」


「我は主様を呪ってしまっているのじゃ。これぐらい」


「そういうな。お前は最高の相棒なんだ。これからもよろしく頼むぜ」


 東雲はそう言って“月光”の頭をポンポンと叩いた。


「だから、童扱いするでない! 我にも誇りというものがあるのだ」


「そうだ。誰にも譲れない誇りってのがあるはずなんだ。それが今の俺にはない。生きるために仕事ビズをして、仕事ビズのために生きている。信念だとかなんだとかはどっかに消えちまった」


 まあ、元からそういうのがあったわけでもないけれどなと東雲は自嘲する。


「そんなことはないぞ。主様は本当に人類の希望として戦っておった。主様自身は自覚がなかったとしても、主様はまさに勇者じゃったのじゃ。人々の希望だったのじゃ」


「それが今では安物チープの殺し屋か」


 俺は本当に人々に希望を与えられていたんだろうかと東雲は呟く。


 自分ほど自己中心的な勇者もいなかっただろう。


 人類の危機にワクワクした冒険心で臨み、ただただ認められるのが楽しくて、功名心のためだけに敵を倒していた。そして、体が衰弱し始めてからは、ただただ生き延びるためだけに戦ってきた。


 魔王を倒せば、もしかしたらと。


「主様は希望じゃったよ。間違いない。あのままでは破滅を迎えそうになっていた世界を救ったのじゃ。主様はその心情がどうであれ、人類の希望そのものじゃった」


 だから、そう自分を卑下するなと“月光”は言った。


「俺は……世界を救ったとか大層なことは考えてない。ただ、自分のために戦ってきたし、世界を救うなんてスケールが大きすぎて想像できなかった。想像力の問題だよな。世界を救ったなんて想像するのは」


 俺はやっぱり勇者としては失格の自己中野郎だよと東雲は言う。


「主様も頑固な男よな。主様は確かに世界を救ったのじゃ。あの旅の仲間たちも誇りに思っていることだろう。今、あの世界は平和になったのじゃから」


「だといいけどな。魔族もそれなりに頑固だったし、和解してくれただろうか……。まあ、今となってはあの冒険の日々が綺麗に見えるよ。腹下したり、食事が合わなかったこともあったけど、あの人々に頼りにされていた」


 それに、と東雲は続ける。


「お前に会えたしな、“月光”」


「我も主様に会えて嬉しく思うぞ」


 “月光”はそう言ってにこりと微笑んだ。


「だからこそ、主様には自分の体を大事にしてほしいのじゃ」


「気を付ける。とはいっても、これからも仕事ビズがこんな感じじゃあ、先行きは暗いがな。せめて、ベリアか王蘭玲先生、そしてお前に看取って欲しいよ」


「縁起でもないこというではない。言霊の力を侮ってはならぬと言ったであろう」


「悪い、悪い。愚痴みたいなものだ」


 東雲と“月光”がそんな話をしていたとき、診察室に呼ばれた。


「また貧血かい?」


 猫耳先生こと王蘭玲が東雲の顔色を見て真っ先にそういう。


「それから内臓の損傷が少々。この相棒を心配させたくないから、一応検査してくれるかい、先生」


「いいとも。君は一度検査を受けるべきだ。もちろん、記録には残さない。だから、安心したまえ」


「じゃあ、頼むよ」


 それから東雲はレントゲンや血液検査を受けた。


「血液は健康そのもの、内臓にもどこにも破損した痕跡はなし。本当に君は怪我をしたのかい?」


「魔術の力さ。いくらでも回復できる」


 脳みそが吹き飛ばされでもしない限りと東雲は言う。


「驚異的としか言えないな。まさに魔術、か」


 興味深いと王蘭玲は言う。


「しかし、やはり貧血気味ではあるね。造血剤はもう使い切ったのだろう?」


「ああ。バカスカ使ちまった」


 アーマードスーツとかいうのの相手もしたしなと東雲が言う。


「まさか、アーマードスーツを生身で?」


「俺に何か他にあるように見えるかい? 俺には俺自身の体と“月光”しかない」


 それからベリアの支援と東雲は言った。


「君は、そして“月光”は正面装甲が30ミリの機関砲弾にも耐えられるアーマードスーツを撃破できるのかね? あれはちょっとした装甲車並みの装甲だよ?」


「撃破したからこうして生きている」


「ふうむ。まさか内臓の損傷というのはガトリングガンで?」


「いいや。グレネード弾だ。凄い爆風が吹き荒れる奴」


「サーモバリック弾だね。それに耐えるとは、いやはや」


 普通の人間なら死んでると王蘭玲は呆れたように言う。


「これでもドラゴンと戦ったときほどじゃない。もちろん、ドラゴンは血を流してくれるから造血剤は必要なかったけれど、奴の鱗はアーマードスーツ並みだったし、空を飛んで火炎放射で攻撃してくる」


 あれを叩き切るのには苦労したと東雲は語る。


「ひとりで戦ったのかい?」


「いいや。あんな怪獣みたいなサイズの奴をひとりで倒すなんて不可能だ」


 王蘭玲が尋ねるのに、東雲がそう言う。


「弓使いのエルフのアズール。奴の強弓はこの世界の銃弾に匹敵する威力だ。戦槌使いのドワーフのアダマン。奴の戦槌はドラゴンすら失神させる。山岳信仰の僧侶のコーラル。奴の魔法は身体能力強化をさらに強力にする」


 思い出深そうに東雲が喋る。


「それからローゼンクロイツ学派の魔術師のゼニス。奴の攻撃魔術は凄まじかった。最大攻撃で放った魔術はクレーターができるくらいだった」


「ローゼンクロイツ学派?」


「魔術師の所属する学派があるのさ。それぞれ得意分野がある。カルネアデス学派ならば付呪。ゼノン学派ならば戦闘。ローゼンクロイツ学派は通信。もっとも、大抵の魔術師はオールマイティにやるがね」


「なるほど」


 王蘭玲は東雲の説明に頷く。


「君は魔術が使えたんだろう? 何学派だったんだい?」


「アヴェスター学派。精霊の力に頼った魔術で、精霊との交信をもっぱら行っていた。この街にも弱弱しいが精霊はいるんだぜ」


「汚染水に水の精霊かな?」


「そう。汚染のせいで精霊もおかしくなってるがね」


 汚染水にウィンディーネとは期待できないだろうと東雲は言う。


「……ところで、先生。ナイチンゲールだが、マトリクスには繋いでいるのかい」


「いいや。あれは完全なスタンドアローンだ。有線無線問わず、マトリクスには繋がれていない。秘密を守るためでもあり、自衛のためでもある」


 ここ最近、どうもアンドロイドが暴走するようだからねと王蘭玲はいう。


「アップデートは……」


「ナイチンゲールに搭載されてるオペレーティングOシステムSはもうとっくにサービス終了でね。自分でセキュリティホールは塞いでいるよ」


「それならよかった」


 東雲の前に現れた白鯨のエージェントのことを思い出す。


 あの少女は明確に東雲に敵意を向けていた。


 そして、白鯨はマトリクス上の怪物だ。マトリクスから現実リアルに干渉し、アンドロイドを暴走させるなりして人を殺せるのだ。


 東雲はそういう攻撃の標的に王蘭玲が巻き込まれないか心配だった。


「私のことを心配する必要はないよ。マトリクスにはもう何年も繋いでいない。白鯨というものが存在しても、私は狙われない」


 王蘭玲が断言したのが、東雲は少し不思議だった。


「まあ、先生も気を付けてくれ。巻き込むようなことになって悪い」


「この手の商売をしているといろいろなことに巻き込まれるものさ。それも報酬の内だと思っている。ヤクザ、チャイニーズマフィア、コリアンギャング。そういうものにも関わっているのだからね」


 厄介ごとには慣れたものさと王蘭玲は言った。


「それより、君の方こそ気を付けたまえよ。白鯨とやらに狙われるとしたら君だろう」


「そうかもな。どうも向こうを怒らせちまったようだ」


 まあ、相手も仕事ビズだと納得したみたいだが、と東雲は言う。


「じゃあ、先生。また今度、下の中華料理屋にでも」


「全く。君も諦めないものだね」


 王蘭玲はそう言って肩をすくめた。


……………………

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