保護//開始

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 ──保護//開始



 東雲はジェーン・ドウに指定されたTMCセクター11/8の住所に向かった。


「もしもし?」


 東雲は中古家電屋の裏口をノックしていた。この中古家電屋こそ、問題の三浦・E・ノアが潜伏している場所なのである。


『チューリングか……』


「俺は国連チューリング条約執行機関だとしてわざわざお前にノックして挨拶してやる義理があると思うか? 必要なら電磁パルスガンかショックガンを持ってくるぞ」


『オーケー。すまない。疑り深さが生き残るコツでね』


 8個の電子キーが開錠する音が響き、装甲車の装甲のような厚みある扉が開いた。


 ちなみに監視カメラは裏口だけで6台だ。固定型と動態探知型のミックス。ここまで来るとパラノイアに近い。


 東雲は電子キーが開いた先で三浦の会った。


「あんたが三浦・E・ノアだな。一応網膜認証を」


「あんたは企業の?」


「ああ。ジェーン・ドウに雇われた。こっちを向いてろ」


 東雲のARデバイスが目の前の人間を三浦と認識する。


「確認した。結構なセキュリティだ、と相棒が言っている」


「おい。うちをハックしたのか?」


「できるような状態にしているのが悪い、だと」


 東雲はそう言って肩をすくめた。


「クソ。どういうハッカーだよ。こっちのアイスを抜くなんて。ブラックアイスだって混じってるんだぞ」


「知るか。俺はマトリクスの専門じゃない。この通り」


「わい。BCI手術を受けてない? 何ができるんだ、あんた……」


「相手を叩き切ってあんたを守ることだよ、コンピューターナード」


「けっ。まあいい。俺は仕事をする」


「マトリクスには繋ぐな」


「分かってる。俺が最近の情勢に全く無知だとでも思ってんのか……」


 富士先端技術研究所からの動きはある程度把握してると三浦は言う。だから、マトリクスを覗かないようにしたのだと。


「ジェーン・ドウはあんたの頭の中にAIのデータがあると言っていたが」


「アークβだろう。ジェーン・ドウはこいつにご執心だ。俺自身もご執心。そして運の悪いことに悪名高い白鯨にも狙われているらしいな」


 そこで三浦がスタンドアローンの端末と自分の脳をBCIポートを通じて接続した。


「あんたは技術的特異点シンギュラリティを信じていたかい」


 BCIポートに何かを突っ込んでいてもマトリクスのようなフルダイブのものでなければ、会話はできるらしい。そう言えば、電子ドラッグジャンキーや、ジェーン・ドウもBCIポートに何か突っ込んだまま会話してたことを思い出す。


技術的特異点シンギュラリティって例の超知能が生まれるって奴か?」


「そう。クソッタレなチューリング条約が締結されることになった、その原因。あんたは優れたAIがより優れたAIを作り、人類にその超知能で魔法のような科学の産物を与えてくれると夢見たことは?」


「ないね。優れたAIは人殺しじゃないか。奴は人間を支配しようとしてのかね」


「ちっ。あの白鯨って奴は超知能に繋がる代物じゃない。ただのボットだ。知能収集用のボット。あいつがいくらAIのデータを食おうが、あいつは超知能にはなれない」


 意地悪く東雲が返すと三浦はそう返す。


「なら、どんなAIなら超知能になれるんだよ」


「それがこの問題の難しいところだ。俺たちは最初AIを人間に近づけることでそれを達成しようとした。チューリングテストがいい例だ」


「チューリングテスト?」


「AIに人間の振りをさせてそれを見抜けるか見抜けないかのテストだ。結局のところ、大勢が予想した超知能も人間の拡張版って印象だ。俺はそれではAIがAIである意味がないと思っている」


「AIがAIである意味、ね……」


「コンピューターのハードと人間の脳は明らかに違うだろう。それぞれ一長一短がある。それを無視して、コンピューターに人間の真似事をさせて、人間の複製を作って。それに何の意味がある?」


 人間がこれ以上欲しいなら、クローンでも作ればいいと三浦は言った。


「じゃあ、あんたは超知能は非人間的だと?」


「ハードに進展がなければな。マトリクスに適応するという面では、確かにあの白鯨って自律AIは上手くやっているよ」


 皮肉気に三浦は語る。


「国連チューリング条約執行機関のサイバー戦部隊を返り討ちにして、マトリクスから現実リアルに影響を及ぼす。連続AI研究者殺人事件。ちゃちでチープな人々が恐れたマトリクスの怪物」


 だが、奴は超知能に向いていないと三浦は言う。


「奴はデータ収集ボットとして有能だけだ。奴が生み出したもの。誰かの模倣品のアイスと誰かの模倣品のアイスブレイカー。確かに奴にはちょっとした知性はあるだろう。チンパンジー程度のな」


 チンパンジーだって猿真似で芸をすると三浦は鼻で笑った。


「そう鼻で笑える存在だったら、あんたにジェーン・ドウが警護を付ける理由が分かるかね……。あんた自身だって白鯨にビビってマトリクスから逃げたんだろう?」


 東雲が呆れたようにそう言う。


「脅威ではある。猿真似でも殺人を真似されたら敵わない。まして、俺のAIのデータは俺の脳のナノインプラントにあるんだ。そいつを焼かれたら、俺の脳みそにも少なくない影響が出る」


「なんでそんなことを? 別の記憶媒体に保存してれば」


「ジェーン・ドウは俺を保護するように命じず、あんたにデバイスの回収だけを命じて、俺を殺すように命令するだろう」


「保険か」


 東雲が呟くように言うのに、三浦が頷く。


「俺を大井統合安全保障のサイバーセキュリティに売ったのは、同志だと思っていた野郎だった。俺の会社を乗っ取りやがったのは、大学時代の友人だった。俺は裏切られなれている。だから、学習もする」


 六大多国籍企業に非合法に関わって、消されない心配をしない奴は間抜けだと三浦は言って東雲を見た。


「あんたらも保険はあるのか?」


「ねえよ、そんなもん。下手にそういうものを持つとジェーン・ドウに気に障る」


 俺たちは従順な飼い犬を演じるともと東雲は言った。


「あんた、早死にするぞ……」


「生きるために仕事ビズをして、仕事ビズのために生きる。ずっとこの輪の中から出れないなら早死にしたって未練はねえよ」


 まあ、なんだかんだで殺されたくはないがと東雲は言う。


「あんたも難儀だな。趣味を持ちな、趣味を。そうすればそれが生き甲斐になる」


「年寄りみたいな話だ。生き甲斐とは。だが、懐古ゲーを集めるのは趣味になると思うかい。俺は見ての通りBCI手術も受けてない。やるなら昔ながらのゲームだ」


「それならいいものがある。昔の8Kテレビだ。今どきテレビで映画やドラマを見る人間なんていないから安いぞ」


「そいつはありがたいな。昔のゲーム機もないか?」


「いくつかある。後で見繕ってやるよ」


「頼むぜ」


 東雲は少し生きる希望が湧いて来た。


「しかし、あんたは何でBCI手術を受けないんだ?」


「生理的嫌悪感。医者が言うにはテクノフォビアだと」


「おいおい。ハートショックデバイスとか信じてる陰謀論者じゃないだろうな?」


「ナノマシンも、BCI手術も遠慮したいだけさ。小さな機械を入れたり、脳みそに直接ケーブルを繋ぐように体を弄るなんてぞっとする」


 東雲はそう言って身震いした。


「テクノフォビア、ねえ。2050年代の人間でその手の人間は宗教上の理由か、反生体改造主義者か、陰謀論者か。まあ、俺を守れるだけの実力はあるんだろう?」


「戦闘用アンドロイド6体を相手にしたこともある」


「マジかよ。未改造のサイバーサムライ? いや、それはただのサムライか」


 三浦はどうでもいいことで悩みながら、コードを書いていた。


「なあ、あんたはマトリクスの幽霊って知ってるか?」


「この業界にいてそのことを知らないんはモグリだぜ」


 もちろん、知っていると三浦が言う。


「マトリクスの幽霊がこの事態を予想していたとしたら驚くか?」


「確かに驚くが、同時に納得もする」


「どうしてだ?」


「マトリクスの幽霊が神業の持ち主だからさ」


 知っているか、マトリクスの幽霊は誰の侵入も許さないはずの日本情報軍のサーバーに仕掛けランをして見事成功させたらしいんだぜと三浦は語る。


 その他にも六大多国籍企業を相手に連中を出し抜いたり、東南アジア某国の軍事政権のプロパガンダ放送をジャックしたりしたと三浦は語る。


「どこまでが信頼できる情報なんだ……」


「全部と言いたいが、いくつかは真犯人が捕まっている。だが、それでも真っ先に疑われるくらいマトリクスの幽霊は神出鬼没だ」


 そう三浦は語った。


 まるで子供がスーパーヒーローについて語るくらい情熱的に。


「あんた、まるで子供みたいだぜ」


「そりゃあ、俺のヒーローだからな。この道に、アングラハッカーの道に憧れたのはマトリクスの幽霊の情報を聞いてからだ。それぐらい、マトリクスの幽霊は俺にとって重要な存在なんだよ」


 今でも活躍聞くたびにワクワクしていたと三浦は語る。


「それがあんたの趣味、か」


「ああ。今はマトリクスに潜れないが、またマトリクスに潜れるようになったら、この騒動の間のマトリクスの幽霊について調べまくるつもりだ」


「それがあんたの人生なんだな」


 東雲は無邪気そうな三浦を見て少し羨ましかった。


 今の自分にはそこまで熱狂できるものがない。王蘭玲先生は脈なしだ。これからも懲りずに誘ってみるが、無駄だと分かるような線が王蘭玲先生にあった。


「ところで当然、アンドロイドの類は処理したよな?」


「ああ。全てな。愛着の湧いていた奴もあったが全て処理した」


「そうかい。なら、いい。俺の仕事のようだ」


 監視カメラの映像には──。


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