TMCセクター5/2──秋葉原
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──TMCセクター5/2──秋葉原
東雲とベリアは懸命に
それから金を貯めて、ようやく安住の地を手にした。
家賃が月50新円のアパートを借りたのだ。
部屋は広くはなかったが、ベリアが2万新円のハイエンドサイバーデッキを購入するとさらに狭苦しくなった。
アパートは1LDKで、東雲はリビングに布団を持ち込んで寝ていた。
空き部屋にはベリアのサイバーデッキがあって、月80新円の回線契約を結んだ。
まさかアパート代より回線代の方が高くなるとは思わなかったが、このアパートの住民のほとんどは外国人で、騒音が酷かったりしたので納得した。騒音が慣れたが、インド人労働者の作るカレーの匂いには悩まされた。腹が減るのだ。
あれを奪え。あれを壊せ。そういう付随する目的は付き始めていた。
だが、ベリアがマトリクスに慣れたことで、仕事は格段にやりやすくなった。
まず偽装IDの費用が必要なくなったこと。
ベリアが総務省のサーバーに潜り込んで、偽装IDを獲得するようになった。
次に目標がどんな人間なのか。そして、どう行動するかが分かりやすくなった。
ベリアがマトリクス上でデータを集め、ジェーン・ドウが寄越す情報よりも詳細なデータを手に入れられるようになったからだ。
ベリアはマトリクス上で友達が多くできたらしく、マトリクスに潜ったまま過ごす日が多くなった。それが東雲には少し寂しかった。
「ふう。マトリクスのことは大体わかったよ」
夕食の時間にベリアが起きてくる。夕食は中華のテイクアウト。それかインド料理のテクアウト。そればかりである。
「マトリクスはそんなに楽しいか?」
「すっごい楽しい。東雲もBCI手術受けた方がいいよ」
「嫌だ。それより、何か方法はないのか。お前がマトリクスに潜っている間、こっちからお前に連絡を取る方法」
急な
「ARをオンラインにすればいいんだよ」
「そのためにはBCI手術が必要になるだろ?」
「ううん。新しいタイプのARグラスやARコンタクトレンズはワイヤレス7BCIの電波のない場所でもオンラインで作業できるようになってるし、常日頃からオンラインにできる」
できることは限定的だけどとベリアが言う。
「へえ。なんだBCI手術しなくたってネットできるんじゃないか」
「けど、マトリクスには潜れないし、ゲームもできない。オンライン配信なんかもできないよ。私はもうやってるけどね」
「おい。金を無駄遣いするな」
「失礼だなあ。収益出てるんだよ?」
今は月に60新円程度だけどとベリアが言う。
「で、その新しいタイプのARデバイスはいくらするんだ?」
「600新円ぐらい。すぐ出せる?」
「出せないことはない。倹約してきたからな」
東雲たちは稼ぎのほとんどを貯蓄してきた。無駄な金を使って派出に遊ぶことはしていない……はずである。
「じゃあ、通販で買っておくね」
「なあ、たまには外に出ないか?」
ここ最近のベリアはマトリクスに潜りっぱなしで、東雲としては寂しいのだ。
「別にいいけど。けど、TMCセクター5/2までいかなきゃいけないよ」
「かつての秋葉原か……。別にいいぞ。電車で行こう」
「分かった。支度してくる」
東雲とベリアは準備を済ませると、TMCセクター5/2──かつては秋葉原と呼ばれた場所に向かっていった。
秋葉原も様子は様変わりしていた。もっとも街としての方向性はあまり変わっていない。テクノロジーが進化しただけだ。
ホログラムの看板。ARの広告。本当に猫耳が生えたメイド喫茶の店員。
聞いたが、多くの接客は人間ではなく、アンドロイドがやっているらしい。あの海宮市シティビルの案内ボットも、猫耳先生こと王蘭玲のクリニックの受付も、全てアンドロイドが行っているらしい。
秋葉原にもアンドロイドカフェというのが多く見られた。だが、昔ながらの人間が接客するお店の人気も衰えていない。
それから電子街としての側面も維持されている。
ARにはサイバーデッキやBCIの無線ルーターなどの宣伝が流れてくる。
「BCIの無線ルーター欲しいなあ」
「外でまでマトリクスに潜る気かよ」
「うん。楽しくて、楽しくて。情報がどばあって流れてくるんだよ」
「気を付けろよ。フィッシング詐欺とか、ブラクラとかあるからな」
「
氷が何の役に立つんだ? と東雲は思ったが、何かの用語なのだろうと考えた。
「実を言うとね。ハッキングもやってるんだ」
「マジかよ」
声を潜めてベリアが言うのに東雲が驚いて見せた。
「本当。ネットで出会った人に教えてもらってちょっとね。今では自分でアイスブレイカーも作れるし、今は自己防衛用のAIも作ってるところ」
「おいおい。それは凄いじゃないか」
AIなんて専門の訓練を受けた技術者しか作れないものだとばかり思っていた。
「まあ、見ててご覧よ。そのうちびっくりするようなのができるから」
ベリアはそう言ってにやりと笑うと、東雲のためのARデバイスを買いに向かった。
ARデバイスは確かに最近のものはネット接続可能と書いてある。
東雲はコンタクトレンズタイプのものを購入し、データの移行はベリアにやってもらうことにした。
「じゃあ、用事も終わったし、帰る?」
「どうせならメイドカフェ見ていかないか? せっかく秋葉原まで来たんだし」
「TMCセクター5/2」
「そうだよ。でも、昔は秋葉原って呼ばれたんだ。いいだろ?」
「分かった。寄っていこう。興味あるしね」
東雲たちが選んだのは本物の猫耳を謳ったメイドカフェだった。
「いらっしゃいませ、ご主人様ー!」
「うお。マジで猫耳だ」
猫耳先生のときも驚かされたが、こちらも全て頭頂部から猫耳が生えている。被り物の類ではないのはよく分かった。
「お姉さんたちも遺伝子改変細胞を?」
「ええ。ここにいるのは同好の士たちですよ」
ベリアが尋ねるのにメイドカフェのメイドが猫耳をピコピコと動かした。
これは確かに本物だ。
「では、お席にご案内します」
東雲たちは咳に案内され、アイスコーヒーとオムライスを頼んだ。
テレビで見た美味しくなーれの儀式までまだ残っていたことには驚かされたが。
「世の中、不思議なものだな。首に穴開けるBCI手術を受けたり、猫耳を生やしたり。俺の知っている世界じゃなくなっちまったよ」
「そろそろ慣れなきゃ。じゃないと、いつまでもローテク君だよ」
「お前は完全に異世界から飛んできただろうから気にならないだろうが、ここは俺の故郷だった場所だぞ。そう簡単に割り切れるかよ」
こうやってかつての面影が残っているとなおさら望郷の念が強くなる。
2012年の、あの頃に戻りたいものだ。
だが、今は同逆立ちしてもバク転しても2050年。
東雲は故郷の地にいるにもかかわらず、故郷の地にいない気分だった。
「君だってある意味では異世界から来たようなものじゃないか。40年ほどの月日というのは、進歩著しいこの世界においては異世界になるに相応しい時間だろう?」
「まあ、そうかもしれないな」
そう言いながら東雲はアイスコーヒーを飲んだ。合成品と分かる味だった。ちょっとした化学薬品臭がし、舌を刺激する味。
「君もBCI手術受けなよ。異世界に来たら異世界の習わしに従うものだろう?」
「断固として拒否する」
「やれやれ。その呪われた“月光”を扱うのは良くて、BCI手術はダメなんてね」
とんだダブルスタンダードだよとベリアが呆れるようにそう言う。
「こいつを扱っても脳にカビは入ったりしないからな」
「カビが入るのは稀な話だって。君、大げさすぎだよ? BCIポートからマトリクスに繋がったときのあの何とも言えない快楽は病みつきになるよ」
「おい。まさか電子ドラッグやってるんじゃないだろうな?」
「やってない、やってない。その必要がないくらい、マトリクスを自由に動き回るってのは快感だもの」
それから十分ほど喋って、東雲たちは帰宅した。
ARデバイスをチェックしたが、ちゃんとベリアに繋がった。
「お前、ネット上でそんな格好しているのか?」
「いいでしょ? 頑張って作ったんだよ」
ベリアはゴスロリドレスを纏った少女姿だった。
「まあ、別にいいけど」
これでベリアがダイブしている間にも、連絡が取れると東雲は少し安堵した。
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