猫耳だ
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──猫耳だ
TMCセクター13/6に戻って来た。
その時にはすっかり東雲も、このセクター13/6で通じる服装になっていた。
合成繊維のジャケット、ラフなスーツ。セクター13/6では違和感のかけらもない。
ただ、ベリアの方はもっとガーリーな服装がいいと言い、合成繊維のジャンパースカートとブラウスを選んでいた。こちらはこちらでどこかの学校の生徒のようだ。
そして、ふたりはTMCセクター13/6にある診療所を訪れていた。
龍門内科・外科・精神科クリニック。
滅茶苦茶だと東雲は思う。
どう考えてもそんなに医者がいるような大きな病院には見えない。
だが、紹介されたのは間違いなくここだ。信頼できるのだろう。
東雲たちは1階が“中華”“絶品”“合成”と書かれたネオンの看板がかかった雑居ビルの2階に上がる。
そして、龍門内科・外科・精神科クリニックと書かれた看板の扉を開く。
「いらっしゃいませ、患者様」
あの海宮市シティビル海宮にいた男と、そしてジェーン・ドウの車を運転していた男と同じような、貼り付いたような笑みを浮かべた女性がやってきた。
「問診票にご記入ください」
問診票だろうタブレット端末が手渡された。
「体温を測らせていただきます」
そう言ってピッとベリアの額から体温を測った。
「36.4」
そう言って、女性は受付に戻った。
「ワクチンってどれも聞いたことないんだけど」
「適当に書いとけ」
心肺症候性出血熱だとか、ナノマシンアレルギー性肝炎だとか聞いたこともないような病名が並んでいたが、どれもワクチンを打ったことにしておいた。
どうせ魔王であるベリアがこの手の病気に感染することはないのだ。
「書き終えたけど」
「はい。お待ちください」
待合室にはベリアと東雲以外には誰もいなかった。
「本日はBCI手術をご希望ですか?」
「そう」
「それではBCI手術に関する注意事項と承諾書にサインをお願いします」
またしてもタブレット端末が渡される。
「『BCI手術はごくまれに中枢神経系を傷つける恐れがあり……』って。これ、何ぺージあるの?」
「一応全部読め」
「はーい」
ベリアは10ページあまりのBCI手術のリスクと副作用について読んだ。
「脳にカビが侵入する可能性もあるんだってさ」
「うげえ」
東雲は絶対にBCI手術は受けまいと決意した。
「よし。承諾書にサインしたよ」
「暫くお待ちください」
暫くすると明らかに堅気じゃない入れ墨の入った男が右腕を抱えて出て来た。
「世話になりやした」
「お大事になさってください」
刺青の男は一礼すると立ち去っていった。
「では、診察室にどうぞ」
女性が案内するのに東雲とベリアは立ち上がる。
「ひとりで大丈夫だよ」
「念のため」
ベリアが言うのに東雲がそう返す。
「次の患者さーん」
ダウナーな若い女性の声が響き、東雲たちが診察室に入る。
「ん。BCI手術受けるのはどっちだい? 両方かい?」
「ね、猫耳……?」
女医がいた。
20代中ごろの若い女性の女医で、スレンダーな体型をしており、服装は清潔感のあるスクラブにパンツ。髪の毛は明るい金髪。
だが、注目すべきはその金髪を同じ色をした頭頂部に生えた猫耳だった。
「猫耳だが、何か? 君は反生体改造主義者かな?」
「い、いや。猫耳?」
「珍しいかい。ファッション整形だよ。自分の細胞からイエネコの遺伝子をプラスミドで導入し、発現させて、猫耳を形成しただけだ。本物の猫から耳を千切って来たわけではないから、そう驚いた顔で見つめるのはやめてもらえるだろうか?」
「あ、ああ。失礼」
ジト目で猫耳女医が東雲を見るのに東雲が視線を移す。
「私は
猫耳女医──王蘭玲がそう言って、先ほどの問診票を見る。
「ワクチン接種は嘘だろう。いくつかのワクチンは深刻な後遺症が残る」
「問題ないですから」
「まあ、いい。君たちの立場を問わないのも、このクリニックのいいところでね。
まともな医療すらないのかと東雲は些か落胆した。
「さて、BCI手術は誰が受けるんだい?」
「私だよ」
「ふむ。BCI手術の適正年齢は18歳以上なのだが」
「18歳の誕生日のこの間迎えたよ」
ベリアはどう見ても13、14歳ごろの年齢にしか見えない。
「そういうことなら、そういうことにしておこう。親類に電子ドラッグ中毒者は?」
「いない」
「結構。この手の要素は遺伝しやすいと言われている」
問診票を王蘭玲がチェックしていく。
「問題はなさそうだが、一応MRIを。安心したまえ。これも手術料に含まれている」
今の東雲たちは無保険なのだ。あまり高い検査を受けると財布が不味いことになる。
「検査を終えたら、手術だ。何、BCI手術なんて大人になれば誰でも受けるものだ。盲腸の手術よりリスクは低い」
王蘭玲はそう言って、検査室にベリアを連れて行く。
「後はひとりで大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫。何かあったら呼ぶから」
「分かった」
それから待合室に戻り、東雲は置いてあった紙媒体のマンガ本を手に取った。もっとも新しいものでも2035年。それ以降は紙媒体のマンガ本は出版されていないらしい。
いや、ここに置いてないだけで売ってはあるのかもしれないと儚い願いを託した。
娯楽という面からも異世界は最悪だった。
マンガもテレビもない。インターネットもない。吟遊詩人のよく分からない歌だけが唯一の娯楽といったところだった。
だが、こっちの世界でも苦労しそうだと思った。
ここでは何でもかんでもBCI手術が前提になってる。
それから数時間経っただろう。他に患者は来ず、時間だけが過ぎていく。
「終わったよー」
そこでようやく診察室からベリアが出て来た。
「ナノマシンが適合するまで3時間かかる。それが済めばマトリクスに繋げる」
診察室の外で王蘭玲が東雲にも聞こえるようにそう言う。
「BCIポートの保護用のカバーはサービスだ。シャワーなどで塗れても構わないが、汚染された液体は浴びない方がいい」
「了解」
そう言ってベリアが東雲の下に走ってくる。
「ほらほら。BCIポートできたよ」
「うげ。気持ち悪っ」
「酷いなあ」
首の後ろにBCIポートが穿たれていたのを見て、思わず東雲が仰け反る。
「さて、手術代だが7000新円だ」
「こいつで」
「確かに」
いくつかのチップを渡し、そこから受付の女性が会計を済ませた。
「術後14日間までは副反応を無料で診察するから覚えておきたまえ。それでは」
東雲たちは王蘭玲に見送られて、クリニックを出た。
「早速ネットにつないでみるか?」
「マトリクスっていうんだよ」
「今はインターネットってのはなくなっちまったのか?」
「インターネット上の空間のことをマトリクスって呼ぶんだよ。昔はディスプレイで見ていたものを、直接脳に繋いで見る。その空間のことをマトリクスって呼ぶんだ」
「もうそんなに覚えたのか?」
「手術中に猫耳先生が教えてくれたから」
ということは部分麻酔であのBCIポートを開けたのかと思って東雲は身震いした。
「3時間後にはネットカフェに入ってみるか。それまではまた
「頼っていいよ、ローテク君」
「ちっ」
ベリアにもローテク扱いされて思わず舌打ちが出た。
「君もBCI手術、受ければいいのに。お金が貯まってからだけど」
「いいや。俺は絶対脳みそを直接ネットに繋いだりしない」
東雲はそう宣言して、セクター13/6を進み、棺桶ホテルにチェックインした。
後で本屋──まだそれが存在するならば──を覗いてみようと東雲は思った。
いや、ネットカフェならばマンガもあるかなとそう思いつつ、東雲は棺桶の中でぼんやりと考えを巡らせた。
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