2 先輩と俺

*物語の中でキャラを紹介するのって、すごく難しいですね。





 ――報告書は火曜日の朝イチで送ればヨシ、と。


 三連休を控えた終末。

 就業時間を過ぎた営業部のフロアは閑散としていて、残っているのは音成智久を入れて数人しかいない。ノートパソコンを閉じた音成がビジネスリュックを肩にかけて立ち上がると、向かいの席から山川先輩が声をかけてきた。


「音成ー。ウチさ、今日嫁いないんだよね。メシがてら、サクッと一杯行かね?」


 なんとなく誘われる予感があったので思わず笑ってしまった。


「先輩のおごりですか?」


「無理」


「嘘ですよ。先輩、また小遣い減らされたんでしょう?」


「そーだよ、だから割り勘な。ごめん、5分待って」


 山川先輩は大学のサークルの先輩で、就活で迷走していた俺をこの建設会社に引っ張ってくれた恩人だ。入社後は先輩と同じ個人向け注文住宅を扱う部署に配属された。新人のころは指導係として散々世話になった。


 先輩は学生の頃からお金にルーズで、いつも金欠だピンチだと大騒ぎしていた。ダメな自分を理解していた先輩は、結婚後は給料の全てをしっかり者の奥さんに預けた。

 小遣いが少ない足りないとボヤきつつも嬉しそうに奥さんの尻に敷かれている。


 ふたつ年上でバドミントンサークルのまとめ役の一人だった先輩は、自然と俺たち新入生の世話をすることが多かった。朗らかで細かいことを言わない大雑把な性格だが、ちゃんと周囲を見ている配慮の人。些細なことでも真面目に楽しむ先輩の周囲は笑い声に溢れていた。


 一緒にいると楽しいだろうなぁと思った。

 ある日軽い気持ちで好意を伝えたみた。先輩の反応を試してやろう、そんな意地悪な気持ちもあったと思う。


『先輩、俺の彼氏になってくれませんか?』


『え? か、彼氏⁉︎』


『はい彼氏です』


『彼氏――……』


 先輩は、突然の告白に絶句した。驚くことは想定内だ。

 先輩は俺の言葉の意味を理解した後、眉を寄せて俯いた。しばらく沈黙したあと顔を上げて言った。その表情から、フラれるとわかった。

 気まずくなったらサークルを辞めればいいや。


『悪い。俺はお前の彼氏にはなれない。男は恋愛対象じゃないから。理解できないけどお前を気持ち悪いとも思わないし、好意を持ってくれたことは素直に嬉しいし。これまでと同じ付き合いじゃだめか?』


 言葉を選びながら、俺に気を使いながら正直に話してくれた。先輩から嫌悪や好奇や蔑む様子は感じなかった。この人は信用していいと思った。

 その後も先輩は態度を変えることなく接してくれた。

 俺はサークルを辞めなかった。

 先輩とは、トータルすると10年近いつきあいになる。俺の数少ない友人の一人として、今でも良好な関係が続いている。




 先輩とエレベーターで一階に降りた。エントランス横に集まっているメンツを見て後悔した。階段で降りて通用口に行けば良かったと。


 ――帰ったんじゃないのかよメス豚


 思わず本音が出た。隣の先輩には聞こえたかもしれない。

 そこにいたのは営業補助の三人のお姉様方。ひと昔前ならお局様か。 

 彼女たちは、例えるなら獲物を狙う肉食獣だ。そこそこ出世しそうで顔も平均程度の若い男性社員の誰かを堕とすべく日々奮闘している……いい迷惑だ。

 正直、必要以上に関わりたくない。が、敵に回すと業務上支障が出かねず面倒なので円満な関係をキープしたい。距離の取り方には注意が必要だ。仕方なくこちらから声をかけた。


「お疲れ様です」


「あ、音成くんだ。お疲れ様ー。ねえねえ〜。これから駅の向こうに新しくできたイタリアンバルに行こうかって話してて〜。せっかくだから一緒に行かな〜い? ね?」


 いち早く俺に気付いたメス豚Aがやたら語尾を伸ばして話しかけてきた。真っ赤な唇が作る微笑は魔女のようだ。


――行くわけねーだろバーカ。早く失せろよ


 心のなかで悪態をついてるなんて、おくびにも出さない。

 メス豚Bが、奥さんのいる先輩を完全にスルーして俺に近づき、するりと腕を絡めてきた。豊満な胸を誇示するようにさりげなく肘に押しつけてきた。どお? そっちのお誘い込みの下心が丸見えで、媚びるように見上げる表情は醜い。寒気で背筋がゾワッとした。全身に鳥肌が立ち表情筋が硬直した。


「可愛いー、照れてる。ね、明日は休みだし……」


 ――照れてね―よ。おめーのブヨブヨした肉がキモいんだ! 


 悲鳴を表に出さず強引に頬を緩めた。なんとか笑顔をつくり、さりげなく腕を外して距離をとった。


「すみません。今日は先輩と約束があるので」


「えー。仕方ないから山川も一緒に来ていいよ」


 ――おーい、日本語通じてるか⁉︎


 助けを求めてチラリと先輩をみた。分かってるよ、と無言の返答に安堵した。


「ダメダメ。仕事の話もあるんだよ。音成が抱えてる案件知ってんだろ。去れ去れ。音成『三つ葉』に行こう。あそこなら間違ってもあいつらは来ないし」


 ブヒブヒうるさいメス豚3匹にすみませんと頭を下げた。ご一緒できなくて残念です、という演技も忘れない。

 ハンターから逃れ、先輩と二人で外に出た。

 今年は残暑が厳しいらしい。日は落ちたもののオフィス街はアスファルトに蓄積された熱が空中に放たれ続けていて、ビルの間を抜ける風は生ぬるい。


 『三つ葉』は、駅の近くの古い雑居ビルの3階にある小さな居酒屋で、手拭いで頭を覆った年齢不詳のオヤジが二人で切り盛りしている。

 店内は分煙とは程遠くうっすら曇っていて、壁にはいつから貼ってあるのかわからない黄ばんだメニューが並んでいる。

 小汚いこの店は、この界隈のサラリーマンの間では有名だ。地酒の種類が豊富で日本酒好きも大満足だし、なにより手頃な値段で美味いものが食えるのでいつも混んでいる。座り心地の良くない年代物のガタつく丸椅子はいつも満席で、今日も見覚えのある常連客が何人もいた。

 待たずにカウンターに座れたのはラッキーだった。


 いつものとおり、食いしん坊の先輩が自分の食べたいものを次々と注文する。枝豆に揚げ餃子に焼き鳥が数種類、トリの軟骨揚げにチヂミ。奥さんの指示で、最近は必ず野菜を頼むようになった。今日は小松菜の煮浸しとコールスローだ。

 そして俺は毎回必ずポテトサラダを頼む。

 先輩が最初の注文でビールを2杯注文するのもいつものこと。俺がジョッキ半分も空けないうちに、先輩はすでに2杯目に口をつけている。このあと日本酒にいくはずだ。

 相変わらずペース早すぎだろ。


「先輩、さっき助かりました。一人じゃなくてホント良かったー。それにしても、くっさ‼︎ アイツら、香水つけすぎだよバーカ」


「相変わらず見事な豹変っぷりだな。『照れてる、可愛い〜♡』だってさ。どうする?」


「女はいりません。臭いメス豚なんて友達でも論外です」


「はは、だよな。てかさーお前、前より表裏激しくない?」


「俺は元々こーですよ。先輩相手に隠す必要ないし。仕事は優しい陽キャで頑張ってるでしょ」


「まあな。その調子でキープしてくれ。そうだ、週明け迫崎さんとこ行くんだっけ? 俺、時間取れそうだから一緒に行く?」


「ああ。書類渡すだけなんで、大丈夫です」


 今俺が担当する施主のなかでもずば抜けて厄介な客が迫崎さんだ。半年の間に担当替えが異例の二回。前任者は俺の後輩だが知識も経験も十分な二人だった。

 一人目は迫崎さんから担当を変えろと要望があった。二人目は迫崎さんに振り回されて体調を崩して、今も休養している。

 俺が三人目として引き継いだのだが、予想以上にクセのある最高に面倒くさい客だった。

 些細なことに嫌味を言う。こちらを試すように到底無理な要望を示し、何かにつけて努力が足りないと詰る、など挙げるときりがない。

 馬耳東風と聞き流し淡々と対応していた。新卒新人と言っても通じる外見のため舐められていたのか、言いなりだと思われていたのか。

 俺が自身の保険の意味でやり取りを録音しているとは思っていないだろう。


「腕の調子はどおよ?」


「もう治りましたよ。痛みも全然ないですし」


 ワイシャツの袖をまくって左腕を先輩の前に差し出した。手首から肘に、わずかに色の違うところがある。


 2ヶ月ほど前のこと。

 あの日も打ち合わせのため、迫崎さん宅に出向いていた。俺は数日間残業が続いていて、疲労と寝不足と微熱で体調が悪く、迫崎さんの口撃をさらりとやり過ごすことができなかった。

 鬱陶しいな……クソが。


『いい加減にしてください。私ではこれ以上迫崎様の要望にお応えできません。担当を変えるか、いっそハウスメーカーを変えてください。私に対するクレームは直接会社にどうぞ』


 我慢の限界だ、クビにするならしろと思った。喧嘩を売るように真正面から言った。言ってやった。

 一瞬の爽快感と達成感の後、やってしまったという後悔で頭が真っ白になった。小心者な部分を再認識して嫌になる。


 言いなりだと思っていた相手から反撃されて、迫崎さんは激昂した。顔を真っ赤にしてソファから立ち上がり、手元にあったティーカップを中身ごと俺に投げつけた。

 一瞬のことだった。運悪く奥さんが出してくれたばかりの熱湯だった。

 俺はとっさに左手で顔を庇った。腕にビリリと痛みが走った。ワイシャツは紅茶色に染まった。まだ2回しか着ていなかったのに。 


 迫崎さんは逃げるように……ではなく逃げたのだ。さっさと居間を出て行った。

 奥さんもかなり不思議な人で、口に手を当てて『あら大変』と言っただけだった。

 居合わせた息子が慌てて洗面所に連れて行ってくれた。タオルを借り、流水で腕を冷やしていると、使ってくださいと自分のシャツを持ってきてくれた。

 父がすみませんと小さな声で謝った。

 彼は何も悪くないのに、不運だったよな。


「あの時はホント驚いたよな―。ひどい痣にならなくて良かった」


「あっちもマズイと思ったんでしょうね。結局クレームもなかったし。お陰様で、というか怪我の功名? とりあえず、罵倒されることはなくなりました。まあ大丈夫ですよ、多分」


 そういえば……。


「先輩。迫崎さんの息子さんにシャツ借りたままなんです。やっぱり新品を買って返したほうがいいんですかね」


「クリーニングでいいんじゃないの?」


「一応ブランドなんですよね」


「んー。お前の気の済むようにすれば? ちょ、トイレ」


 返すのすっかり忘れてたし、息子ちゃんにはいい迷惑だったし。やっぱり新品で返すかな……。

 

 ポロリン♪

 胸ポケットのスマホから聞きなれたLINEの通知音。ショウくんからのメッセージだった。

『明日会えますか?』




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