第四章――襲撃④※少々流血表現が続きます――
「はなっ、せっ!」
振りほどこうともがくが、そもそもの体勢が悪くずるずると引きずられてしまう。
仰向けになり頭を起こすと、見張りがトルヴァに馬乗りになっているところだった。足をばたつかせても身を捩っても、なすすべが無い。
「トルヴァぁ!」
どこかでボズゥが叫んでいる。
すると見張りは剣を振り下ろす直前に、祈りのような動作をした。
「――女神の
それがトルヴァの生死を分けた。
木立の頭上から雪を振り落としながら、灰色の毛玉が降ってきた。と思ったら、落雪の冷たさを感じる間もなく、トルヴァの顔面にばしゃりと生温かい物がかかる。それは、見張りの喉元から噴き出していた。
見張りが慌てて喉元を押さえるが、口からも鼻からも血が溢れ出して止まらない。ごぼごぼと血泡を吹き目を白黒させている見張りは、もはや戦意も剣も取り落としていた――
そんな見張りに肩車をしてもらうような体勢で、フェンリルが張り付いていた。
フェンリルは、見張りの喉元を裂いたであろう短剣をくるりと回転させると、相手の耳に突き立てた。
見張りはぐるんと白眼を向き、力なく両腕を落とす。そのままトルヴァに倒れ込んできたが――覆いかぶさる前に止まった。傾いだ首から、ぼたぼたと血が落ちてくる。
倒れる見張りから素早く飛び下りたフェンリルが、その首根っこを掴んでトルヴァの真横に引きずり倒す。
次に視界に入ってきたのは、情けない顔のボズゥだった。
「おい、大丈夫かぁトルヴァぁ?」
「大丈夫そうに、見える゛か?」
返り血を浴びたトルヴァは、大変凄惨な見た目になっていた。
「お前、今日、オレが、何回死んだと思う゛……?」
「いいい、いま縄切るからさぁ!」
ボズゥに支えられて身体を起こしたトルヴァは、激しく咳きこんだ。もはや口内の血がどちらの物かわからない。考えたくも無い。
わずかに湯気を昇らせる見張りの死体を一瞥して前を向くと、フェンリルと戦士が睨みあっていた。
戦士たちからすれば襲撃されるのはこれが二度目だ。トルヴァとボズゥを捕らえた際、逃げ去るダインに矢を射っていたし、他の仲間の存在を危惧していたはずである。
戦士たちは距離をとりこちらの様子を窺っていた。はた目からすればフェンリルと戦士たちには、それこそ大人と子供くらい体格の差があった。この戦士たちに比べたら、見張りはずっと細身だったといえる。
戦士は皮の外套に長剣。上背があり、良く鍛えられた大柄な体。一方のフェンリルは小柄で細身で、構えている得物ときたら短剣だ。
これならまだ、万全状態のトルヴァの方が勝ち目があるように思えた。
向こうもそれはわかっているはずだが、身構えたまま動こうとはしない。奇襲とは言え仲間を瞬殺したフェンリルを、多少なりとも警戒しているようだ。
「フェンリルが来たならもう安心だってぇ、なぁ?」
ボズゥは何やら嬉しそうだったが――トルヴァはいち早く異変に気づいていた。
足元から短剣を握る指先まで。
フェンリルは、隠しようがないほど震えていた。
はっはっという荒い呼吸音に混じり、かちかちと、火打石を打ち合っているような音が聞こえてくる。それが、フェンリルの口から鳴っているものと気づくのに、それほど時間はかからなかった。
歯の根が合わないほどの震えなのだ。
「……なんか変だ」
よっぽど急いで来たのだとしても、妙な雰囲気だった。これまで見たことがない兄貴分の尋常ならざる様子に、トルヴァはボズゥほど楽観的になれなかった。
「――ヴァナヘイム」
やっと絞り出したかのような、消えそうに震える声でフェンリルがささやいた。
「ヴァナヘイム、この言葉に聞き覚えは無いか?」
次の問いかけはもう少し声を張ったものだったが、戦士は答えなかった。
トルヴァとボズゥはどちらからともなく視線を交わし合い、首を振る。二人とも聞き覚えの無い、古い響きを持つ言葉だった。
「ヴァナ、なんとかぁ? どういう意味だぁ?」
「なんだっけな、あんまり聞きとれなかった……」
二人はひそひそと確認し合った。なんにせよ、何かが妙だった。
しかし双方の睨みあいはそれほど長い時間では無かった。
質問に答えず微動だにしない戦士に対し、フェンリルは嘲笑するような、あるいは諦めたような声を漏らした。
「そうだよな。知るわけないんだ……」
そして不意に力を抜き、臨戦態勢を解いてしまった。
「お、おい、フェンリルぅ?」
ボズゥが困惑するのも当然だった。
震えながら俯くフェンリルの様子は、怯えきって戦意喪失してしまった頼りない子供そのものだ。
戦士たちもそう判断したようだ。この隙を逃すまいと一気に距離を詰め、雄叫びと共にフェンリルに襲いかかる。
「……次から次へと」
トルヴァはふと、フェンリルの足元で、彼を中心にきらきらと細かく巻く渦を見た。
薄く、それは細かく削れた氷の粒が、彼の足元から湧きあがるように舞っている。
それは、日の光を吸いきらきらと反射して――ロッタが見れば綺麗だとはしゃいだに違いない。
だが、突如フェンリルから立ち昇ったひりつく気配に、トルヴァは戦慄した。
「
フェンリルの握る短剣の束が、びきりと嫌な音を立てた。
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