7話 援軍 ~Turning point~

「どういうことなの……お父さん」


 セレナが持っていたバケツを地面に落とす。

 からんからんと転がるバケツから、水がこぼれて地面を染めた。

 彼女の顔が青かったのは決してバケツを落としたせいではないだろう。


「ああ……それより、セレナ。おまえの後ろにいるのは誰だ?」


 そこでやっと広場の村人たちは私に気がついたらしい。

 小さな村だ。皆、見慣れない私に不信感たっぷりの視線を送ってくる。


「そうだ! お父さん、この人はレド……! 私、命を助けてもらって……」

「命を……?」


 娘の言葉の意味をはかりかねているように、男は私にいぶかし気な視線を送ってきた。

 私は広場に向かって、一歩歩みよって、自己紹介する。


「私はニグレド・ゴールドフィールド……旅の者です」


 私は背中のバックパックを指さして、適当に説明しておいた。


「先ほど、このお嬢さん……セレナが獣に襲われていたので、間に入って救助したのです」

「ほお! セレナ、それは本当なのかい?」

「ええ、本当よ、お父さん! 私、ビフトに襲われて……それで……」

「ビフト……!?」


 それまで私たちの話を静かに、遠巻きに聞いていた村人のひとりが怯えた声をあげる。

 先ほどコニスと呼ばれていた青年だ。


「ば、馬鹿な……ビフトに襲われて、どうして無事なんだ……領主様の騎士でも三人がかりでやっとの化け物だぞ……」


 彼は怯えた瞳で、私を見ていた。

 まるで人間ではない、なにかを見るかのように。


 そのやり取りを見て、セレナの父親らしき人物がため息をついた。

 そして振り返った小屋を指さして言う。


「ふむ……ここではなんですな。客人よ……旅の方よ、よければ私の屋敷に。お前たちも、来るんだ……」


 そう言って、広場に集まっていた幾人かの男たちを誘う。

 その中にはコニスと呼ばれた青年も混じっていた。


◆ ◇ ◆


「ようこそ客人よ。私は村長のジプサムです」


 男は木造の家の中の椅子に座ると、前の席を私に譲った。

 彼の隣には、セレナが。そして幾人かの村人がその後ろにずらっと並んでいた。


 ジプサムは案内するとき屋敷といったが、中は大層広くはなく、せいぜい外見通り平べったく横に長い小屋といったところだった。

 だがそれでもこの村では大きな小屋なのだろう。

 なにせ村長というくらいだ。この村でもっとも権力を握っているのだろうから。


「あらためて、娘を救ってもらいありがとうございます……」

「いえ、さすがに目の前で襲われていたのを助けないわけには……」

「び、ビフトからセレナ様を守ったなんて嘘だぁ……」

「こら、コニス!」


 ジプサムは気弱そうな青年を叱った。


「すみません。娘はおっちょこちょいなものですから、本人はビフトと言っていますが……きっと小動物かなにか襲われていたんでしょう?」

「まあ! お父さんったら……私そんなに視力が弱いわけないわ。本当にビフトだったもの……ねえ! レド!?」

「……いえ、私はこの地方のものではなく、先ほども言った通り旅をしています。この地の野生生物に詳しくなく……私が対処したのが、そのビフトだったのやら、どうやら……?」


 私は曖昧に誤魔化しておくことにした。あまり突っ込まれて、光のブラスターのことがバレると厄介なことになりかねない。


「レド!?」


 セレナは私のほうを見て、ムスっとしていた。


「セレナ、まあまあ落ち着け」


 村長は一度深呼吸すると私に向き直り、こう切り出した。


「それにしても客人……とても厄介なときにいらっしゃいましたな……」

「厄介、というのは……?」

「数日以内に、この村にその……ビフトという、獣が大挙してやってくるらしいのです……」

「さっきから話題にのぼる、そのビフトというのは、どんな生物なのですか?」


 村長の説明はやや誇張表現が多かったので、私は脳内で情報をざっくりまとめた。

 体高は約二メートルほど。起き上がると五メートルほどになるらしい。

 全身毛むくじゃらで、四足歩行。爪がするどく、長い。大きな牙もあり、人間を頭からがぶりと食ってしまうこともあるらしい。


<まるで、マスターが先ほど戦った生物のようですにゃ……>

「まるで、ではなく……あれがビフトでどうやら間違いないようだ……」


 私は相棒だけに聞こえるように、つぶやいた。


「そのビフトという野獣は、群れで大移動するのものなのですか?」

「いいえ、そんな話は聞いたことはありません。雑食ですが、ほとんどは単体か母ビフトが子連れで徘徊しつつ、本来は山奥で暮らす獣です……ただ、ここのところ数が増えているのか、人里に降りてくるようで……」

「今回の村への襲撃もそれが原因ですか……?」

「それは……コニス、おいコニス!」

「ひゃっ、ひゃい!?」

「客人に説明してやってくれ」


 いままで肩を落としていた、コニスが顔をあげて、また歯をガチガチと震わせる。


「あ、ああ……!」

「落ち着け……みんなに先ほど広場で話したように話せばいい」

「は、はい……あの、僕は、普段領主様であるライオライト家で馬車の御者見習いをやっているんです……」

「ほう……」


 領主に、馬車。


(これは思わぬ情報を得たな……)

<思わぬ情報ですにゃ?>

(つまりこの村は被支配階層で、より上位層が存在すること。そして車輪とそれを支える金属加工技術くらいは存在するということだ)

<たったふたつの情報からよくそこまで考えつくものですにゃ……いや、わたしは感心してるんですにゃ……>


「それで……先日もライオライト家の奥様とお嬢様を乗せて、先輩御者と馬車で林を走っていました。すると突然、ビフトが襲いかかってきたんです!」


 いままで静かに震える声で語っていたコニスは、そこからせきを切ったように、わっと話しはじめた。


「ビフトは……まず護衛の犬の頭をニ、三頭弾き飛ばしたかと思うと、御者の先輩に襲いかかって……襲いかかって……ひいぃぃぃ! せ、先輩は……先輩は!」

「落ち着け、コニス。もう終わったことだ……」


 村長がコニスの背中を何度か優しく叩いた。


「す、すみません。僕は奥様とお嬢様を守るため急いで馬車を走らせました。幸い……領主様の屋敷まではたどり着いたんですが……当然領主様は大激怒されて……」


『この山に住むビフト、すべてを狩りだして殲滅してくれる!』


「そう叫ぶと、すぐに領地から騎士や農民を駆りだされて……」

「なるほど。それで山のビフトを根絶やしにしようということか。だが、それとこの村に、ビフトが大挙することにどうつながるのですか?」

「はじめの数日は犠牲こそ出たもの……ビフト退治は上手く行っていたんです……でも領主様が、遅々として進まない作業に怒って……」


『一気に山中のビフトを集めろ。集まったところに火を放って、焼き尽くせ!』


「それで? その作戦は上手くいったんですか?」


 私がたずねると、コニスは首を静かに振った。


「ビフトを一か所に集めることには成功したんですが……逆に包囲を突破されて……騎士様たちとビフトの追走がはじまったそうです」

「続きは私が話しましょう。コニス、ありがとう」

「いえ……」


 ジプサムは続きを引き継いで、私に説明してくれた。


「このコニスは元はこの村の生まれで、その騎士たちが追い込んでいるビフトの大群がこの村の方角へ進んでいることをいち早く知らせに戻ってくれたのです」

「それで、この村の一大事ですか……」


 事情はなんとなく飲めた。


「私が川に行っている間にそんなことになっていたなんて……」


 セレナも父親の隣で、不安そうな顔をしていた。

 その顔を横目に、私はジプサムにひとつ疑問に思ったことをたずねた。


「失礼ですが、その領主様はなんとかこの村を救ってはくださらないのですか?」

「はい……あ、いえ。ライオライト様は幾分かの援軍をこちらに送ると言ってくれたそうです……なあ、コニス?」

「あ、はい! そうです、ライオライト様もこの村でビフトたちを挟み撃ちにするつもりらしく……」

「けっ! なにが挟み撃ちだ……領主様はうちの村を体のいい盾に使うつもりじゃねえか!」

「コラ! おまえ、滅多なことを……」


 村人の誰かが発した言葉をいさめるジプサム。


「事実だろうが! その援軍だって、いつ来るっていうだ……!?」

「も、もうすぐです! もうすぐ! ライオライト様は約束を破るような方では……!」

「けっ……」


 コニスは村人に必死に訴えかける。

 まるで自分の言葉に、自らすがるかのように。


 するとタイミングよく、家のドアが開け放たれた。


「おおい! 村長、村の外からライオライト様の騎士たちが駆けつけたぞー!」

「おおお……そ、それは本当か!?」


 村人たちは驚いたように、我先にと家から飛び出た。

 私はそれを眺めながら、最後のほうにゆっくりと席を立った。


◆ ◇ ◆


「ど、どういうことですか……? 」

「ライオライト様はお前たち村の者に、こちらの武具を提供するようにお達しになられた!」


 村の入り口で馬に乗った状態で、鎧を着こんだ騎士らしき一団が荷車を指さしていた。

 その荷車には原始的な弓や槍など、あとわずかな刀剣類が収められていた。

 だが村人が期待していたような、大規模な援軍はなく、それらの武器を運んできた騎士たちも数名しかいなかった。


「あ、あの……援軍は?」


 村長であるジプサムがたずねる。


「コニスの話では援軍が来ると……」

「ええいっ! しつこい!」

「ひっ!」


 ヒヒーンと騎士たちが乗る馬がいななき、彼らは人の胴ほどもあるランスをジプサムに突きつけた。


「我々に、この村に派遣できるような余剰戦力は存在せん! 我らが運んできた武具を頂戴できるだけでも、ライオライト様に感謝しろ! 貴様らの村だ……貴様らの力で守ってみせよ! それがライオライト様からの、ありがたい訓示だ!」

「そ、そんな……これじゃ話が違うじゃないか……」


 私は力なくへなへなと地面に腰を下ろすコニスの後ろから、村の入り口の柵を眺めた。


「…………」


 村の周辺をぐるりと囲う木柵。野犬の類には効果があるのかもしれないが、あのビフト相手にはただの足止めにもならないだろう。

 それから足元の地面に、スニーカーのかかとで穴を掘った。

 砂地は靴で少し擦ると、柔らかな赤茶けた土の層を覗かせた。


<マスター……さっきからにゃにを遊んでるにゃあ?>

「ふふっ……いい遊びを思いついたぞ、ジル……」

<にゃあ?>


 そして武具を収めた荷車だけを置いて、去っていくライオライトの騎士たち。


「ちくしょおおー! 貴様ら、この村がどうなってもいいっていうのかー! クソ領主の飼い犬どもがあああ!」

「お、おい、コラ……声が大きい、彼らに聞こえでもしたら……!」


 激昂する村人を何とかなだめるジプサムの顔色ももはや青を通り越して土色だった。


「ちくしょう……ちくしょう、もう終わりだ!」

「女房と子供もいるっていうのに……」

「槍なんて握ったこともない、ただの農民になにをしろっていうんだよ!?」

「――いや……そうとも限りませんよ?」

「は?」

「レド……?」


 その場にいた村人や村長、コニス。そしてセレナが振り向く中、私はにこやかな笑顔で彼らに語りかけた。


「この村をひょっとしたら救えるかもしれません……ひょっとしたら、ね」

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