第5話 多忙なエリート(後編)

「なるほど。そういうことがあったんですね」


「そうだよ」


 ダールは一通り今朝のことを説明すると、シキメも理解してくれたようだ。


 シキメは優雅に紅茶を飲むと、ミルトに微笑みかける。


「ミルトくんも大変だったね。私たち兵士も全力をあげて協力するよ」


「ありがとうございます!」


「ついででいいんだが、1つ頼みを聞いてくれねえか?」


「なんですか? どうせダールさんのことだから予想はついてますが……聞いておきましょう」


「ミルトを預かってくんねえか。ほら、迷子を預かる感じでよ」


「忙しいので無理です」


 シキメは即決で断りパスタを口にする。あまりの早さにダールはチキンステーキを頬張ることもできず、口はあんぐりとして固まっていた。


 しかし、ここで引き下がるわけにもいかない。ガキのお守りなど、ダールは絶対にお断りだ。


「ちょっと待てよ。俺の家はどがつくほど狭いんだよ」


「それでも無理なものは無理です。私はどがつくほど家にいませんから」


「大丈夫だろ。ミルトは一人でも、なあ?」


「一人は寂しいです」


 ミルトの素直な答えにダールはがっくりとする。


 ませがきミルトのお世辞を期待したが答えは違った。ダールは次の手口が思いつかず、考えながら腹を満たす。


「シキメさんはどうして忙しいんですか?」


「悪い組織を相手にしてるとね、どうしても時間がかかるんだ。それで忙しいんだよ」


「大変なんですね……」


「大変だよ。でもね、誰かを笑顔にしたり笑顔を守れたりした時は仕事を誇りに思えるよ」


「かっこいいなぁ」


「ミルトくんもなりたいかい?」


「ボクはなれっこないですよ。だって、戦うことができないですから」


「戦うことは心配いらないんじゃないかな。ね、ダールさん」


「うるせえこっち見んな。今の俺は平和主義なんだよ」


 ダールがシッシッと手をはらえばシキメとミルトはクスクス笑う。なにが面白いのかさっぱりだが、こけにされことはダールにも分かる。


「なにがおかしい」


「平和主義を謳うわりにはずいぶんと自由気ままだなって、思っただけですよ」


「ボクのことをぶつくせに平和主義なんて信じられないです」


「よし、お前らが俺を自由主義の荒くれ者だと思ってることは分かった。だからいっぺん殴らせろ」


「シキメさん助けて!」


 ミルトがシキメの背中に隠れれば、振り上げた拳は行き場を失う。


 ダールがシキメに視線をやると、シキメはニコッと微笑みかけてくる。含みのある笑顔は、心底嫌な予感しかしない。


「ダールさん、子どもに手を出すのはどうかと思いますよ」


「知るかよ。そっちから始めたんだから俺は悪くねえ」


「ダールさん。法律って知ってますか」


「うっ」


「知っているなら、どうぞ殴ってもらってもかまいません。そこは自分の判断ですから」


「くそつ。生きづらい世の中だ」


 ダールが悪態をつきつつ拳を下ろし、どっかりとイスに座ったその時、事件は起きた。


「おい! お前ら! 動くんじゃねえ!」


「噂をすれば悪い人たちのお出ましだね。私は仕事ができたみたいだ」


 シキメはマグカップを空にしてイスから立ち上がり、切れ長の目をより細くしてカウンターをにらむ。


 カウンターには、チャラくボロくさい服装をした男二人が、店主に果物ナイフを向けていた。


「おいおっちゃん。金だよ、金。俺らちょっと困っててよ、困ってたら互いに支え合うのが国民だろ?」


「支え合うことをはき違えるな愚か者。お前がしているのは略奪だ」


「ああ、なんだこの女は?」


「兄貴、こいつ兵士ですぜ」


「びびんなよ、俺らは2人じゃねえからな。兵士一人、しかも女なら楽勝だ」


「今すぐ投降すれば罪は軽くしてやる」


「悪いができねえな。お前ら、たっぷりとかわいがってやれ」


 リーダーらしき男の一言で、ぞくぞくイスを立つ男の仲間たち。数はざっと6人で、シキメはあっさりと囲まれる。


「交渉決裂か。手荒なマネは避けたかったがいたしかたない」


 シキメはふところから二本の短剣を取り出すと、逆手持ちでかまえる。持ち手がメリケンサック以外なんの変哲もない短剣。囲んだ男はニヤニヤとして余裕な態度を見せる。


「おいおい、俺たちはそれで十分ってか?」


「十分? 十分どころではない、十二分だ」


 シキメは目の前にいる男の真下に入ると、下から拳を突き上げた。拳は男のあごをとらえて、男は勢いそのままに空へと消える。


「まず1人」


 アッパーをくらった男は店の天井に当たり、落ちてきたときには失神していた。周りの5人は目にも留まらぬ早さに唖然とするも、やっと状況をのみこんだ。


「このあまぁ!」


 1人の男がナイフを振り下ろすも、シキメの短剣に弾かれる。大きく開いた胴体はいい的で、今度はシキメの正拳突きが炸裂した。


「ごふっ!?」


 男の体はくの字に折れ曲がり、泡を吹いて動かなくなる。


 2人もあっけなくやられ、残りは4人となる。残りの4人はやっと、誰を相手にしているのか理解したようだ。


「こいつ、ただ者じゃねえ」


「短剣……二刀流……こいつもしかして!」


「遅い」


 シキメの回し蹴りは男の顔にめりこむ。シキメが誰かも言えず、男は白眼をむきながら、数本の歯は空を舞う。


「後3人」


 シキメは短剣をかまえて威圧する。立ちふさがる男3人は青ざめた顔で、および腰になっていた。


「ダルミスさん。シキメさんってすごく強いですね」


「当たり前だろ。あいつは優秀だからな」


「ダルミスさんどこ行くんですか? シキメさんを助けるんですか?」


「ちげえよ。気分転換だ」


「もう」


 ふくれるミルトなどつゆ知らず、ダールはタバコの箱を振り外に出ていってしまった。


 戻ってシキメはというと、3人の男を相手にしていた。男3人の攻めに防戦一方ではあるが、顔に焦りの文字はない。


 涼しい顔で大振りな攻撃をよけつつ、生まれた隙は見逃さず攻める。


「ぐはっ!」


 そのうちに男の1人が脱落する。最後はシキメの肘鉄が決定打となった。


「こいつ全然疲れてねえ」


「ありえねえ、俺らが押してたのに」


「押していた? 幸せな脳みそだ」


「くそが!」


「おい待て!」


 仲間の制止に聞く耳を持たず、顔を真っ赤にした男はシキメに突進する。シキメは不敵な笑みを浮かべると、軽々と男の攻撃をよけそして――。


「安心しろ、手刀だ」


 シキメは短剣の持ち手を男の首に叩きつけ、男の意識はぷっつりと切れる。男は一言も発することなく、大きな音をたてて崩れ落ちた。


「残るは貴様だけ。戦意は残っているか?」


「降参します。降参しますからお助けを……」


「分かった。さて、首謀者の2人は指をくわえて見ているだけだったようだが……どうする?」


「どうするかって……決まってんだろ。こうするさ」


「うわぁああ!」


「ミルトくん!」


「てめえの知り合いか。ならちょうどいい」


「んー!」


 ミルトは口もとを押さえられて、首にナイフを突きつけられる。シキメが動けば、ナイフが首を貫くことは想像に容易い。


 シキメは悔しさを顔ににじませて、ゆっくりと短剣を鞘にもどす。男は勝ちを確信して、周りの人間を威圧しながらゆっくりと出入口に向かう。


「変な気を起こすなよ。ガキの命が惜しければなぁ」


「そうだぜ。俺の兄貴は血も涙ねえからな」


 弟分が醜い捨てゼリフをはいてドアに手をかけるも、ドアはびくともしない。ドアノブは回るのに、ドアだけが開かない。


「あれ、兄貴。ドアが開きやせん」


「カギは」


「しまってないです」


「あ、わかっ……」


 そこで弟分の声は途切れた。代わりに響くのはメキメキとドアが壊れる音。突如として現れた左腕は、ドア向こうから弟分を掴むと、ドアごと外に放り出した。


「なにしてんだ」


 ドアを壊して現れたのは、タバコを吸い終えたダールだ。ダールがドスの効いた声を発すると、男の体は震えだす。


「おい、なにか言えよ」


「ど、どけ。人質の命が惜しければ……いででで!」


「惜しければなんだ?」


 ダールに腕をつかまれて男はナイフを落とす。目からは涙をこぼして、歯はカチカチとぶつかり合い、もはやさっきの威勢はどこにもない。


「許しくてください」


 涙声で男がすがるも、ダールに優しさはない。やるなら徹底的に、完膚なきまで叩きのめす。


 ダールは男をボールのように投げ飛ばす。手加減など知らないダールの力は常軌を逸して、男は店の壁を壊して路地裏まで飛ばされた。


 粉塵が消えて、残るのは失神する男。股間からは湯気がたちこめて、心身ともにズタボロになっていた。

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