大樹さんの名は体を表す
エヮクゥト・ウャクネヵル・²テラピリカ
大樹さんの名前は不似合い
1
「百四九センチって、ほんと?」
教室の扉の方からそんな声が聞こえた。
特に声を張っている感じでもなく、余裕を感じさせるのに、はっきりとよく通るアルト。
劔だ。
劔は背が高い。正確な数字は知らないけど、身長は百七十センチを超えているはずだ。僕よりも高いかもしれない。
定規で引いたようなまっすぐな鼻筋と欧米人を思わせる灰色の瞳。髪は品のいいブラウンで、まっすぐに腰まで伸びている。その髪の色といい、着崩した制服といい、学校という空間の中で──校則を詳しく読んだことはないけど──彼女だけが治外法権であるかのようだったが、同時にその存在感とぴったりと釣り合って調和してもいて、そうあることが自然だと思わせる何かがあった。小顔と細身な体、長い脚が形作る佇まいは、冬の牡鹿を思わせる。
そんな彼女の腕の中で、小柄な女子生徒が翻弄されていた。
かわいいねー、とか、天使かよ、とか、劔の言葉は件の通る声で逐一聞こえてくる。髪の毛を撫でられたり肩を揉まれたりしている小柄な生徒も、小声で何か言葉を返している。でもその内容はこの距離からだと判然としない。
全く対称的だった。
しばらくしてホームルームが始まる前の予鈴が鳴る。それで劔に揉まれていた小柄な生徒はやっと解放されたようで、こちらに歩いてくる。他の生徒たちの間から現れたり消えたりするその姿は、さながら森の中の子リスだった。
大樹さんの名前はまったく不似合いだと思う。
名は体を表すという言葉があるけれど、こと彼女に関しては、それは全然当てはまらないみたいだ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、ふいにその目がこちらを向いた。
しばしの沈黙。僕らの視線が交錯する。
それから大樹さんは慌てたようにガタガタと椅子を鳴らして座り直し、机の天板に視線を落として言った。
「ま、また隣ですねっ。よろしくお願いしますっ」
早口でそれだけ言うと、大樹さんは縮こまったようになってしまった。ただでさえスケール感の合っていない学校の机と椅子が、ちぐはぐさを増したように思えた。
「……よ、よろしく」
タイミングを外しながらも、僕もそれだけ返す。
大樹さんは、こく、と頷くと、それきり黙りこくった。
橘大樹。
本当なら橘さんと呼ぶべきなんだろうけど、タイジュ、という珍しい響きは一度知ってしまうと忘れがたく、僕は心の中で彼女のことを大樹さんと呼んでいる。
大樹さん。
僕の目線よりも下、百五〇センチに満たない身長。
きっちり校則通りの制服。ネイビーとブラウンの組み合わさった無難なデザインの鞄。愛用の文房具も、機能性重視。
性格は物静かで、前に出て主張するタイプじゃない。でもそれは落ち着いてるっていうよりは、一歩引いてるって感じだ。一学期隣の席にいて、言葉を交わした回数は両手の指で数えられる程度。友達らしい生徒がたまに話に来るけど、大樹さんはたいてい聞き役にまわる。
なんだか僕が大樹さんのことを気にかけているみたいに思われるかもしれないけど、こんなのは隣の席にいたら嫌でもわかることだ。
もう一度大樹さんのほうをちらりと窺う。
髪型は丈としてはショートと言えそうだけど、前髪や顔まわりの長さがあるせいか、快活な印象はない。その下に不安げな眉毛と、主張の強くない三白眼気味の瞳。色白な肌にちょっと目を引くそばかす。薄い唇と小さなあご。
華があるとか、人目を集めるような容姿ではない。教室でいつも取り巻きを侍らせている仙丈とか、モデルをやっているという劔とは、まったく真逆のタイプだ。つまり──これは僕個人のというよりあくまで一般論的な感覚の話だけど──、可愛くはない。美人というのも違う。そういう感じ。
大樹さん。
一学期に引き続いて隣の席になった、小柄で気の小さい女子生徒。
名が体を表さない、全然名前と本人像が一致しない女の子。
その大樹さんがまたちらと不意打ち的にこちらを見たので、目が合ってしまった。
一瞬、わっ、という顔をして、それから視線を机の上に戻す。
僕も気まずくなって、何もなかったかのように前を向く。
なんだ。
僕が大樹さんのことを見てばかりいるみたいじゃないか。
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