第10話 芝居
芝居が始まって早々のことだ。
「えっ」
驚いたローズの声がカールの耳に届いた。ローズが慌てて自分の口を押えたのが見えた。驚くのも無理はない。芝居の題材は、ローズとロバートが、イサカの町の疫病を制圧した一件だ。
芝居は、ローズが孤児院を去り、アレキサンダー王太子の前で、ローズが持論を披露するところから始まる。ローズが驚くのも無理はない。
「まぁ、なんて、可愛らしいの」
舞台袖で、観客席を見ていた一座の女性たちが、色めき立った。その隣で、カールの予想通り、ロバートの顔から完全に表情が消えていた。
「あぁ、どうしよう。逃げる算段を考えておかないと」
カールの言葉に、一座の男たちが苦笑した。
「無駄無駄。逃げられっこないから、謝り方を考えておけよ」
「意外と、気に入ってくださるかもしれないしさ」
「助けてくれないのか」
カールの言葉に、旅芸人たちは肩をすくめた。
「無理だ」
「ここまできて、四の五の言うなって。あきらめろ」
冷たい男達の言葉にカールはため息を吐いた。
「もう、あんたたち煩い。私達は、可愛らしい方を堪能しているのよ。野太い声で邪魔しないで」
一座の女達の言葉に、カールを含めた男達は肩をすくめた。
舞台では、ローズ役の役者が、イサカの町へ旅立つロバート役の役者を見送る場面となった。台本の上では、二人は既に互いを憎からず思っている。
「無事に帰ってきてね」
「えぇ。もちろんです。ローズ、あなたも無理をしないでください。私は傍に居ないのですから。あなたに何があっても、私にはどうすることもできないのです。どうか無理はしないでください」
舞台の上のロバートとローズは、硬く手を握り合い互いの身を案じている。
舞台袖からは、観客たちが、舞台上で役者たちが演じるローズとロバートと、観客席にいる本物の二人を、代わる代わる見ているのがよくわかる。イサカの町では何度も上演したが、王都にいた関係者の前で、芝居を披露したのは今回が初めてだ。
ローズは恥ずかしいのか、早々から扇で顔を隠してしまっていた。ロバートも、片方の手で目元を隠してしまっている。
「お二人とも、初々しいな」
座長の言葉にカールも頷いた。問題はこの後なのだ。
舞台は、問題の場面になった。剣戟が響いた。
「ほぉ」
アレキサンダー達、数名が感心したらしい。そうだろう。なにせ騎士達に、訓練してもらったのだから、殺陣の芝居は凄みがある。他の芝居小屋の殺陣とは違う。そのアレキサンダーの視線の先を追ったカールは思わず赤面した。
ロバートの腕の中に、殺陣におびえたらしいローズがしっかりと収まっていた。ロバートは何やら小声で腕の中のローズに語り掛けている。舞台袖にいるカールには何も聞こえない。残念だ。
アレキサンダーとグレースが、そんな二人をみて何やら話をしている。二人を見るアルフレッドの顔には、何とも優しい微笑みが浮かんでいた。
ロバートが何を言っているのか、全く聞こえないのが本当に惜しい。
「私達の芝居が面白くないとは思わないけれど、あのお二人と、お二人を見守る方々を見ているだけでも面白いわね。少し悔しいわ」
舞台袖で、出番をまつローズ役の女性の言葉に、一座の面々は頷いた。
幕間になった。アレキサンダーに、ロバートを問い詰めるために、何としても用意しろと言われた時間だ。
「沢山危ないことがあったなんて、聞いてなかったわ」
とたんに、ローズの高い声がした。
「ですから、もう済んだことですし。何事もなかったわけですから」
ロバートの声もした。
「心配をしていたのに、どうして教えてくれなかったの」
「事後報告しかできません。無事だったと報告したところで、ご心配を頂くだけです。それよりも重要な報告がたくさん」
「大事なことはたくさんあったけど、危ないことがあったと連絡をくれたら、それなりに対処しようもあったわ。騎士団を早めに派遣するとか、剣以外の武器も届けることもできたのに」
「疫病がまだ収まりきる前に、王都から人をあまり多く送り込んでいただいても、その方々の身の安全の保障が」
「だからといって、あなたが危なかったのはよくないわ」
「ローズ、ですからもう、終わったことですから」
「終わったことであっても、ちゃんと、報告しなかったのはロバートよ」
怒っているローズを、ロバートが何とか宥めようとしていた。その二人を、アルフレッド、アレキサンダー、グレースの三人が見守っている。
問い詰めるといっていたアレキサンダーだが、傍観することにしたらしい。乳兄弟の絆は、カールにもよくわからない。だが、カールも、兄と兄嫁の痴話喧嘩に、口出ししてはいけないこともわかっている。
「御可愛らしい方ね。あんなに一生懸命になって、怒るなんて、本当に心配してもらっているのね。果報者じゃない」
女達は互いに頷きあっているが、カールにはどうにも納得できなかった。それは、周りの男連中も同じらしい。
「ローズ、あなたに心配をかけてしまっていたのですね。心配してくださって、ありがとうございます」
ロバートが、ローズに口づけたのが見えた。
「まぁ」
「きゃあ」
女達は小さく歓声を上げた。カールは自分のことでもないのに赤面してしまった。
「今更ながら、あなたが心配してくれていたと思うと、嬉しいですね」
頬を染めたローズに、ロバートが、また唇を重ねた。
「まぁ素敵」
「なんて情熱的なの」
自分達の休憩と、後半の準備をそっちのけで女達が騒いでいる。
「これでライティーザも安泰だな」
座長の言葉に、一座の者達が頷いた。
確かに、アレキサンダーの腹心が、将来の妻と相思相愛であることは素晴らしい。それがライティーザの安定につながるなど、座長も随分と大袈裟だ。他人の情事に頬を染めている女達と変わらないではないか。ロバートが機嫌をよくしてくれていれば、カールの身の安全が保障される。ローズには、せいぜいロバートに抱き着いていて欲しい。
カールが、頬を染めるローズと、ローズを満足そうに見るロバートを見ていた時だった。
「あの、お茶はいかがでしょうか」
小姓達がワゴンを押して現れた。
「いや、これはこれはお心遣いいただきありがとうございます」
座長が、小姓達に深々と頭を下げた。
「いえそんな。僕らも隅で見学させてもらっていますから。後半も、楽しみにしています」
「ぜひ、お楽しみいただけましたら幸いです」
座長が月並みな挨拶を返した。
「カールさん、伝言を預かっています。ロバートから、あとで話があるとのことでした」
小姓の言葉に、カールはその場にへたりこんだ。
「大丈夫ですよ。ロバートさん、怒っても、そんなに長続きしませんから」
「怒ると怖いですけど、何が駄目だったかちゃんと教えてくれます。次に失敗しなかったら、褒めてくれます。だから大丈夫ですよ」
小姓達は笑顔だった。
「お心遣いいただき、ありがとうございます」
小姓達は、ロバートが怒っているという前提で話をしてくれた。小姓達の言葉は、カールには何の慰めにもならない。茶を、一応は口に運んだが、カールには全く味がしなかった。
「俺も一緒に頭を下げてやるから元気出せ」
座長の言葉に、カールはただ頷くしかなかった。
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