結婚して5年、初めて口を利きました

宮野 楓

結婚して5年、初めて口を利きました

 所謂、政略結婚。ミリエルの生家、レント子爵家は商業を営むため良い家柄との繋がりが欲しかった。対して旦那様、ロイスの生家ルーベンス侯爵家は金策に苦しんでいた。


 物凄く良くある話だ。貴族間であればかなりの確率で転がっている話過ぎて、別に社交界で大した話題にもならない。そんな政略結婚だ。


 ただそんなよくある政略結婚と言えど、旦那様と口を利いたことくらいあるのではないだろうか?


 ミリエルと旦那様であるロイスの政略結婚が他と違う点を挙げよ、と言えばこれに尽きるだろう。






 ───出会って、結婚して5年。一度も口を利いたことがない。






 ちなみに結婚してから、ではない。出会って以来、ミリエルはロイスの声を一度たりとも聞いたことはない。


 もちろん病ではないらしいので、ミリエルとだけ口を利いていないことになる。


 その証拠に、執事を通じて最低限の会話はしている。例えば、旦那様は本日より出兵とのことです、といった、当日に聞く内容かよみたいな内容を淡々とした執事から聞く。


 だったらロイスが執事と会話している姿や声を聞いたことは? と思うかもしれないが、それもない。


 何故なら屋敷が別だからだ。


 ミリエルには書類仕事が任されており、社交界には一切出ない事が約束。だから屋敷から出る必要なく、庭は許可が出ているがロイスとの屋敷とは隣り合わせだが、庭はロイスの屋敷と逆方向。


 ミリエルの自室も完璧に逆方向。窓から見えることもない。


 あ、そうだ。一度も口を利いたことがなく、結婚式以来顔を合わせたこともない、も付け加えなければ。




 ミリエルはペンを滑らせながら仕事を熟していく。




 書類仕事は嫌いではない。


 ロイスは軍人だが、そのお父様が商売を営んでおり、まぁそこからミリエルとの政略結婚が持ち上がるのだが、ロイスに一部事業を譲っているのだ。


 そして基本的に事業は信用できる方がメインで営み続けているが、誰が何と言おうとロイスがオーナーなので、代わりにミリエルが収支報告書やらなんやら書類仕事を熟している。


 もうロイスに雇われた書記と言ったほうが絶対他人も信じるだろう。に、してはあまりにも豪華な屋敷が与えられ、外に出られない代わりに不自由ないようにされているが。


 ミリエルは服飾などに興味なく、自身の予算を一切使わなければ、執事から旦那様より使う指示が来ております、と言われるので、予算だけ引き出している。


 が、離婚時には全額返済できるよう別銀行に移し、事業投資に使いたいという話が出れば出せるようにしているだけで、ミリエルは使用人のお仕着せを着ていた。


 旦那様との通訳係の執事は知っているが口を出さないし、他、嫁いだころにいたメイド数十名はミリエルがロイスに放置されていると知ると放置するようになったため、解雇した。


 ちなみに屋敷を与えられたときに執事にこの屋敷内のすべてはミリエルの良いように、とロイスの言葉として伝えられているので、信用できる一名以外、仕事しない奴は全員切った。


 なので唯一メイドのアリスの分だけは事業の売り上げから出ている給料というのか、何故か事業からも給料が支払われるのでそこからアリスの給料を支払い、ご飯代を出した。






「エルさま~、今日はウサギ狩りの収穫良かったので、シチュー作りますね!」






 窓から覗けば狩り用の服を身に纏ったアリスが庭から元気に声を上げている。片手には三羽のウサギ。






「楽しみね。今日は仕事立て込んでなかったから掃除は私がやるわ! 夕飯お願いね」


「はい~」






 メイドと主人の関係だが、この馬鹿広い屋敷に二名。掃除も一緒にやらなければならないし、いつ離婚の話が出てもおかしくない。


 ミリエルは強く生きるため、贅沢は一切せず、質素倹約。掃除も料理も何でもすることにしている。


 そして何時でも出ていける準備すらしてある。






「相変わらずですねぇ」






 後ろを振り返るとロイスの執事がいた。


 掃除をするために箒を手にしたミリエルのもとに。


 でも気にせず、まずは自身の部屋の掃き掃除をしながら話すことにした。






「えぇ。社交界には出ない事、旦那様には迷惑をかけない事、書類仕事を肩代わりすること等の代わりに屋敷での自由は私の物よ」




「予算使え、ってロイス様に言われたと伝えたはずですが、口座移行されただけですよね?」




「近々使うわよ。事業のオーナーに新しい開発とかに着手したくないか聞いているもの。良いのがあればそこの資金にするわ」




「奥様の予算であって、事業の予算は別です」




「えぇ。私の予算よ。だから私が事業に使いたいのだから、それでよいのではなくて?」






 あぁ言えばこう言う、の図だろう。






「ルーベンス侯爵夫人がメイドのお仕着せを着ていいと?」




「外に出ないのに、着飾る必要があると?」




「侯爵夫人です」




「お洒落は誰かに見てもらって、褒めてもらって、嬉しくなる。誰かのために自分がする行為よ。アリスしかいないのに、同性同士で褒め合ってもねぇ」






 ロイスとミリエルがもう5年も会っても、喋ることすらしていないのも知っていて、且つ社交界に顔を出さないのもルーベンス侯爵家が出した条件だから執事は押し黙る。






「用件は何? 用件なしには来ないでしょ。予算の件なら私に一理あると思うんだけど」




「確かに予算の件はおっしゃる通りです。そしてご想像通り本日は別件の用事があり参りました」




「そう。離婚?」






 掃き掃除を終えたミリエルは本棚の整理をしつつ、やはり動きつつ執事と会話をする。






「離婚ではありません。第二夫人です」




「いいわよ。なんなら、第二夫人に私がなりましょうか?」




「……普通なら嫌がると思うんですが」




「嫌がるほど旦那様を知らないのよ。なんだったら執事である貴方とのほうが会話もしているし、情も湧いているわ」






 実際、事実なのだから仕方ない。


 だが執事は神妙な顔をしてミリエルに王家の紋が押された文を手渡す。


 当然だが開封済みだ。






「ふぅん。要約すると旦那様は騎士団長になるほど強くて、この間の戦争で一番活躍したんだ。だから結婚してるのは知っているけど、旦那様の爵位を上げるためにも、もっと爵位の高い第二夫人を与えると」




「ロイス様の意志ではありません。が、王様の命令となると断れません」




「余計に第一夫人として迎えて、そろそろ真面目にルーベンス侯爵家の後継者について考えたらいいじゃない。私は第二夫人でも、離婚でもいいわ」




「だからなんでそんなサバサバしてるんですか!」




「断れないのに騒いでどうするの。騒ぐのは何かをどうしても成し遂げたいときと、騒げばどうにかなるとき、よ」






 王命で、且つロイスに情がないミリエルに断る理由がない。


 なんなら王命が理由の離婚ならば、実家も文句は言うまい。子が出来ない女として再婚は望めないだろうが、まぁこのまま書記として雇ってもらえないか聞いて、駄目なら修道院でいいだろう。


 結婚への希望など、この5年で消えてしまった。






「ロイス様は離婚も第二夫人を迎えることも望んでいません」




「だから何? この5年の扱いを無しにして、私を第一夫人として形だけ重宝するというの? 飛び降りて逃げるわよ」






 ミリエルと子を設けて夫婦円満だからと断るというのも一つの手だが冗談ではない。


 今まで妻として扱ってこなくて王命が嫌だから妻として扱うなどミリエルを馬鹿にするにも程がある。






「ですよねぇ……。ま、奥様はそうおっしゃると思いましたよ」




「旦那様はそう思わなかったって事ね」




「えぇ。お話が早い。旦那様は奥様が受け入れてくださると信じています。ちなみに第二夫人ではなくて、本当の夫婦になることを、です」






 眩暈がした。やはりこの執事のほうがよっぽどミリエルを理解している。


 そして今夜、5年も口を利かず、結婚式以来顔を合わせていない旦那様であるロイスがやってくると言っているのだ。






「伝えてくれるって事は逃げてもいいのね」




「お好きに。私は私の仕事を終えましたので、その後のことなんか知りません。ただ可能ならロイス様と一回くらい、口喧嘩して出ていかれてはいかがです? 貴女様ならやりきれますよ」






 確かに執事の言う事にも一理あった。


 最後に一言言ってやるのも悪くない気はする。






「そうねぇ。あなたが部屋の外で悲鳴を聞いたら、すぐ駆けつけてくれるならね」




「まぁロイス様の命は奥様と会わせろとの事なので、その提案を受け入れることも可能ですよ。上手くいくように、とは言われてませんので」




「いい性格してるぅ」




「よく言われます。で、割と最初の話題に戻りますが、ドレス仕立てません?」




「最後までこの格好でいくわ。私らしいし、何かを被る必要性を感じないのよ」






 この5年、ミリエルはこの格好で働いてきた。


 ならば最後までこの格好で良い。わざわざ綺麗にお洒落してどうする。お洒落するほど、ロイスに好意を抱いてはいない。






「っく。さすがですね。で、もう一つ質問よろしいですか?」




「えぇ。恐らく私が旦那様に突きつけるのは離婚だもの。何でも、いや違うわね。可能な範囲答えてあげるわ」




「ではロイス様の顔を、結婚式でのお顔を覚えていますか?」






 やけに美形だったのは覚えている。女の人に騒がれそうな整った顔立ち。切れ目で、背はミリエルも高いほうなのだが、ミリエルよりも高かった。


 だがそれだけ。ベールで霞がかっており、見て分かりますか、と言われれば分からないと思う。屋敷での立ち居振る舞いなどで判断するほかないだろう。


 後は結婚式での印象で決定づけるだけだ。






「ほぼ覚えてないわ。切れ長の目の、背が高い男性。女性が騒いでいた。こんな情報かしら」




「道理でお気づきにならないな、と思いました。ロイス様に興味がなかったんですね」




「そりゃそうでしょ。こんな条件好意持ってたら呑まないわ」






 その中、執事はシチューぅ~っと歌いながらノックも無しに入ってきたアリスを睨んだ。


 手にはすごく美味しそうな煮込まれたシチューが入った鍋がある。


 アリスは執事を見て、ミリエルを見て、首を傾げる。






「あれ? ロイス様、漸くエルさまに名乗ったんですか?」






 アツアツの鍋を落とさぬよう机に置きながら爆弾投下するアリス。


 誰がロイスだと言った。






「相変わらず空気読めない馬鹿ですね」




「馬鹿って言うほうが馬鹿です。大体エルさまを5年も待たせたロイス様のほうが大馬鹿だとアリスは思うのです」




「それについて話し中なんですよ。シチューは頂くので、この場を去ってください。いや。去れ」






 執事、もといロイスはアリスを蹴り出した。


 かなり親しげだが、仲が良いのだろうかとどうでもいいことを思いながらその様子をミリエルは眺めていた。


 まさか執事がロイス。もとい旦那様だったとは驚きだ。だが、それがどうした。とミリエルは思い直した。何も変わらない。






「ロイス様、第二夫人の件。いつでも第一夫人の座を引き渡すことも、離婚も受け入れますわ」




「それが嫌なのでこうしてやってたんですが、きっと奥様の事です。簡単に何を言っても受け入れられない事は、この5年。見てきたので知っていますよ」






 ロイスはにっこりと笑って手をミリエルに差し出す。






「今回、王命もありますがこんなものは破棄します。なので、チャンスをくれませんか?」




「チャンス?」




「えぇ。チャンスです。私が貴女の旦那になるために努力させてください」






 5年。顔も見たこともなければ、口を利いたこともないと思っていた旦那様は、実はちゃんと顔を見て、口を利いたことがあった。


 ミリエルはその事実に顔を赤くも白くもして忙しいが、その隙にミリエルの右の手の甲に口づけをするロイス。






「事情は今度きっちりお話ししますので、なので、今は絆されてください。───ミリエル」






 執事にそのまま5年どころか10年20年絆され続けるのは別の話。


 ただ分かったことは一つ。




 ミリエルは旦那様であるロイスと話して、顔を見て、ちゃんと夫婦らしくしていた、という事だ。


 ロイスが名乗れなかったのは王様の勅命もあり、語れない事も多いらしいが、そんな事どうだっていい。




 ミリエルはちゃんと愛されていた。




 だって執事が伝言しているだけだと思っていたが、執事は毎月足を運び、時には他愛のない話をしたりしていた。


 ちゃんと……愛されていたのだ。


 それで十分だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

結婚して5年、初めて口を利きました 宮野 楓 @miyanokaede

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ