入れかわった友だち

 もしかしてと思って私は立ち上がり、カウンターをくぐってお店の扉を開いた。もしかしたら、魚沼くんを追いかけて、つむぎちゃんが来たのかもしれない。しかし、開けた先には誰もいなくて、声は足元から聞こえた。


「――あんたがいいのならそれでいいけど。それじゃ、またね」


 それは化けたぬきだった。道の向こうの誰か、キャスケット帽子をかぶった女性の去っていく後ろ姿だけ見えた。


「ぽん子?」

「あら、清夏ちゃん。こんにち、わぁっ!」


 ぽん子を抱え上げると、短い手足をばたばたと宙で泳がせてこちらに抗議してくるけど、それどころじゃない。聞こえてきた話し声がつむぎちゃんじゃなかったのは残念だけど、それ以上にその正体がぽん子だというのが問題だ。


「外でしゃべったら駄目だって、おじさんも言ってたのに! ニュースになって、あやしげな研究所につかまっちゃうって! それなのに、人と話すなんて……!」

「え? ちがうちがう、さっきの子も私と同じ妖怪だってば! 人型に化けてただけよ!」

「ええ……?」


 さっきの後ろ姿を思い出す。普通の女の人にしか見えなかったけど。まるっきり人間にしか見えない妖怪もいるのかと思って、それからぞっとした。もしかして私のとなりにいた人もそうかもしれないと、思いついてしまったからだ。


「ぽ、ぽん子、もしかして、妖怪って人と入れかわることもできるの?」

「入れかわる? ……そりゃ、できなくもないけど」


 ぽん子の返事に私が言葉を失っていると、急に後ろから背中を叩かれた。ひっと息をのんで振り返ると、そこには当たり前だけどおじさんがいる。一瞬、これも本物じゃないかもしれないとも考えたけど、シャツのお腹あたりにできているだらしないしょうゆの染みを見てほっと安心した。


「清夏? ……ぽん子がいたのか。とりあえず中に入りなさい。人通りが少ないとはいえ、表で話していたら目立ってしまうだろう」

「うん」


 ぽん子を抱えたまま、私はおじさんにうながされて室内に戻った。魚沼くんは本棚のかげに隠れていたけど、こちらを見てなんだとほっとしたような様子だった。また、カウンターをくぐり、座布団を引っ張り出してくるとその上にぽん子は座った。


「それで? 今回は何があったの? ずいぶんと空気が重いみたいだけど。しかも、妖怪が人間と入れかわるかどうかを聞くなんて、随分と物騒じゃない」

「え? それ、まじ?」


 ぽん子の言葉に、魚沼くんが声を上げた。魚沼くんもそれが何を指しているのか、気づいたらしい。おじさんは特に驚いた様子は見せなかったけど、眉間にしわを寄せて考え込むような顔をつくっている。

 状況のわかっていないぽん子が、その前足でぽすぽすと座布団を叩く。


「どういうことなの? そっちだけで、わかってるんじゃないわよ。私を連れてきたのは、あんたたちでしょうが」

「えっと、私の友達のつむぎちゃんがおかしいの。その、人が変わったっていうか、本当に急に別人みたいになっちゃって。初めて会ったときのことも覚えてないみたいな感じだったし」


 ぽん子にも、つむぎちゃんが急に変わってしまったことを話した。

 しかし、ぽん子はうーんとうなってあまりいい返事をしてくれない。そして、まるで私が聞き分けないみたいな言い方をする。


「それで妖怪のしわざかもってこと? でも、人間になるなんて妖怪にも一大事だし、大変なことよ。そう簡単に起こることではないわ」

「でも、だってっ、本当に変わっちゃったんだもん! あんなの、つむぎちゃんじゃないっ!」

「そうかしら。人間ってそういう生物よ。急に落とし穴に落っこちちゃったみたいに、がらっと変わる姿を何度も見てきたわ」

「……じゃあ、あれは本当につむぎちゃんってこと? 私、つむぎちゃんに嫌われたってこと?」


 はっきりと、友達じゃないって言い切られた。無視だってされたし、手だってふり払われたし、私のこと嫌いだって。あれが全部本心だったら、もうどうしようもない。もう友達のつむぎちゃんはいなくなっちゃうことになる。

 視線が下に落ちてしまったとき、古本屋を震わすほどの大きい声が響いた。


「そんなわけないだろっ! だって、半間は千谷の友達なんだぞっ! 千谷を見たこともないぽん子より、半間のほうがずっとよく知ってるに決まってる!」

「それはそうかもしれないけどね……」

「だろ? だから、半間っ! そんな顔すんなよっ! 千谷が変わっちゃったのには、何か理由があるはずだってっ! 大丈夫だよっ!」


 魚沼くんが聞いたことのないような厳しい声で、ぽん子の言葉を否定した。何の根拠もない大丈夫の言葉だったけど、声が大きいからかはっきりとその言葉が私に届いた。ぽん子が、たぬきの分かりにくい表情なりに申し訳なさそうな顔をつくって、ちらっとこちらを見上げている。


「ごめんなさい。べつに、あなたを落ちこませたくて言ったわけじゃないのよ」

「ううん。でも、何か理由があると思うんだ。あまりにも突然だったし……」


 そこで、ずっと黙っていたおじさんがポンと膝を叩いた。その手にはいつものように、ティッシュ箱ぐらいの大きさの木片である大黒が抱えられている。


「――その理由を知るためにも、もう少し考えてみよう。清夏、そのつむぎちゃんの様子が変わったと初めに感じたのはいつだった?」

「えっと、ハイキングに行った日だと思う。その日、急に不機嫌になったというか、返事をしてくれなくなっちゃって。下山するときも、探したんだけどどこかに行っちゃったみたいだったし」

「俺も、その日に千谷が変だと感じたな。下山するとき、急に話しかけてきて一緒に下りようって言われてさ。何で俺にそんなこと言うんだろうってびっくりしたから」


 私の話を補足するように、魚沼くんも同じ日のことを教えてくれた。見当たらなかったあのときも、つむぎちゃんは魚沼くんのところに行ってたんだ。駅のところで魚沼くんにしゃべりかけている姿も見ていたし、今日までずっとべったりだ。

 しかし、その話を聞いてまたぽん子が否定的なことを言う。


「その子が魚沼くんを好きになっちゃったってことじゃないの? ハイキングの日をきっかけに」

「ありえないよ! だって、直前まで魚沼くんはタイプじゃないって言ってたもん!」

「そう? きっかけなんて、小さくても成り立つものよ?」


 あの日をきっかけに魚沼くんを好きになるんだったら、たぶんそれはチョウから逃げていたあの女の子たちの誰かじゃないだろうか。こっちにもチョウは飛んできたけど、そのときは魚沼くんじゃない子たちが来たし。

 それでも懐疑的に首をかしげるぽん子を、おじさんが止めてくれた。


「そこまでだ。結論を急ぎすぎるのはよくない。清夏、もうちょっとくわしく教えてほしい。いつお友達は変わってしまった? どんなふうに、いつ変わってしまったか、分かれば教えてくれ」

「どんなふうに……。えっと、たしか――」


 冷たい目でびっくりしたのを覚えている。それから、ぐしゃっと力任せにつかまれたハンカチにも驚いた。いつものつむぎちゃんなら、そんなことしないから。


「ハンカチを拾おうとしたときから、変だった気がする」

「ハンカチ?」

「うん。えっと、つむぎちゃんの後ろにハンカチが落ちてて、誰のだろうと思って、私が拾おうとしたの。そしたら、つむぎちゃんが乱暴にそれを拾って……その瞬間から、変だった気がする」

「清夏、そのあたりをもう少し詳しく話せるか? それはどんな状況だったかとか」


 おじさんにうながされて、あのハイキングのときのことをもう一度思い出してみる。山を上っている最中は本当にいつも通りで、ちょっとつかれるけど、つむぎちゃんとおしゃべりできて楽しかった。頂上について、そこから下山するまでの間で変わってしまった。


「お昼を食べようって言って、女の子のグループで集まって食べてたの。それで、ご飯を食べ終わってぼうっとしてたら、つむぎちゃんの後ろにハンカチが落ちてることに気づいたの。そこで変だって気づいたの。そこからそっけなくなっちゃって、すぐにどこかに行っちゃった。たぶん、魚沼くんのところ」

「つむぎちゃんは、ずっと清夏の近くにいた?」

「うん。ずっと隣にいたよ。……でも、急に変わっちゃったの」


 オムライスをおいしそうに食べているときは普通だった。直前まで話していたし、ずっと隣に座っていた。そう考えると、いつの間にか入れかわるなんてことはできないのかもしれない。でも、確かにつむぎちゃんは変わってしまった。

 自分で話しているうちに不安になってしまって、おじさんのほうを見ると、大丈夫だというようにうなずいてくれた。そして、また質問を投げかけられる。


「ところで、どういうふうにお昼ご飯を食べてた? こうやって、円になるようにか?」

「え、うん、そうかも」


 おじさんが宙にぐるりと指先で円を描くのを見て、不思議に思いながらうなずいた。円になって食べようという意識はなかったけど、5人以上のグループが集まって食べようとすると、自然にそういう形になっていたと思う。

 でも、なんでそんなことを聞くんだろうと思っていると、ぽん子が急に頭を座布団へ突っ込んでしまった。そして、なにやらぶつぶつ言う。


「そんなことをしたの? でも、状況を考えるとありえなくもないわ」

「ぽん子? どうしたの? 何か心当たりでもあるの?」

「――ハンカチ落としよ」

「ハンカチ落とし?」


 何だそれと思ったけど、聞いたことはある気がする。たしか、幼稚園のときにそんな遊びをしたことがあるような。魚沼くんも聞いたことがあったのか、あれかと声を上げる。


「そういう遊び、したことあるかも。円になって内向きに座っている後ろを鬼役がぐるぐる歩いて回って、誰かの後ろにハンカチを落とすやつだろ? それで、ハンカチを落とされたことに気づいた人が鬼を追いかけてタッチできたら、鬼の負け。追いつかれる前に円をぐるっと一周して戻ってこれたら、鬼は入れかわることができるってやつ」


 入れかわることができるというところではっとした。でも、ハンカチ落としは子どもの遊びだ。実際に私も昔遊んだことがあるはずだし、変なことなんて起きなかった。

 頭を抱えたぽん子はふっとため息をついて、やっと顔を上げた。


「人間の子どもってちょっとこちら側、妖怪側に近いのよね。たまに妖怪と交じって遊ぶ子がいて、いつのまにか妖怪のおまじないみたいな遊びを覚えて帰っちゃう子とかがいるの。ハンカチ落としもその一つ。もちろん、人間の子どもがただ遊ぶだけなら問題ないわよ。でも、妖怪が関わってたら、また違うわ」

「ち、違うってどういうこと? 本当に、入れかわっちゃうっていうこと?」


 自分でもそうなんじゃないかとは言っていたけど、簡単には信じられない。でも、こちらをじっと見つめたぽん子が、こくりと頭をうなずかせた。

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