古森書店のあやしいものがたり

運転手

春 逃げ出した魚

私の変わったおじさん

 私の住んでいる町は新品だ。数年前まであちこちで工事をしていたらしい。古い家は取り壊され、道を狭くしていた木は引っこ抜かれ、でこぼこしていた急な坂道は平らにならされて、すっかり新しくなってしまった。いまだに見慣れないわと、子どもの頃に住んでいたお母さんは言う。

 私は、引っ越してきたばかりだから分からない。お父さんの仕事の都合でよく引っ越しをしてきたけど、お兄ちゃんが受験生だからということで、お母さんが昔住んでいたこの町に我が半間家は戻ってきたのだ。小さい頃はおじいちゃんとおばあちゃんに会いによく来ていたらしいけれど、覚えていない。坂道が多いこの町は住みづらいと、二人は住みやすい町へと家を移している。この町にずっと住み続けているのは、お母さんの弟――おじさんだけだ。

 おじさんは、変わっている人だ。表紙の字がにじんでよく読めないような、読めたとしても私には分からないような難しい字で書かれた古い本といつもにらめっこしている。親戚の集まりでもずっとそんな感じで、すみっこのほうで黙って背中を丸くして、お母さんに叱られてようやくしぶしぶ本を片付ける。さらに変わっていることに、ここ三、四年で、おじさんは木のかたまりを持ち歩くようになった。私の二の腕ぐらいはある、ティッシュ箱みたいな大きさと形の木のかたまりで、本を読むときも大切そうに膝の上に抱えている。


 母方の親戚、古森家の集まりがあったときだった。わたしたちの中で一番幼いいとこがふざけてそれに触ろうとしたら、いつも静かなおじさんが、その手をはたいて、厳しい口調で叱った。いとこはびっくりして火がついたようにぎゃんぎゃん泣いた。さすがにおじさんも困ったみたいだけど、それでも自分の懐に隠した木を絶対に渡そうとしなかった。

 そんなに大切なら持って来なければいいでしょうともっともなことを言ったお母さんに、おじさんはこれまでになく真剣な顔をして首を横に振った。


「ずっと一緒にいないといけないんだ」


 おじさんは、まるで人間の子どもにするみたいに木のかたまりをなでた。そうは言っても、どんなに目を凝らしても、木は木で、木目の形が人の顔に見えるというわけでもなかった。

 お兄ちゃんは薄気味悪いと言っておじさんに近づかなかったけど、私は、仲がいいわけでもないけど、嫌いでもない。おじさんは、あの木がどうしてそんなに大切なんだろうと不思議に思う気持ちがあるだけだ。

 あの子は昔から変わっている子だったわとお母さんはおじさんのことを話題するたびに、そうため息をつく。学生のときからオカルトが好きで、怪談話や怪奇現象、超常現象の本を家でよく読んでいたらしい。大人になれば少しは落ち着くだろうと思っていたのに、それどころかどんどん浮世離れしていって、いつかふいに神隠しにでも遭ってしまいそうで心配だとよく言っている。

 同じ町に住むようになってから、お母さんはさらにおじさんへの心配を膨らませたらしい。たびたび料理を作って、一人暮らしのおじさんの家に届けたりしている。お母さんが忙しいときは、私がおじさんの家に届けに行っている。

 大根とツナの煮物とほうれんそうのおひたし、それから出来立てあつあつのカツを詰めたタッパーを紙袋に入れて、お母さんはそれを私に手渡した。


「これ、おじさんの家に届けて来てくれる? お母さん、これから出かけなくちゃいけないから」

「え、うーん、いいよ」


 ソファに寝転んでごろごろしていた私は、ちょっとめんどくさいなと思ったけど、立ち上がってお母さんから紙袋を受け取った。お母さんが出かけるなら、私も家にいたくなかった。


「ありがとう。それじゃあ、お願いね。夕飯までには戻ってくるから」


 お母さんは、そう言ってぱたぱたと慌ただしく家を出ていった。

 私もさっさと家を出てしまおうと思ったとき、階段から足音が下りてきた。嫌な予感がして、私はさっさと玄関に向かって、靴を足にひっかける。あせっているときにかぎってなかなか靴ってすぐにははけない。半分脱げかけていてもいいかと思って玄関の扉に手をかけたところで、不機嫌そうな声が私の後ろからかけられた。


「……遊びに行くのか。いいよな、小学生は毎日気楽に遊べて」


 二階から下りてきたお兄ちゃんが、暗い声でそう言った。ここ最近のお兄ちゃんは毎日不機嫌だ。お母さんは、受験生だから仕方がないなんて言うけれど、こんなにむかむかすることを言われて我慢しなくちゃいけない私の気持ちも考えてほしいものだ。ちょっと目が合うたび、すれ違うたび、おやつを食べてるときでさえ、文句を言われる。


「おじさんのところ、いってきまーす」


 お兄ちゃんの言うことなんて無視して、私は家を出た。

 おじさんの家はちょっと遠い。私の住んでいる住宅街を抜け、坂を下りた先にある駅、その駅の踏切を渡って、晩御飯の買物をする人がひしめくスーパーの横を通り、ちょっと横道に入って、おしゃれなカフェや美容院が並ぶ中、ひときわ浮くように建っている古本屋さん。ここがおじさんの家だ。

 常に両開きの扉が開きっぱなしの古本屋は、一歩足を踏み入れるとインクと古い紙の匂いがする。おじさんの古本屋は、町中の本屋さんみたいにきれいじゃなくて、お店そのものが本棚みたいだ。あふれんばかりに本が詰め込まれた棚が道を塞ぐように幾つも立っていて、それでも入り切らなかった本が、床や棚の上にそのまま置かれている。本を取り出すどころか、子どもの私が一歩中に入るのにも苦労する。まちがってちょっと蹴とばしたり、肩をぶつけたりするだけで本のなだれが起きてしまいそうだ。


「おじさん、来たよ」


 慎重に一歩一歩進みながら奥へと進むと、古い木のカウンターがある。一段高い床の上に座布団を敷いて正座をし、おじさんはいつものように読み物をしていた。もう一度、おじさんと呼びかけると、眼鏡越しに視線が合った。でも、またすぐに手元の文字へと目が戻ってしまう。


「また来たのか、清夏」

「また来たんだよ、おじさん。奥行くね」


 カウンターの右側には跳ね上げる部分があって、本当はそこから店舗の奥へと入ることができるはずなんだけど、おじさんはカウンターいっぱいに本とかよく分からない陶器の置物とか、キャップをしめてないペンとか書きかけのメモとか広げっぱなしだから、跳ね上げることができない。だから、店の奥に入るためにはカウンターの下をくぐらないといけない。それも、おじさんはものぐさであまりお店の床を掃除したりしないものだから、膝をつくとほこりがついてしまうのだ。私は慎重に頭をカウンターでぶつけないように、床にできるだけ触れないように、しゃがみこんだ状態でよじよじとカウンターを通り抜ける。

 カウンターの内側に入ると、私は靴を脱いで一段高くなっている板張りの床の上に上がった。棚に隠れてお店の側からは見えないけれど、さらにその奥にすりガラスの引き戸があって、その向こうはおじさんが普段生活しているスペースになっている。


「それじゃ、冷蔵庫に入れておくね。あと、できたてのカツはテーブルの上に置いておくから」

「わかった」


 本当にわかったのかわからないような返事をするおじさんはいつものことだ。ちらりと見ると、あいかわらず膝の上に木のかたまりを乗せている。

 おじさんのことを気にしてもしようがないと、私はいつものようにすりガラスを開けて、居住スペースであるたたみの部屋に入った。奥の部屋に入ってまずやることは、窓を開けることだ。閉めたままのカーテンを勢いよく払いのけると、差し込んでくる光でほこりがきらきらと宙を舞っているのがよく見えるようになった。さびかけたねじをぐるりと回して窓を開けると、むわりとした湿っぽくって息苦しい空気がちょっとましになる。窓の近くで息をついて、それから薄暗い部屋の電気をつける。

 畳の部屋にはちゃぶ台が一つ。そこには、博物館で見たことがあるような大きな水筒みたいな巻物が置いてあって、それが転がり落ちないようにするためか、飲みかけのコップが二つほど並べてある。

 おそるおそるコップの中を覗いてみると、中の側面にお茶のしみみたいな輪っかができているのが確認できて、これは長い間放置されてきたものだなと判断して回収する。コップの代わりにカツの入ったタッパーをストッパーにして、コップ二つは台所の流し場で水につけておく。持ってきた残りの大根とほうれんそうのタッパーは、私の身長ぐらいしかない小さい冷蔵庫の中にしまっておく。中はほとんどすっからかんで、もやしとお茶ぐらいしか入っていなかった。冷蔵庫の扉を閉めてしまえば、お母さんに任された私の仕事は終了だ。

 ちらりと壁にかけてある振り子時計を見ると、家を出てから一時間も経っていない。お母さんはまだ帰ってきていないだろうし、これからどこかへ暇つぶしにも行けない。

 私がまたお店側に戻ると、やっぱり誰もお客さんはいない。おじさんはあいかわらず難しい本を読んで眼鏡の奥の目を細くしていた。


「おじさん、また本借りるね」

「ああ……」


 目も向けられないけど、返事はもらえた。私は、以前お店の棚からカウンターの裏へと運び出しておいた本の山から適当なものを物色することにした。

 おじさんのお店は、読めないぐらい画数の多い文字が表紙に書かれていたり、背表紙がアイロンで焦がしたみたいに茶色い本だったり、もしくはどこの国のものか分からない本だったり難しいものが多いけれど、意外と私が読めるようなものもある。私のおじいちゃんやおばあちゃんが子どもの頃に読んでいた児童向けの本らしい。のっぺりとした白黒の挿絵が描かれていて、言葉もちょっとわかりにくいけどおもしろい。

 一冊手に取った私は、また奥の部屋にもどって、座布団の上に寝転がって本を読んだ。

 おじさんのお店は表通りから一本外れた場所にあるからか、車の音も人のざわめきもあまり聞こえない。ついでにお客さんも来ないから、聞こえるのは本のページをめくる音と振り子時計のカチコチという音ぐらい。おじさんはすりガラス一枚向こうにいるけれど、今だけはこの部屋の中は私だけがいるみたいな感じがした。ちょっとさびしいけれど、ほっとする。

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