第78話 少年リック・ゴルドーの事情
「あそこだな」
リックに付けたブラッドスパイダーの魔糸を頼りに、俺たちはルーンガイアの某所へとやって来ていた。
魔糸の先は、お世辞にも豊かには見えない家屋へと繋がっており、そこにリックがいることを示している。恐らくはあそこにリックの母親もいるのだろう。
「貧民街か……」
俺は独り言のように呟き、メイアやテティと共にその家の裏手へと回ることにした。
「ごめんねアデル。わたし、二人みたいに気配を消すのが得意じゃないから」
テティが俺の体に密着した状態で申し訳無さそうに耳を垂らす。
自分で気配を隠せるジョブスキルを持ったメイアは問題ないが、テティはそのままだと姿を認識される恐れがある。
そのため、今は俺が身に着けた外套に包まるような形を取っていた。
気配隠匿の効果を持ったこの黒衣の内側にいれば問題ないだろう。
「あ、アデル様。私もその……、一緒に入った方がよろしいでしょうか?」
「……? いや、メイアは自分のジョブスキルがあるから問題ないだろ」
「い、いえ、でもほら、万が一ということもありますし」
盗賊団の拠点に侵入して気づかれないほどのジョブスキルなのに、何を心配しているのか。
そんなことを考えたが、確かに会話するにしても声を潜める必要があるだろうし、近くにいた方が都合良いかもしれないと思い直す。
「分かったよ。ほら」
「あ……。それでは、失礼します」
自分で言い出したことなのに、メイアはしおらしくなりながら俺の懐に潜り込んできた。
――正直、二人に密着されると少し暑いな。
俺が服の首元を少し緩めると、何故かメイアがごくりと喉を鳴らすのが聞こえる。
「あ、えっと、もっとくっついた方が良いですよね」
「いや、もうじゅうぶ――」
「万が一、万が一があると良くないですから」
「……わ、わたしも」
メイアがさっきより身を寄せてきて、あろうことかその様子を見たテティも続く。
……仕方がない。暑いのは我慢しよう。
そうして、三人が一つの外套に身を包むという奇妙な状態のまま、俺たちは裏手の窓から家の内側の様子を窺った。
――あれが母親か。
裏手の窓から覗くと、ベッドの上にやつれた女性が一人。見たところ、顔色は良くない。
ひと目見て健康な状態ではないことが察しがついたが、俺にはそれよりも気になることがあった。
「アデル、あれ――」
テティが声を潜めて語りかけてくる。俺と同じものを見つけたらしい。
リックの母親と思われるその人物の腕には、黒い痣があった。
まるで黒い蛇に巻き付かれたかのようなそれは、不吉なものを感じさせる刻印のようだ。俺も記憶を探るが、あのようなものは見たことがない。
「あれは……」
メイアが真剣な表情で呟く。
何か知っているのかと問いかけようとしたところ、部屋の扉が静かに開く音がした。
「母さん。ご飯、作ってきたよ」
そこに現れたのはリックだ。
平らな容器の上に食器を乗せ、それを母親の枕元に置く。どうやら食事を持ってきたらしい。
「う、ん……。ああ、リックかい……」
「あ、いいよ無理しなくて」
リックが止めようとしたが、母親はゆっくりと体を起こし、リックに向けて微笑みかける。
「大丈夫だよ。今日は体の調子が良いからね」
母親の言ったその言葉が嘘であることは、誰の目にも明らかだった。
きっと、食事を作ってきてくれた息子を心配させまいと起こした行動だったのだろう。
痛々しく手は震え、それでも母親はリックに向けた微笑みを崩すことはしなかった。
リックはその姿を見て口をぎゅっと噛み締めていたが、すぐに食器を持ち上げて中身の粥を母親に食べさせていく。
「ありがとうね、リック。とても美味しかったよ」
「ううん。母さんには早く良くなってもらいたいからね。このくらいのこと、わけないよ」
そう言って、リックもまた母親に向けて笑みを浮かべる。それもまた、痛々しかった。
テティと相対していた時の殺気立った様子とは随分と異なる。きっと、これがリックの素の姿なのだろう。
「あ、そうだ。母さん」
「何だい、リック?」
「もう少しでね、母さんの病気を治す薬が手に入りそうなんだ。だから、それまで辛いだろうけど、我慢しててね。きっとオレが母さんの病気を治してみせるから」
その言葉の後、俺の服を掴んでいたメイアの手に力が込められるのが分かった。
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