勇気のあゆみ
相川巧
プロローグ・はじまりの勇気と彼女との出逢い
か弱い少女が困っている姿を見つけた時、人は優しく手を差し伸べてあげることが出来るだろうか。
「うぅ~~、寒いッ」
二月の乾いた空気が頬に突き刺さる。それは駅の構内に入っても同じで、むしろ冷え冷えとしたコンクリートに囲まれている方が外より寒いと感じていた。
「やっぱり休みの日は家にいるべきだったかなぁ?」
首に巻いたマフラーを締めながら、玲雄は一人でぼやく。白い吐息が目の前に広がった。
この日は平日だが学校が休みだったため、時間が空いた。玲雄は、大きな本屋を求めて自分が通う高校近くの駅まで来ていた。
十分に厚着をしてきたつもりだった。それでも衣服に覆われていない部分までは防寒できない。息を吸い込めば、鼻の奥まで痛むほどであった。
目当ての本を買い終えて暖房の効いた本屋を出ると、外の寒さを思い出す。急いで駅まで駆け込んだところだった。
「うぅ~……さっさと帰って家であったまろう」
紙袋に包まれた本を持つ手にまで力が入る。早足で改札を目指していく。
改札まで、あと五メートル。コートのポケットに手を入れて、定期券が入ったパスケースをつかむ。それを取り出そうとしたところで、玲雄は思わず足を止めた。
(……どうしたんだろう?)
改札の手前で一人の少女が立ち尽くしている。
見たところ、中学生くらいの年齢だろうか。小柄で、まだ幼さの残る顔立ち。手首に提げた茶色の学生鞄。藍色のコートの裾から覗かせているスカートも、私服ではなくどこかの学校の制服のようだ。
不安そうな表情で少女が見上げる先には、路線案内図。やがて少女は、視線を手元に移す。少女の手には、小さなピンク色の財布。
路線案内図と財布の中身とを見比べるたびに、少女の顔は曇りを増していく。放っておいたら泣き出しそうな予感さえする表情だ。
(行き先が分からないのかな? それとも……)
少女は、明らかに困っている様子だ。駅員であれば、彼女を助けてあげられるだろうか。
そう考えて玲雄は、周りを見渡してみる。少女と同じくらいの年齢の少年が一人、玲雄の脇を通り過ぎていった。
その少年は券売機で切符を購入すると、少女の方をチラリと見た。それだけで少年は、自分が買った切符で改札を通っていってしまった。
(やっぱり、切符を買うお金が無いのかも)
少女が顔を曇らせる不安の正体に、玲雄も感づいた。そうなると駅員に相談しても解決するかは分からない。
平日の夕方より少し早い時間。駅を利用する大人の姿は見えない。少女を助けてあげられそうな大人の姿は。
「……どこまで行くの?」
気が付くと、玲雄は少女の側まで歩み寄って声をかけていた。
突然のことに少女は体をビクッと弾ませ、顔色を不安から驚きに変える。
見知らぬ人間にいきなり声をかけられて、驚かない人間はいないだろう。
玲雄は、自分の行動が少女にとってあまりにも突然であったことを反省した。今度は出来る限り、穏やかな声色で尋ねてみる。
「あ……どこで降りるの?」
少女はしばらく無言で玲雄の顔を見上げていた。大きな瞳をうるませながら。
やがて目の前にいるのが悪意を持った人でないと分かると、こわごわと口を開いた。
「く、倉見台です」
少女が告げた降車駅を頭の中で繰り返すと、玲雄は券売機の前まで向かった。
頭上の路線案内図を見て確かめる。倉見台は、ここから三駅。切符は一九〇円。
大人であれば、たったの二〇〇円足らずと思うかもしれない。それでも中学生にしてみれば、常に財布に入っている額とも限らない。
もしかしたら往復の電車賃ギリギリの額だけを財布に入れて、予定外の出費で足りなくなったのかもしれない。
玲雄は本を購入した際のおつりを取り出した。
「あっ」
券売機のボタンを押して、発行された切符を見て玲雄は小さく声を上げた。
振り返り、先ほどの少女に今買った切符を差し出す。
「あの……間違えて買ってしまったので、よかったら使ってください」
切符に書かれた金額は一九〇円。少女が口にした倉見台駅までの切符だ。
少女は戸惑いながら、差し出された切符と玲雄の顔とを交互に見る。
遠慮しているのか、玲雄の意図が分からないでいるのか。少女の手はピンク色の財布を握り締めたまま、差し出された切符を受け取ろうとはしない。
玲雄が、もう少しだけ少女の方へと手を伸ばす。そこでやっと、少女もそろそろと手を出して切符を手に取る。
「それじゃ」
少女が切符を受け取ると同時に、玲雄は少女から離れた。
足早に改札へと向かうと、持っていた定期券を使って改札を通る。
少女の方を振り返ることなく、そのまま駆けるようにしてホームへと向かっていく。
(余計なことだったかな……それより、不審者と思われたかも)
してしまった後から、玲雄は自分の行為を気に病む。
この後、改札を通って来るであろう少女と顔を合わせるのが気まずく思い、なるべくホームの端へと移動する。
玲雄は親切でしたつもりでも、少女にとっては迷惑だったかもしれない。そのことを、もっとよく考えるべきだったのではないかと。
(それでも、あのまま放っておくことなんて出来ない。それは、僕がなりたい姿じゃない)
あの少女は、明らかに困っている様子だった。
二月の寒さにさらされながら一人、不安で心まで寒々しくしていそうな少女。その気持ちを考えると、何もせずに素通りすることの方が辛かった。
(きっと、後になって悩むことになってた。声をかければよかったのに……って。だから、これは自分の心の負担を減らすためにやったことだ)
玲雄は、そう自分に言い聞かせて帰りの電車に乗った。
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