蓼喰うもの
西川東
蓼喰うもの
よくインターネットでまことしやかに語られる話に、「カードショップは客層が臭い方ばかり」というのがある。
これは不思議なことに大方事実であり、なぜか臭う方をカードショップでよくみる。
もちろんそんなお客さんばかりではないし、個人的には、そういうお客さんも最近は減ってきている気がするが。
「ただ臭いだけならよかったんですよ・・・臭いだけなら・・・」
ホビーショップを経営しているFさんは、重苦しい表情でそんな風に語り始めた。これはまだお店でカードの販売もしていた頃の話。
先の例に漏れず、トレーディングカード目当ての臭うお客様がそこそこいらした。
これも商売だと割り切って、Fさんは、ときどき店に漂う悪臭に慣れてしまっていた。
・・・とはいうものの、そんな鍛え上げられたFさんでも、少し耐えられない、他とは別格の臭いを放つお客様がいた。
歳は三十から四十ぐらいの男性。なかなか丸々とした体形で、肌どころかメガネも皮脂でテカテカに光っていた。そして黒のポロシャツと黒のズボンはパツパツ。
極めつけは、遠目からは黒く見えるも、よくみると灰色のリュックサック。ずっと同じ服装でいらっしゃるせいか、とても年季の入った香りのする方だった。
店側としても追い返したいのだが、ひと月に二、三回しか訪れない割には、入店して真っ先にお目当ての品に飛びつき、ドカドカと買い漁ってパッといなくなる。結果としてお店にはかなりの金額が舞い込み、店頭には歯抜けが目立つようになる。
神出鬼没で、嵐のようにやってきて立ち去っていく様子や、その服装、そのあとのお店の状況から、店員からは“ゴジラさん”と、ひそかに呼ばれていた。
詳しい訳はわからないが、どうもこのゴジラさんのおかげで他のカードショップより店が儲かっている節があり、頭を抱えつつも、まあ、ありがたい(?)存在であった。
しかし、ある日のことだった。
その日、たまたまFさんが店頭にいると、ゴジラさんが襲来してきた。アルバイトの子が品物を物色している彼を横目に小言を口にしていた。
Fさんがその子を肘で軽く小突いて注意していると、目当てのカードの束を抱えたゴジラさんがレジに向かってきた。
照明の関係だろうか。ゴジラさんの姿がすこし太くなったというか、なんだか二重にみえる。
その違和感に気づいたせいなのか、それからというもの、来店するゴジラさんの容姿が少し二重にみえるようになった。自分だけではなく、ほかの店員の間でも話題になった。それどころか、徐々に彼が来店する頻度が減っていったという。
そしてついには全くお店に来なくなり、ほかの店員が「あの人どうしたんですかね」と口にするようになった。
しかし、残酷な話、臭いの件もあったせいか、気前のいい支払いをしていた彼の話題はなくなっていき、Fさん自身も彼の存在を忘れ始めていたときだった。
おそらく約一年ぶりだろうか。彼が来た。 ただ、最初は誰だか分らなかった。
というのも、あの悪評高かった悪臭が嘘のように消え、丸々とした体形は細くなっていた。
そのメガネ、だるだるでサイズはあっていないが、あの見覚えのある上下とも真っ黒な服装。そして極めつけに、肩からだらりとぶらさがった黒っぽい灰色のリュックサック。それらの物品から、辛うじてゴジラさんだと判別できた。
最初は一見さんかと思って見過ごしていたFさんも、あまりにも変わり果てたゴジラさんに釘付けになった。いったい彼に何があったのか。そんなことを頭のなかでグルグルと問いかけながら、彼の足取りを目で追っていく。
いつも通りの順番でカードが展示された棚を見回るゴジラさん。その足取りはいまにも倒れそうなぐらい、ふらふらとしている。
彼がふらふらとしているせいなのか、その姿は以前よりも二重にみえた。それはもはや影が云々といったものではなく、例えを上げるならば、「十円玉二枚を高速でこすり合わせたとき、それが三枚にみえる」そんなちゃちな手品のように、ゴジラさんの残像らしきものがぐわんぐわんと揺れている。
そんな状態の彼がレジまでやってくると、弱弱しくカウンターに手をかけ、「すいません、棚の中の商品で欲しいものがあるのですが・・・」という。
その声は息も絶え絶えであった。
ここでカードショップに行ったことがない方のために説明するのだが、元来、カードショップには盗難防止のため、宝石や時計のようなものを展示する鍵のかかった透明な棚や、そこにカードをポスターのように飾るため細くした形状の棚がある。
これらに展示してある高価なカードは、客が店員に声をかけて欲しいものを注文し、棚にかかった鍵を開けた店員が商品を取り出してお会計する形になっている。
このためFさんはゴジラさんの注文で一緒に棚へと向かい、次から次へと商品を取り出していった。
指示されたカードを棚から取り出すだけ。そんな単純作業のなかでふと気づいた。
カードを飾る棚。Fさんの店ではその背面を鏡張りにしていたのだが、そこに弱弱しくなったゴジラさんが写りこむ。
その背中には、何かがへばりついていた。
思わず視線がカードから鏡の中のそれにうつる。
それは、黒茶色の泥がかろうじて人の形をしているモノだった。
人のようなモノというのは、ゴジラさんの首の盆のところ、手に抱えるぐらいの大きさで、ひっついている丸い物体。泥で絡み合った汚い髪の塊が鏡越しにこちらを覗いていた。
あまりにも常軌を逸したナニカをまえに、Fさんの体はガクガクと震えだし、気にしないよう、みていないよう考えた。
しかし、そう考えれば考えるほど、手元はおぼつかなくなり、棚をうまく開閉できなくなっていた。
そんな様子のFさんを全く気にせず、淡々と注文し続けるゴジラさん。その注文の声にかぶさるぐらいの大きさで、彼の首付近から音がし続ける。
「ちゅー、ちゅー」と、まるで乳房を食んだ赤子がもらす不快音だった。
(早くしてくれ!早くしてくれ!)
そう心の中で叫んでいると、ゴジラさんがふらーっともたれかかってきた。
思わず「大丈夫ですか!」と上ずった声が出た。
彼はふらふらと立ち上がって
「体調がよくなくて・・・注文はもう大丈夫です・・・」
青白い顔でうつむき加減でそう答えたゴジラさん。その小さくなった背中には、なにも引っついていなかった。
そして、これが彼と交わした最初で最後の会話だったという。
それからゴジラさん“は”全く見かけなくなった。
ただ、ゴジラさん以外にもよくお店に来ていたお客さん、そのなかでも臭う方の接客をするのがFさんにとっては苦痛になった。
「なんていうんでしょう。波長が合ってしまった・・・とでもいうのでしょうかね」
臭いお客さんの背中。そこには、あの泥のようなナニカが必ずへばりついていた。もう鏡越しでなくとも、目の前にそれが見えるようになった。
そして、背中にソレをつけていた方は、それからもう二度とお店に来ることはなかったそうだ。
「だから、そんなもの何度もみたくないし、なにせ、お店にそれがいる間ずーっと『ちゅーちゅー』聞こえてくるんですよ。あのままカードショップ続けてたら、今頃“特別な”病院に入院してましたよ」
その後、太客が来なくなったことから、すぐに「経営悪化」や「環境改善」などの名目でカードショップコーナーをなかったことにした。が、
「やっぱりねー、もう本当にカードショップなんてやるんじゃなかったですよ。本当に嫌だ。なんでやってたんだろ。すごく後悔してます。本当に、もう・・・」
いわく。それから店に限らず、町の中でも身なりが汚い感じの方に会えば、その背中にへばりつくアレがみえるようになった。彼らがその後どうなるのか、いまだに知る由はない。
そんなアレとの遭遇から極度の潔癖症になったというFさん。
制汗剤や石鹸、いろんなものが混じった臭いを漂わせつつ、こんな話を聞かせてくれた。
蓼喰うもの 西川東 @tosen_nishimoto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます