自問自答
旅人旅行
残酷かつ憂鬱な吹雪と安心できる体温
「消えて、早く」
青く暗い部屋、壁を背もたれに座っていた。俺の耳元にナイフが刺さる。でも、確実に心に刺さった。胸が痛い。俺はもうどうしようもなくなり、部屋から立ち去ろうとした。去り際に、何か声をかけれないかと思うけど、何をかけて良いかわからず、とりあえずナイフを投げた張本人を見る。
好きな、女の子だった。絵画の背景として出てきそうなお高い部屋で、その女の子はベッドの上に布団を纏っている。が、外の吹雪のせいでまだ寒そうにしている。そして俺を氷柱のような眼差しで睨んでいる。
何か、言わないと。
言わなきゃ、後悔するだけ。
やらずに後悔より、やって後悔。
そう思い口を動かすも、こういう時は馬鹿な頭で、最適解が無い。
俺は丸椅子から腰を上げて、歩いた。歩いてるはずだ。でも、妙に歩いている感覚がなかった。何を踏んでいるのかさえわからない気がした。心と体はバラバラだった。
でも、扉に着いて、そのまま開けた。その扉は嫌なほど障害なく開いた。音もしなかった。扉でさえ、俺が帰ることを肯定しているのか。
俺は、最後に少し振り返った。
女の子は俺の方をこれっぽっちも向かず、下を向いて震えていた。布団を握りしめてた。手が赤かった。素敵な、また見たかった顔が見えなかった。見送ってはくれてなかった。
そのことがまた胸を貫いた。何もしたくなかった。でも、しないと後悔だらけになると思い、音を出した。
「……、ま、また、ね?」
俺は
すると女の子は急に顔を上げて、俺に果物を投げた。俺があげた果物だった。どれなら熟していて美味しいだろうか、喜んでくれるだろうかと彼女を思って一つ一つ選んだ果物だった。
そんな果物を籠ごと投げてきた。それが当たって、辺り一面に転がって。その転がった果物達の虚しさを見て、俺はただ、瞼に熱を覚えた。だから少し走った。何も考えずに、値が張りそうな廊下を走った。赤い絨毯で、ふわふわで。暖かい日差しがあれば、そこで猫のように寝れそうだった。でも、そんなことはもうできるわけもなく走った。走った。走った。
でも、少し歩くと疲れてきて止まった。酸欠になった。俺はとりあえず近くの台に手を置いた。そこには、高そうな石膏の像が立っていた。男でみんなが一目で芸術作品なんだと察する物だった。髪が長く、スタイルが良く、それでいて堂々としてて……。
むかついたので押してやった。当然落ちてヒビが入る。俺は追い討ちをかけた。蹴り上げて、踏みつけて。こんなものの何が芸術だ。なぜこんなものに芸術と思うか。どうせ聖書だったり、社会的背景だったり。そういう物が関係するんだろ。どうせそうなんだ。そんなの、これっぽっちも凄くない。こんなもの、騙しだ。本物じゃない。空想だ。嘘つき、嘘つき、嘘つき、嘘つき!
俺はまた疲れてやめた。こんなものにこんなに時間と労力を割くなんて。俺らしくないな……。
俺はまた赤い絨毯の上を歩く。時々ふらついて、壁にぶつかったり、床に倒れ込んだり、止まったり、上を見上げたり。
そして、度々出会う人々に冷たい目を向けられる。何も語らずただ、ただ、俺が消えるのを待つように動かず、見下ろして。全員、仲が良かったと思ったのに、いや、良かったはずなのに。一緒に笑ったし、遊んだし、話したし、一緒に数学の問題を解いたり、本について語り合ったり、教え合ったり、切磋琢磨し合った仲じゃ無いか、笑いふざけた仲じゃ無いか。
なんで、こんなことになったんだろう。なんでそんな冷たい目線を向けれるんだ。法に触れたか、痛めつけたか、奪ったか、疲れさせたか。何が、何が悪かった。誰か、教えてくれよ。むしろ君たちじゃないか。俺が何をされても平気な奴だと勘違いしてただろう。ふざけるなよ。俺は悪くない。
金持ちの家の馬鹿デカい階段を降りて、玄関に着いた。振り返った。全員がいた。二階の吹き抜けから静かに、冷たく見下ろしていた。そして、好きな人は階段の踊り場から俺を睨みつけていた。ふっ、見送りに、来たのか。
「こっちを向かないでよ! さっさと消えて!」
俺は、目を見開いた。何か、何か、何か、何か、何か、言ってやらなきゃ、おかしいだろ。そんなに冷たくするか。しなくていいだろ。する意味がないだろ。無駄な労力じゃ無いか。そんなに、そんなに、そんなに冷たくしないでくれよ。どうすればまた昔のようになれるんだよ。
「早くしてよ!」
物を投げられた。当たった。痛かった。胸が、胸が痛かった。目の下が熱く、涙が溢れ、口が歪み、手が震えた。脚をどこに向ければ良いのかすらわからない、目線をどこに向ければいいのかすらわからない、感情の伝え方すらわからない、言葉さえ選べない。
俺はもう、途方に暮れてただ扉を開けた。もちろん吹雪は強く、俺は押し戻されそうになる。そしてまた振り返る。
「こっち向くなっつっただろ!」
また、投げるのかい。投げられた物が、俺が、かわいそうじゃ無いか。なんでそこまで冷たくするんだよ。もはや吹雪の方が、優しいじゃないか。
「……」
こんな時でも、頭は馬鹿か。かける言葉が見当たらない。いや、ここまでされてかけれる言葉なんて無いか。無いよな。かけなくて……、良いん、だよな……。でも、最後の一言だけ……。好きな女の子にたった一言を伝えたいんだ……。
「……、またね……」
その瞬間、息を吸う音がオーケストラのように鳴り響いた。その後罵詈雑言が飛び、胸を刺し続けた。頭や背中には色んな物がぶつかった。
そして、悲しく扉を閉めた。扉に物がぶつかる音が虚しくうるさかった。吹雪の方が優しく静かだった。でも案の定、目の前を吹く雪が道を塞いでいた。ブーツを履いてるとは言え、流石に膝下を越えそうな中を歩くのは、気が引ける。
でももう、ここにいられない。だから一歩踏み出した。ズボボボボと足が沈む。ブーツの中に雪が入る。その雪の冷たさがまた、何とも言えなかった。また一歩踏み出しても同じだけ。顔中に洗顔パックのようにへばりつく雪、風に煽られる白衣、どんどん濡れる靴下、何も温めれないポケット。ただ涙が溢れた。時代が冷たすぎる。
そして目の前に俺が座ってた丸椅子が飛んできた。少し離れたところとはいえ、流石に立ち止まった。そして、飛んできた方向の後ろを見た。はっ、まだ見てるのか。窓を埋め尽くしてまで俺を見るのか。そこまでして冷徹な視線を浴びせたいか。俺にどうなって欲しいんだ。まぁ、どうせ、君達が頼むような存在に俺はなれないがな。全く、やめてくれ。頼むから。これ以上俺に涙を、悲しみを、辛酸を、憂鬱を、与えないでくれ。
どんどん歩いた。後ろをもう、振り返りたくなかった。また誰かが、いや全員が俺を悲しませるような気がして振り返れなかった。誰かが近づいてくるのではないか、誰かが俺を無意識に傷つけるのではないか、また何か投げられるのではないか、今度は投げられたナイフが刺さるのではないか、凍った血が絆創膏代わりになるのではないか。
アホらしい。でも、そんな、狂ったことさえ気晴らしだった。前には足跡も道標もなく、ただ脳内コンパスだけが頼りだった。確かこの方角を歩けばいい。
そう思い歩き続けた。
こんな中を歩くと、時間の感覚さえわからなくなる。頭を抱えて、叫んだ。声はこだまして、吹雪がかき消した。服はもうパリパリに凍っていて、足には感覚が無くて、次の一歩を思うと倒れ込んで、俯きたくなる。でも、絶対に死なないと決めた以上俺は前にまた進む。
そして、体感一日は歩いた頃。急に目の前に家が現れた。何も変哲もない家だった。住宅街にありふれた家だ。彼女達の豪邸とは、大違いだった。無機質で、青の屋根で、音の無い家だった。
俺は、家に着いたというのに何も変わらなかった。安心も喜びも何もなく、ただただ空虚だった。靴を脱ごうとするけど、何かめんどくさくて、なかなか何かにかかとを引っ掛けることができなかった。そして腰を曲げて靴を脱ごうとするけど、どうせ一人暮らしなんだしと思って、靴のまま家に上がった。まるで足を引きずるようにして歩いた。
部屋に入って、いつもなら疲れてため息を吐きながら白衣を脱ぎソファに投げ捨てるけど、今日はそんな気さえ起きなかった。着たまま、部屋を歩いた。
そして、階段を下った。そう、地下だ。我が家には、俺の希望とした物が沢山ある。それがこの地下だ。この地下にはたくさんの物がある。子供の頃考えた秘密基地みたいだ。
あぁ、懐かしいな、こんなぬいぐるみ、あったっけ。一回捨てたと思って、泣いちゃって。寂しかったな。そして見つけたことが嬉しかったな。でも、結局ここで埃をかけていた。全く、何をやってるんだろうか。
うわっ、懐かしい漫画雑誌だ。何年買ってないだろう。昔は大笑いしたっけ。そしてそれを大笑いしてて、うるさいだとかセンスがないだとか、誰も理解してくれなかったよね。
へぇ〜、小学校の教科書じゃん。今じゃ1+1に指なんて使わないや。頭の中で因数分解さえできるな。17×13=(15+2)(15-2)=225-4=221だ。ふっ、雑魚だな。
あ〜、子供の頃の服だ。この服気に入ってたんだよな……。でも、周りからダサいって言われたりさ、ワンパターンだねって言われたりさ……。好きな物でたくさんのはずなのに。胸を苦しくさせるような思い出ばかりじゃないか。ふざけるなよ。ふざけるなよ。
俺は衝動的に手を振りかぶった。多分、漫画やアニメなんかじゃ、こんな動きを取ると何かを投げると思う。でも、俺は、そういうのが苦手だった。何も投げられなかった。昔から、可哀想と考えてしまう。怒るのも、苦手なんだ。よく感情を溜め込んでしまう。こういうのが、ダメなんだろうな。よく、親に心配されたっけ。へっ。
もう、いいや。疲れた。でも、死ねないな……。死ぬのが難しすぎる。怖くて手が震えるし、誰かに迷惑をかけるし、死んで何かが良くなることはないし、美しい死体は映画のワンシーンにしか無いんだよ。時間が経てば、死体は朽ちる。そして誰も目を向けたく無くなるような状態になるんだよ。現実って、夢とは違うんだ。なんでこうも辛いんだ。不幸ばかり蔓延しやがって。
そして、地下の扉を開けた。その先の部屋は白かった。部屋の隅がわからないくらい。壁も天井も奥も床も何もわからない部屋だった。正直、作ったばかりはこの部屋に入るのが少し怖かった。
でも、今は一番落ち着ける部屋になった。何の主張も聞かなくていい、そういう場所が欲しかった。部屋は、なぜか白く発光していて、窓どころか、通気口すらない。部屋の扉を閉じると、方向感覚さえ狂った。その部屋でただ倒れ込んだ。白い床は、外の雪のように冷たかった。でも、それさえ安心できる物だった。
それから泣いた。体育座りをして、背中を丸くして。ただ無制限に泣いた。ただこのまま三年間ほど何もせずに生きていたかった。そんな中だった。部屋に、音がした。すぐさま顔を上げた。
女性だった。白い服に黒のカーディガンを纏った。背の高い女性だった。平均男性くらいある。そんな女性がいつの間にかいた。
俺は逃げた。何でこんなところに人がいる。ここは俺以外何があっちゃいけないんだ。俺だけの部屋なんだ。なんで。なんで。
「いたっ」
転けた。何もないのに、ダサく転けてしまった。俺はそのまま匍匐前進のようにして逃げ続けた。が、彼女は目の前に現れた。
そして抱きしめてきた。怖かった。何が何だかわからなかった。でも、でも、人の体温が優しくて、泣いてしまった。彼女を抱き寄せて、ただ泣いた。
「もう、大丈夫だから、あなたを助けにきたよ」
ただ泣いた。
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