世界のトビラ
小夜
第1話 始まる
自身のある特殊な能力が芽生えたのは、一体いつ頃だったろうか。
小さい頃から本を読むのが好きだった。ゲーム機など視力低下と依存を理由に一切触らしてもらえなかったため、自我が芽生え自分で字を読めるようになってからは、ひたすら目で文字を追っかけていたような気がする。普通なら友人と共に外に遊びに出かけるのだろうが、少し陰湿な性格が影響したのか、共に遊びに行くような友達など昔からおらず、何よりクーラーの効いた涼しい室内で大好きな世界に入り浸っていた方が断然楽しかった。
そんな人間だったため、小学校に入学し夏休みに入ったとしても、大抵居るのは家か図書館だった。図書館は良い。キッズスペースでは定期的に読み聞かせが行われているし、子供でも読めるような字が大きい本から、図鑑や大人向けの本までぎっしりとこの大きい施設に詰まっているのだから。自身にとってそこは、まるで桃源郷のような別次元の世界だったのである。
そのため小学3年生の夏休みも、自身はほとんどの時間を図書館で過ごした。図書館に向かう道中は蝉がうるさく、風もほとんど吹かないため滴り落ちる汗を拭いながら長い坂道を登る。空では大きな雲が優雅に泳いでおり、それにすら苛立ちを覚えるくらいには暑さが身体を蝕んでいた。だが永遠とも思われる長い坂道を登りきり、やっとの思いで自動ドアを潜ると暑さは一変し涼しく過ごしやすい環境になるのだから、家から出てここまで頑張って来たかいがあったというものだ。図書館に同接されているカフェでは期間限定でソフトクリームが売られているらしいが、生憎現在の所持金は300円ほど。買えたとしても数少ないお小遣いを使い後々後悔するのは自分である。そのためカフェの看板を恨めしげに見つめながら重たい足を動かし、親切にしてくれている司書に軽く挨拶をすると子供向けコーナーへと足早に向かった。開館直後に来たというのに、子供向けコーナーへと向かう途中ではもう既に何名かが本を手に取っていた。それでも子供の数はまだまばらで、自分を含めるとほんの二、三人にしかおらず少しほっとする。そして子供向けコーナーの1番端っこに置かれているとある本を手に取ると、椅子に座りページを捲った。
その当時夢中になっていた本は恐竜と"僕"が出てくる話だった。"僕"は1匹の恐竜と仲が良く、様々な場所に冒険しに行くという内容なのだが、所々に描かれているだだっ広いジャングルや高原、永遠に続くかのように思われる海などのイラストが、自身に感動を与えていた。
とてもお気に入りの本だったのだが、何回も繰り返し読んでいては多少は飽きてくるのが人間というもので、クーラーが効いているのも相まって本を読みながらもいつしか眠気が襲ってくるようになった。暑い中外を歩いてきた疲れもあったのだろう。度々首をカクンカクンと揺らしながらも最初は眠気に耐えていたが、とうとう、最終的には眠気に耐えきれず意識を失ってしまった。
次に目を覚ました時、自身は図書館にいなかった。視界に映ったのは机や本棚ではなく、周囲には何も無い辺り一面の草原。本の独特な匂いはせず、澄み切った空気が風となり草花を揺らしていた。
最初、自身は自分の目を疑った。そしてその次に、これは夢だと考えた。普通、現実で一瞬にしてこのような場所に移動することは不可能である。ましてやこの現代社会に、辺り一面の草原など残っているのかどうかすら怪しいのではないだろうか。だが、夢にしては少々リアルすぎる点もあった。第一に、感触がとてもリアルだった。夢ならば頬を抓っても痛みは無いと言うが、自身の頬を抓ってみると頬に痛みが走った。宛もなく歩いたり草に触れてみたりもしたが、どうもしっかりとした感触がある。自身の頭は混乱した。だが、このことを深刻に捉えるほど成熟した脳は持っておらず、冒険心に駆られ様々な場所を歩き渡った。
この世界はとても異様だった。様々な種類の恐竜が住み着いており歩いていると度々遭遇し、猿や像などの動物も少々見た目が違っていた。ジャングルではオウムの鳴き声が響き、まるでそこは、先程まで読んでいた本の中のような場所だった。
ただひたすらに歩き続けどれほどの時が経った頃のことだろうか。自身は歩いている途中にとある扉を見つけた。扉と言っても、入るための建物などがある訳では無い。ただの扉だけがその場に存在していた。
自身はそれまでの冒険により高揚感に包まれていたため、特に何も考えることなくその扉のドアノブに手をかけた。すると突然視界は真っ白に染まり、自身は再び意識を失った。
再び目を開けた時視界に映ったのは、病院の白い天井だった。自身の腕が重く感じ視線を移すと、何本もの管が自身の腕に繋がれているのが目に入り思わず顔を青くした。巡回しに来たのであろう看護師が驚いた表情でナースコールを押し、しばらくして白衣を着た医者がやってきた。医者は何個かの質問をしてきたが、あまり上手く回答することが出来なかった。先程まで見ていた夢から目を覚ますと病院にいたなど、誰が想像できようか。医者が言うには、自身は先程目を覚ますまで仮死状態だったらしい。図書館で倒れているところを顔馴染みの司書に発見され、1週間ほど病院で寝込んでいたそうだ。原因は不明であり、目を覚ました後複数の検査をしたが身体に異常は見られなかった。数時間後には母親が病院に駆けつけ、自身を見つけると涙を零しながら強く抱きしめた。
「良かった、本当に良かった…!」
その後数日は様子を見て入院したが、退院後は変わらず普通の生活を送った。ただ一つ、図書館に行かなくなったということを除いて。
自身が見ていた夢は、図書館で読んでいた自身のお気に入りである本の世界とそっくりだった。絵本にでてきた恐竜も実際に目にし、海も草原も森林も、本に描かれたイラストそのものだった。最初はたまたま、眠る前に見ていた絵本の内容が夢に出てきただけかとも思ったが、退院後再び本を読もうと本が手に触れた瞬間、唐突に眠気が襲い、気づいた頃には再び前回いた草原に立っていた。まだ子供な自分でも流石にこれは夢ではないと感じ、前回目を覚ますことが出来た原因である扉を探した。扉の場所は前回と違い探すのに苦労し、やっとの思いで扉を見つけ目を覚ました時には既に2週間が経過していた。その頃にはもう夏休みは終わっており、新学期だと言うのに自身は病院で過ごす羽目になった。どうやら自身は、本に手を触れた瞬間、その本の世界に入ることが出来るようになってしまったらしい。自身はその事を悟ると非常にその現実に恐れた。親や医者に言っても気のせいだと流され、いずれ自身は親に心配をかけないためにも、本に触れることは無くなった。
だというのに、なぜ自身は今図書室にいるのだろうか。
そう憂鬱な思いを心の奥底に留めながら、小泉柊羽は放課後、高校の図書室を訪れていた。友人に頼まれ図書室に設置されているリクエストボックスに来月購入される本の希望を書きに来たのだが、それぐらい自分でやればいいのではないかと思ってしまう。生憎その友人は放課後と昼は部活で忙しいため書きに来る時間が無く、帰宅部であり放課後暇である自身にその役を任されてしまった。
さっさと書いて帰ってしまおうと小泉はリクエストボックスを見つけると、置かれているペンと用紙を手に取り言われていた本のタイトルを脳内で反芻させながら文字に書き起こす。
「その本良いですよね。私も好きなんです。」
途端、視界が暗くなり右耳から女性特有の声が聞こえ小泉はペンを動かすのを止めると視線を上げた。視界に入ったのはハーフアップの女子生徒だった。上履きの色からして、恐らく同学年だろう。綺麗な黒髪がサラリと揺れ、小泉は声をかけられたことに驚き目を大きく開いた。
「あ、ごめんなさい。急に話しかけてしまって。知ってるタイトルが目に入っちゃってつい…悪気はないんです。」
「…いや、これは友人の代行だから。」
彼女は急に焦りだしたようにあわあわと謝罪をする。小泉は気にしないでいいと言うと視線を先程まで書いていた用紙に向けた。友人に頼まれた本は「面影」というタイルだった。死んでしまった彼女を探し続ける主人公の話であり、随分と昔から人気な小説である。本に触れることができない小泉だったが、電子書籍なら読むことが可能だったため小泉自身も読んでいたことがあり、お気に入りの作品のひとつだった。彼女は小泉の言葉にホッとし表情を和ませると、自身が抱えていた複数の本から1冊の本を取り出しページを捲った。複数の本を抱えているため、どうやら彼女は相当の読書家らしいことが分かる。
「その人とは気が合いそう。これも同じ作者の人が書いててね。」
そう言って本の表紙を小泉に見せる。最近新しく発売された同作者の小説だった。小泉は検定などのせいでつい先日まで忙しかったためまだ読んでおらず、今度読もうと思っていた作品である。小泉は気になり少し前のめりの状態となった。すると、彼女が持っていた小説が手のひらを滑った。小泉はそれを見ると思わず、本を取ろうと手を差し伸べてしまった。
そして、小泉の手が本の一部分に触れた。
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