第6話
何時間経ったのか、気が付くと窓ガラスには懐かしい笑顔が映っていた。
「よぉ久しぶり」
私の後ろに淡路十三が立っていた。
驚いた私は思わず椅子ごと転げ落ちた。
「先生、一体いままで何してたんですか。みんな困ってますよ」
「まぁな、すまないとは思っている」
「誰のせいでこうなったんですか? 先生のせいですよ」
「水菜を巻き込んですまないと思ってるよ、でも続きを書くならお前しかいないとも思っていた。でもさっきから人のプライベート勝手に見過ぎだよ」
「どうして、こんな大事な仕事をほったらかして逃げるようなことしたんですか?」
「まぁ身から出た錆ということだ」
「説明になってませんよ。早く本を書いてください。先生の本をみんな待ってるんですよ」
そう私が言うと先生は背中を丸めて寂しそうな顔になった。
「もう、俺からは何も出てこないことが分かったんだ。昔は違ったんだよ三十代は考えていること全てが正しかった。その時の貯金で四十代は食ったようなもんだ。五十代はその力が残ってるふりをして再生産ばかりした」
「まだまだ先生はいい本書けますよ」
「そんなことはない。それは本人が一番分かっている。我慢して書き続けてきたおかげで、それがもういろいろ限界に来た。誰かが話したセリフをもう一度繰り返しているに過ぎない。全部がむなしい。俺にはもう書けない。書かない方がいい。それだけは分かっている」
「何、恰好つけてるんですか、書けないことを理由に遊びまくってただけでしょう。あなたのことでどんなけ迷惑がかかるか、テレビを見た人たちはあなたが作りだした人物の影を追っているんですよ。その責任はどうするんですか!」
「すまない。でも」
「でもじゃない」
「お前に書いてもらいたい」
「プロットとか残ってないんですか?」
「見せられるようなものは何もない」
「書置きにはどんな意味があるんですか」
「意味なんてない、気になって書き留めていたが、結局それをまとめる力は俺にはなかった」
「追いこまれるとポンコツぶるサイテーの男ですよ」
「相変わらず気が強いね。ハハハ」
「ハハハじゃないですよ」
「君の書いた本を読んだ、サイコーだよこれでいけるよ」
「いつ読んだんですか、適当な事言わないで下さい。先生にいつか落とし前つけてもらいますから」
「分かってる」
「先生どこにいるんですか?」
淡路は目線を外してニヤニヤ笑うだけだった。
私は振り返った時、姿勢を崩して椅子から転げ落ちた。
十二月十四日(土)二十時
ドアが開く音に気づいた時、私は部屋の床に座っていた。
「大丈夫ですか?」野口の声がした。
「気になって見に来ました。シナリオ上手くいきましたか?」
野口が部屋に入って来た。
「はい、ちょっと真実が見えてきました」
「真実が見えてきた? 何のことですか」
「今あなたが現れたことで、分からなかったことが一つ分かりました」
「どういうことです?」
不可解そうな野口に私は宣言した。「今から全身全霊で脚本に集中して取り組みます。が、その前にいくつか確認しておきたいんですけどいいですか?」
「またですか? いいですよ何でも、締め切り以外のことなら」
野口は表情を歪めた。
「淡路先生は体裁をすごく気にする人です。缶詰になったホテルから失踪するとしたら、いろいろ悪あがきしたと思うんです。身近で使えそうなネタはないか? でもビジネスホテルには話に使える材料が少なすぎます。オートロックで簡単に密室が作れますし、監視カメラもあちこちにあります」
「それで?」
「山奥の山荘や、豪邸など、容疑者が絞れる状態で居なくなるから面白いんですよ。少なくとも、作家生命を賭けた自作自演の失踪劇で、ビジネスホテルを舞台にはしないと思うんです」
「だから?」
「パソコンの検索履歴は十二日(木)の夜で終わっています。十三日(金)は何もしていません。なぜか? そこから先生は仕事ができなくなったからです」
「……どういうことでしょうか?」
「みんなドラマのことしか考えていませんでした。淡路先生の事とか、面倒なことは全てあなたに押し付けて、あなたが抱える問題に誰も関心を払わなかった。先生の缶詰も、ホテルの失踪事件も、全部あなたが話したことです。誰もそのことを調べてない、だからみんな騙された。でも先生のあとを背負わされた私には分かるんです。先生はもうどこにもいない。なぜならあなたがとっくに始末したから。ここにあなたが来たのは、部屋の明かりは関係ない、だってつけっぱなしですから、あなたがここに来たのは部屋の音ですよ。野口さんは局には泊まっていない。このホテルに泊まっているんです。フロントの人はこの部屋があなたの部屋だから鍵を開けてくれたんです、他人を勝手に部屋へ入れることは普通のホテルなら絶対にしませんよ」
興奮気味にまくし立てた私の言葉に野口は明らかに狼狽した。
「……そんな、何を証拠にそんなヒドイこと言うんですか!」
顔を赤くし、また指先が震え始めた。
「この部屋には証拠はありません、なぜなら先生はここに泊まってませんから。この部屋はキレイすぎる、でもホテルの清掃はいれていない。本当の先生の部屋は隣、あなたはこの部屋から先生の行動を監視していた。隣の部屋もディスターブのカードが掛かっていました」
「馬鹿なこと……」
「あなたは、十三日の十五時に何も書けていない先生と口論になった。いつまでも真面目に本を書かず、童謡についてのらりくらりと理屈をこねる先生に我慢できなくなったんだと思います。そして何かの拍子に先生を殺してしまった。その後あなたは、ユニットバスへ死体を運び隠した。そしてドライアイスで冷やしていた。どうです?」
「う、うれない作家が勝手なこと言うんじゃない」
吃音がひどくなった。
「その後、一旦会社に戻りデスクワーク。半日後死後硬直した遺体を袋か何かに詰めて局の台車で運んだ。今頃、淡路先生の遺体は局の倉庫か、あなたの車のトランクにあるんではないですか?」
「そっそれは本気で、言って……ますか!」
強度のストレスに野口は苦しそうな呼吸をし始めた。
「本気で言ってます」
「あなたは自分でドラマの最終回を書こうと一度は考えた。でも書けなかった。そこで夕方十七時にチーフプロデューサーの冨田に淡路先生の失踪事件をでっち上げて報告した。行き当たりばったりで計画性のない酷い犯罪です」
「な、なんでそう思うん……ですか」
「最終回の十ページはあなたが書きましたね」
野口はそれに答えなかった。
「先生の本にはテーマ性は全然なくても、役者が言いたくなるセリフが必ずあるんです。悔しいですがこれが才能なんだと思います。それが最終回の十ページには全くない。登場人物にエモーショナルを感じない。昔の私と一緒です。クズだけどザコではないんですよ淡路先生は!」
私は胸に溜めてきた思いを一気に話した。でもそれを聞いていた野口は、苦しそうにうつ向いて息を吐きながらも、顔を上げると薄ら笑いの表情になった。それからゆっくりとズボンのうしろポケットに手を入れた。
(この男狂ってる)
私は身構えた。
野口はポケットから二枚のカードキーを出した。
「山崎さん惜しいなぁ。三十パーセントだけ正解です」
「三十パー正解、じゃあ先生は今どこにいるの?」
「まだ隣の部屋です。そこは当たってます」
野口は『七〇一』と印刷されたカードキーを私に見せた。
「生きてるの?」
「残念ながら、手遅れです」
野口はまだ薄ら笑いを浮かべていた。
「やっぱりあなたが殺したのね」
「えっ、いやそれは全然違うんです。本当に僕はやってないんです」
「じゃあ、なんで笑ったんですか」
「山崎さんの言う通りだった方が、かっこ良かったなぁと思っただけです」
私は野口の言わんとすることが理解できなかった。
「山崎さんできれば黙っていたかったんですが、本当に残念な結果なんです。僕はこの部屋で先生の原稿をずっと待ってました。でも木曜日の深夜、隣の先生の部屋で物音が続くので行ってみたら。もう先生は死んでいたんです」
野口は先生の遺体発見状況を話し始めた。それは本当に残念な話だった。
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