第5話

 十二月十四日(土)十三時

 早朝出て来たばかりのTCTに今度は電車で向かった。テレビ局も経費削減で昼間のタクシーはご法度になっている。

 重い気持ちと重い自分のパソコンの入ったバッグを下げて地下鉄三田線の御成門駅階段を上った。ここからだったら羽田空港へも品川から新幹線に乗るのも近い。

(先生我慢できなくて高跳びしちゃったんだろうなぁ)

 そんなことを思いながらTCT正面受付で野口と合流した。疲れ切っていた今朝とは違い野口の表情は明るく、整った髪型にブランドもののパーカーに着替えていた。

 こっちはボロボロなのにこのさわやかさはなんだ。こんな奴らに犯罪を犯す底辺の人間の気持ちなんて分かるわけないと変に屈折した感情が芽生えた。

 先生の宿泊先の『グランド愛宕ビジネスホテル』に着くまで野口にいくつか確認したいことがあった。

「野口さんが最後に先生に会ったのはいつだったっけ?」

「金曜日の午後三時です。缶詰になる時に先生と約束をしたんです。寝るとまずいので三時間ごとに僕が部屋を訪問することになってました」

「その時は先生何をやってた?」

「普通でしたよ」

「普通?」

「普通に何も書けてませんでした。僕はお土産に買ったアイスクリームを置いて局に戻りました」

 すでに何度も聞かれたのか野口は手際よく答えた。

「その次に行った時には、すでに先生は居なくなっていたのね」

「はい。荷物も靴も携帯も無くなっていました。そこに例の書置きがあったんです」

「ふーん」

 話しているうちにすぐホテルのロビーについた。本当に近い。

 ロビーはチェックインをする外国人団体客や、一階カフェのランチ待ちをするアジア人家族連れなどで結構賑わっていた。来年のオリンピックに向けて外国人観光客が増えていることを実感した。

「先生が鍵も一緒に持ち去ってますので、部屋はホテルの人に開けてもらいます」というと野口はフロントにむかいそこで担当者と何かを話していた。

「フロントの蛍池です、こちらへどうぞ」と、カウンターから出て来た松重豊似のホテルマンは、私に軽く会釈するとエレベーターへ二人を誘導した。三人が乗ると蛍池は七階を押した。

「事情は了解いたしました。キーの再発行をしていますので、今は私が仮のキーで開けさせていただきます」

「あの、淡路先生がホテルから出ていくのを誰か見てますか?」

 私は念の為、ホテルマン蛍池にも確認した。

「いえ、野口さんにもお伝えしましたが、昨日のその時間帯は私がフロントに居たんですが、あいにくお会いしておりません。金曜日の夕方で団体様のチェックインが重なり出入り口に注目していなかったもので……ただ一般出入口は非常口も含めて正面一か所しかありませんし、おそらくそのタイミングで出られたんだと思います」

「監視カメラとかはありますか?」

「もちろんありますが、淡路先生に何かあったんですか?」

「いえ、それはまだ……」

「場所がら様々な方にご利用いただいておりますので、カメラの映像は正式な捜査でもない限りお見せすることはありません」

「まぁ、そうですよね」

 場所がらかはよくわからないが、ビジネスホテルは出張以外に、オフィスラブ、不倫などいろんな使い方があるのだろう。

「今日も大忙しのようですね」

「おかげさまで全館満室です」


 七階に着くと廊下の片側に部屋が並んでいた。ルームクリーニング中の部屋もある。その中で「ドント・ディスターブ」のタグが掛かった部屋の一つ七〇二号室の前に立つと、蛍池はカードキーを差し込んでドアを押し開いた。蛍池が壁側のソケットにカードキーを差しこむと部屋の照明がついた。

「お手数書けます」野口は礼をいった。

「では、ホテルを出られる際にはこのカードキーをお返し下さい。その頃には再発行キーも出来ていると思います。ご存知とは思いますがドアはオートロックになっておりますので、部屋を出るときはお気を付けください」

 そういうと蛍池は戻っていった。

 私は野口と部屋に入ると内部の観察をした。入り口の右側にクローゼットとユニットバスのドアがあり、室内は普通のビジネスホテルのシングルルームより少し広いくらいで、ベッドはセミダブルサイズのものが置かれていた。

「ベッドは使った形跡はなさそうね」と何気なくつぶやくと。

「寝てる場合じゃないですからね」不愉快そうに野口は返す。

 部屋の奥の壁に窓とデスクがあり、そこにパソコンとプリンターが置かれていた。

「これが先生の使っていたパソコンですか?」

 野口は静かに頷いた。

 パソコンはTCTから持って来たことが分かる管理シールが貼られていた。

 窓のカーテンを開けると局の建物が間近に見える。

「ちょうど、ここからTCTが良く見えますね」

「そうなんです。局の五階制作部の位置がだいたいホテル七階と同じ高さなんです」と野口は何気なく答えた。

「野口さんの席からもここから見えたりしますか」私は窓から眺めを確認した。

「良く分かりましたね。僕の席はあそこです」そういうと局の窓側の席を指さした。

「缶詰の間、僕は先生の原稿を待ちながら、清算などデスクワークをしていました。ホテルの部屋の明かりはカーテンをしていても漏れますので、先生がちゃんと仕事しているか監視できるんです。なのでここは缶詰に都合がいいんです」

 野口の丁寧な説明に私は何か引っかかった。

「でも逆に、先生からも野口さんの席が見えていて、逆の監視も出来たってことですか」

「いや、まぁ、可能かといえば可能ですが、何の目的で?」

 野口は質問の意味が理解できない顔だった。

「ホテルの照明は入口のあの機械にカードキーを差せばつく仕組みよね」

 私は機械からカードキーを抜いた。五秒ほどすると照明が消えた。

「磁気で開くドアとは違い、このタイプの照明スイッチは名刺などで代用できると昔なんかの雑誌で読んだことがあります」

 今度は前に受け取った野口の名刺を差し込むとまた照明がついた。

「部屋を監視されていることに気づいた先生は、このようにしてあなたの目をごまかし自由に部屋を出入り出来ていたんではないですか?」

「でもフロントでは誰も先生の出入りは見ていませんよ」

 野口は興味なさげに言った。

「カードキーは外出する際にフロントに戻す必要はありません。例えば変装して、団体に紛れていけば気づかれず出ていけます」

「変装? 先生そんな荷物持ち込んでないと思いますけど、でも、それって缶詰前から逃亡を計画していたってことですか?」

「じゃあ、先生はホテル内の何者かに呼び出されて、廊下でさらわれて荷物の中に閉じ込められたとか」

「えっ、あり得ないですよ。そもそも何のためにさらうんですか?」

「ここはホテルですよ。誰と出会ってもおかしくない。もし先生に恨みを持つ何者か、例えば女優の卵の子とか、先生が『僕のドラマに出演させてやる』とか言って捨てた女がいたとして。たまたま友達の結婚式で上京した際にロビーで先生を目撃。自分の不憫さを感じ、たまらない気分になって先生を電話で呼び出し、思わず部屋を出た先生をフロント以外の階で襲い、バラバラ死体にしてトランクに詰めて、どこかに運び海に捨てたとか……」

「ひどい話ですね、でもそんなこと考えている場合じゃないしょう」

 野口は人を馬鹿にしたような顔をした。

「絶望的な締切の脚本に取り掛かる前に、いろいろ可能性をつぶしておきたいんです。野口さんが先生の失踪を知ったのは、何時でしたか」

「夕方五時です」

「んっ、おかしいですね。十五時に先生に最後に会ったなら次は、三時間後の十八時のはずですよね」

「細かいこと気にしますね。それは、さっき言った部屋と僕のデスクの関係ですよ。夕方五時頃に先生の部屋の明かりが消えていたので、電話をしましたが通じない。おかしいなと思って念の為部屋を見にいったんです」

「部屋に入った時、照明のカードキーはどうなってました?」

「もちろん刺さってないから明かりが消えていたんですよ」

「野口さんが部屋に入った隙を見て、入れ替わりにそっとドアから出ていったとかないですか?」

 私は野口の表情を伺うように聞いた。

「あるわけないでしょう」

「でも、野口さんに見つからないように出るんだったら、今みたいに代わりのカードを差し込みっぱなしにしていた方がいいはずですよね。部屋の照明が消えていることに気づかれたら、ロビーで野口さんと鉢合わせする可能性もあるわけですから。それとも先生は野口さんに来てもらいたい理由が何かあったのかも、部屋から目を離した時間はどれくらいですか」

「それははっきりとは言えないんですが、ほんの数分だと思います。気が付くと消えていたとしか」

「何か証拠の残らない方法で細工して、野口さんか気づくよりだいぶ前に部屋を出ていたとしたらどうです」

「時間差トリックですか? でもそれなんかメリットありますか?」

 野口はイライラし始めた。

「今は少しでも失踪直前の先生の思考を知ることで、創作のヒントを見つけ出したいんです。鍵の代わりになって消えてなくなるものですよ。古典的には氷とかなんですが……」

「氷が解けたらスイッチの電気系統びしょぬれで壊れますよ」

「さっき、アイス差し入れしたとか言ってませんでした? その時にドライアイス一緒にもってきてませんか?」

「あぁもらいましたね」

「それ先生の指定じゃないですか?」

「あぁ、確かそうでした。仕事がひと段落したら食べるからドライアイスも入れてくれっていってました」

「それだ、カード状に薄く切ったドライアイスをカードスイッチに差し込めば時限装置が作れます!」

 私はとりあえず明るく宣言した。

「でも、スーパーで貰えるドライアイスって、小さいツブツブのやつでしたよ」

「何とか、それをうまく密着させて板状にする方法があるんではないですか?」

「考えすぎですよ、そんなことより山崎さんもう時間が……」

 野口は私の粘着する話に焦り始めた。

「分かってます、セミナーで先生から一日ネタを十個考えろと訓練されましたので、つい見るもの聞くもの全てトリックにできないか考える癖がつきまして、職業病だと思って下さい」

 私は真面目に言ったつもりだった。

「でもね、問題なのは先生の行動ではなく、脚本が無いということなんです!」強い口調で野口は言った。

「それは分かってます。書くしかないことは分かってます。ただせっかくなので、痕跡を追うことで残されたメッセージの意味に近づきたいと思っただけです」

「もう止めましょう。今それ本当に大事なことですか? 本当に時間がないんですよ山崎さん」

「はい、分かってます。すぐに執筆体制に入ります」

「絶対によろしくお願いしますね」

「じゃあ野口さん局に戻っていいですよ」

 野口の目を見て私は言った。

「えっ」と、野口は少し狼狽した。

「ここで書きます。だって部屋は月曜まで押さえているんでしょう。先生戻ってくるかもしれないし、時間も勿体ないのでここで本を書きます。自分のパソコンも資料も全部持ってきてます」

「でも、気持ち悪くないですか?」

「何で」

「人の部屋ですよ。別の部屋をとりましょうか?」

「満室ってさっき言ってたわよ。それにここで先生の気持ちになって書けば何かアイデアが沸いてくるかもしれないし」

「そういうもんですか。まぁいいでしょう。では、何かあったら連絡下さい。今日も局に泊っていますので」

 心配しながら野口は帰っていった。


 野口が出ていくと、私はまた部屋の中を物色し始めた。

 恐る恐るユニットバスのドアを開けてみた何もなかった。ベッドの下も冷蔵庫もクローゼットもゴミ箱も探してみた、不自然なほど何も見つからなかった。部屋に二日間缶詰めになっていた男がこんなに何も残さないものか? 一通りの捜索で失踪の手掛かりになるものは何もなかった。

 私は悪あがきを続けた後、ついに心を決めて窓際にあるパソコンを立ち上げた。

 当然のようにパスワードを求められる。

 私は自分の携帯電話の番号を入力した。

 あっけなく開いた。パスワードは五年前と一緒だった。

 開いたパソコンのデスクトップにはファイルは二つしかない。

 一つは「令和の捜査官20191212」というファイル名。

『最終回、未知なる事件、公安の横やり、一話で振った話回収、憑依状態の解除、すべての謎が明らかになる、主人公と仲間の別れ』と、大きな項目は書かれているが、全くその内容は書かれていない。ファイル名はおそらく日付だ、十二日は淡路が缶詰になった日だから、その時点では全く何も思いついていないに等しい。

 もう一つはファイル名「NOGUCHI」。プロデューサーの野口宛か? 開けてみると、例の詩「しゃぼん玉消えた、飛ばずに消えた、生まれてすぐにこわれて消えた」の歌詞だけが書かれていた。これをプリントアウトして先生は消えた。でも、その他は本当に何もない、他の場所に保存しているのかと思い、文章の履歴を調べてみるが他には何も出てこない。ハードディスクも検索したがやはり何も出てこない。なんのためにわざわざ缶詰になって、パソコンを借りたのか理由がわからない。

 失踪したのが十三日深夜。締め切りをとっくに過ぎても、二日間何も書けていない。本当にスランプのどん底だったのかもしれない。誰かに監視されていないと、逃げ出したくなる衝動を必死で抑えていた六十代の作家の末路は、無様で気の毒のように思えた。

 そんな中でも淡路はどうすれば格好がつくか利害を計算していたはずだ。連ドラをほったらかしにして逃げるにしても、無様な逃げ方はしたくなかったはず。私は以前、淡路十三のウィキペディアをいいように修正する手伝いをさせられたことがある。そこまで体裁を気にする男なのだから、笑える落ちがまだあるような気がした。

 一体淡路先生は何を考えていたのか? 少しでも書き出すヒントをもらえればと、今度はブラウザの検索履歴を探した。こちらは大量に履歴が残っていた時系列をたどると、缶詰になった後は検索サイトで芸能ニュース、グラビアアイドル、エロ動画などを転々として時間をつぶしている、既に集中力を欠いていたことが分かる。そのあとバナー広告でも見たのか、福島県いわき市の温泉リゾートへ飛んでいる。その後、いわき市内の温泉サイトをあっちこっち跳んだ後に、突如野口雨情記念館のページを見ていた。そこでまた「しゃぼん玉」の歌にたどり着いた。

 歌の作者は野口雨情。先生はこれを見て文章を引用したのか?

 私は野口雨情のことをよく知らなかったので調べてみた。童謡界の三大詩人と言われるが、親が決めた結婚が嫌で家出、樺太で一儲けを企み失敗、北海道を転々とした後、実家に連れ戻され、その後いわきの温泉の女将を愛人にし、妻と離婚してまた別の女性と結婚したのち六十二歳で死没。波乱万丈の破滅型だ、追い込まれた先生がその生きざまに自分をロマンティックに投影したことは考えられる。家庭と締め切りを嫌って温泉旅館に逃亡。どこぞの巨匠のように断筆して地方にこもって、そこから全く違った作風で再び表舞台に返り咲くような人生の演出を先生は考えていたのか?

 履歴の続きを見ると、一転渋谷の裏風俗のサイトを見始めている。

 最悪だ。

 どういう精神転換があったのか分からないが、その後はひたすら渋谷の裏風俗を調べている。考えて答えが出るものではないが、こっちの方が淡路らしかった。先生は逃避行なんかしていない。風俗サイトを見ながら無為に時間を空費し、何も手を付けられなかった無残なベテラン作家。自分が逃げたとしても誰かが後を継ぐと思ったはず、業界で嫌われているから、私ぐらいしか登板する者はいない。そう思うと、今の自分にはまだ力が残っているような気がして気持ちが落ち着いてきた。自分が関わっていないドラマなのに、主人公の行動動機に共感できるように思えてきた。

 私はドラマの最終回の犯人像をいくつかメモにまとめ出した。

 男社会の刑事課の中で、誰からも感謝されずひたすら犯人を見つけていく女。憑依されることもまた被害者に利用される運命。その悲劇はしゃぼん玉を暗示とした儚い二世代に渡る復讐。その事件を知る男が警察署にいた。犯人はこの二人のどちらかを巻き添えにすべく生物テロを起こす。無茶苦茶だけど、主人公と定年間近の上司との会話が書けそうな気がしてきた。

 自分のパソコンで原稿ファイルを立ち上げると頭から一気に書き始めた。

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