第7話 大使館という名の喫茶店

 電車は「五井駅」、「姉ヶ崎駅」と市原市に入っても、特に風景に変化なし。ただ、ずっと工場とまばらな住宅街が続く。

 「姉ヶ崎」を出発すると若干の変化として、畑と田んぼと、草ボーボーの空き地が増え始めた。海は近くても工場で見えない。また大きな工場が現れ、白と赤の煙突がマジで赤い炎をあげている。この辺りビーチがないから、観光客は来ない、かといって落ち着きとか、侘び寂びとも無縁。

 田舎でも都会でもない、誰が言ったかディープサウス千葉。


 やっぱり、一時のノリでくるところじゃなかった。

 晶子の朝の弾んだ気持ちは駄々崩れになってきた。せっかくの土曜の休みに、なんでおじさん警官と、工業地帯を走る電車に向かい合わせで乗っているのか。

「市原は、ヨネスケの出身地だな」

 久々に口をひらいた舟橋は、不要な情報をつぶやき腕を組んで目を閉じた。

 車内で、あらかじめ事件捜査の打合せでもするのかと思っていたが、完全寝る気だ。邪魔してやろうかとも思ったが、他にも車内では半分くらいの乗客が既に寝ていた。この電車には催眠効果でもあるのか、ポカポカとした昼の日差しに晶子も眠くなってきた。

 鴇田への思いもボンヤリしてきた。

 例えアイコンが本人の写真だとして、多分学生時代の奇跡の一枚に違いない。実際現れたら太って禿げたパチンコ屋の前に並んでいそうな、ただのおじさんだった、というオチになりそうな気がしてきた。イケメンは無自覚であるほど尊いのだが、無自覚であるが故に劣化も早い。現実とは、そういうもんだ。

 この後、君津について事件現場ちょっと見たら、適当なこと言って、後は舟橋に海鮮丼でもおごってもらって、土産でも買って帰ろう。

 そんなことを考えながら、また車窓をボーッと眺め続けた。


 だらだらと直線でカーブもなく線路が続き、風景に変化もなく温かい日差しが降り注ぐ、眠くなるものわかる。舟橋はグラグラと完全に船を漕いでいる。ひどい前傾姿勢、ここまで前ノメリになれるものか?

 千葉は平坦すぎる。田舎なのに山らしい山がない。海は近いのに内房は埋め立てられて工場地帯になっている。自慢するものが少ない、たまに『王様のブランチ』に取り上げられることがあっても、鴨川のシャチが暴れる水族館か、館山の菜の花畑ぐらいで、わざわざ行きたくなる感が薄い。

 外を見ながらだんだんと晶子は、無常の境地になって来た。そんな時、車窓の向こうに見える建物の数が急に増えた。

 「んっ、木更津か」

 舟橋が目を覚ました途端に、電車は駅のホームに入った。

 木更津についた。昔のドラマ『木更津キャッツアイ』でお馴染みの町。

「乗り換えだな」舟橋は寝起きとは思えない俊敏さで立ち上がると、すたすたと電車を降りた。

 電車の行き先を確かめなかったが、木更津終点の電車だったのか。

 ホームに降りて晶子が運行掲示板を確認すると、君津方面の電車は『乗り換え待ち時間二十分』と出ている。

 ちょっと待て、君津まではたった一駅なのに乗り換え待ちが二十分って、だからさっき舟橋は、君津まで一時間三〇分もかかるとか言ってたのか。

「舟橋さん時間無駄なので、ここからタクシーとかバスで、行きませんか?」

「なんだよ、二十分なんてすぐだ。久留里線なんて一時間に一本だぞ。もう切符買っちゃってるし、鴇田にも到着時間は伝えてあるから。ちょっとぐらいの待ち時間は気にすんなよ」

 睡眠たっぷりで舟橋は元気だった。

 でも、こういう無駄な時間を持て余すのが晶子は昔から好きじゃない。ホームに居てもしょうがない、木更津は観光地なわけだから駅構内に何かお店がないか? と、ホームから階段を上がった。

 だが、駅には小さいコンビニが一件あるだけだった。中に入っても店内に珍しいものはなく、千葉県ならどこでも売っている『ぬれ煎餅』と『ピーナツ最中』がディスプレイ最前線に押し出されていた。

 収穫なくホームに戻ると、ベンチに座っていた舟橋が、「だから俺みたいに弁当買って正解だろ」とつぶやいた。

 正解って何の正解だよ。

 ネットニュースをスマホで見ながら時間を潰していると、ようやく乗り換えの電車が入ってきた。車内には結構客が乗っていて、座席もほぼ埋まっている。

 さっきの電車はガラガラだったのに、なぜ混んでる。疲れてきたのに車内で立つのは最悪だ。

「舟橋さん、この電車は千葉駅から来たんではないですか?」

「あぁ、そうかもな」ことも無げに答える舟橋。

 おい、じゃあ最初から君津行きに乘れば良かったんじゃない。

 モヤモヤしながら車内を見回すと、乗客の大半が二〇代ぐらいの男性だった。

「この人たち、どこいくんですかね」

「さぁ知らん。でもこの辺、最近人口増えてるんだよ。車だとこの辺便利なんだって、アクアライン使えば東京まで四〇分だ」

「千葉市行くのと、変わらないじゃないですか」

 ますます県庁所在地千葉市の過疎化が進むわけだ。


 ドア際に立ってまた晶子は外を見た。電車は木更津を出るとすぐ山間に入った。トンネルを抜け、また建物が増えて来て都会に近づいたような気がしたら、そこはもう君津だった。

「君津の有名人は、千葉真一ね」

 どうでも良いマメ知識をまた舟橋は披露した。

 君津駅では乗客の大半が降りた。

 この人たち、どこに行くのか? 音楽フェスでもあるんではなかろうか、と晶子は想像した。


 改札から広々とした駅前ロータリーを見て晶子は驚いた。

「君津って、結構大きい町なんですね」

「だろ、ビバホームとかアピタとか西松屋とか全部あって便利なんだわ」舟橋は少々自慢ぽく答えた。

「そういうのは、ちょい田舎にありがちです」

「そうなの?」気にする様子もなく舟橋は、なれた感じで東口と書かれた方向に進んだ。

 後をついて駅を出ると、そこもキレイに整備され、広い駐車場になっていた。ただ車も人も少ない。

「どうです、鴇田さん迎えに来てますか?」晶子は一番気になっていたことを聞いた。

 まぁどうせ、写真と全然違うオジさんなんだろうけど、「失望しようと、どうでもいいわ」位の心境でいよう、と晶子は思いつつ、ちょっと心がウキウキする。

「おっ、LINE来ていた。便利だけど気づかねぇのが弱点だな」

 おじさんは設定ミスをアプリのせいにしがち。

「ちょっと署に寄って来るので三十分程遅れるらしい。駅前の『大使館』って名前のレストランで待ち合わせだって」

 スマホを仕舞った舟橋は駅前付近を見渡した。

「どこにあるんだ、そんな店」

 晶子はよく知らない街なので、駅前で何か食べておいた方がよさそうだと思った。名前が『大使館』というと老舗レストランっぽい。イタリアンか、フレンチかと思いつつ、駅前を舟橋と一通り探したが、それらしいレストランは見当たらない。

 やっぱりマップで調べようと思った時、「ここじゃないか」舟橋が指さしたのは、さっき一度通り過ぎたお土産物屋さんのような店。

 舟橋の指した先を見ると、確かに白いプラスティック看板に『大使館』と紫色の明朝体で書いてあった。イメージした落ち着いたレストランとは全然違う。

 気乗りしないながらも、舟橋について店に入ると、「いらっしゃいませ。あいてる席どこでもどうぞ」と人の良さそうな私服のおばさん店員に出迎えられた。店内は広く奥行きがあったが、客は二人しかいなかった。舟橋と晶子は入り口すぐの席に座った。

 テーブルには、透明下敷きに入ったメニューが置かれていた。そこには、カツサンド750円、カレー800円、ナポリタン800円、自慢のオムライスハンバーグBIG1000円と、学生が好きそうなワンパクメニューが並んでいた。田舎の喫茶店にしては高くないか? と思ったが、まぁ空腹だったので外れの少ないナポリタンを頼んだ。舟橋はメニューを見ずにアイスコーヒーを頼んでいた。

 料理を待ちながら店内を見渡すと、壁には謎の油絵と少年マンガがいっぱい詰まった棚があった。名前の『大使館』要素はどこにもない。これで鴇田の顔見てアウトだったら、速攻帰ろうと晶子は思いはじめた。

「鴇田にLINE返しておいた。返信ではあと十分程で来るそうだ」

「早くないですか」さっき三十分って聞いてから、まだ十分と経ってないのに、君津では時間の誤差が十分単位なのか? できれば、ナポリタン食べている最中に来てほしくない。

「はい、ナポリタンです」すぐ出てきた。

「これは……」一目で、玉ねぎ多めの手作り感とケチャップ感のしっかりある、レベル高めナポリタンだと分かった。

 スポーツ新聞を手にして舟橋は地元オヤジモードなので、そこは無視して晶子はナポリタンに集中することにした。

「いただきます」

 パスタのゆで具合、玉ねぎがまろやかに絡む甘くてコクのあるトマトソースも好み。でもベチャベチャでもなく、オリーブオイルもしつこくない。これは当たりだ。味変は、粉チーズが先か、タバスコが先か……などと孤独のグルメ気分に晶子が浸っていると、店の引き戸が開く音がした。

 パスタを噛みしめながら目線を送ると、逆光の中に長身の人物が立っていた。

「よぉ、ここだ」舟橋が手を上げる。

 声に応えて、その人物は笑みを浮かべると、ナポリタンをほおばる晶子の席に近づいてきた。


 日焼けした肌に白いポロシャツ、短髪で広めのおでこ、しっかりした眉毛、大きくて優しい目、高い鼻、引き締まった口元。

 晶子の頭の中でイケメンパーツ照合が瞬時に働いた。

 間違いない鴇田だ。

 アイコンと見比べても、とさらに精悍に引き締まり、たくましくなっていた。

 いやこれは……男前マシマシだわ。岡田健史の若さを越えて、大人の雰囲気になって、ヒョンビン風味入ってる。わぁどうしよう。

 晶子の頭の中は麻薬成分が出たようになり、さっきまでのモヤモヤが一気に入れ替わった。

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