第3話 舟橋と鴇田(ときた)
(舟橋の事件回想)
「緊急要請、グランドロイヤル君津ホテルから宿泊客とトラブル発生と入電あり……」
令和三年三月二十四日水曜、二十時三十五分に千葉県警察通信指令室に一一〇番入電があった。
ちょうど、巡回先から君津署に戻る途中だった生活安全課の鴇田(ときた)巡査は、無線を受けると現地に駆けつけた。
二十時四十五分。グランドロイヤル君津ホテルに到着。
鴇田巡査は、一一〇番に通報を入れたフロント係の林明輝から状況を聞いたが「客室が変だ」という以外は、極度の動揺から詳しい状況を聞くことは出来なかった。本来であれば、応援を待って二人以上で行動するべきであったが、慌てているフロント係に引っ張られるような形で、鴇田は問題の発生した1121号室へ向かい、マスターキーで部屋に入った。
そこで宿泊者・森田直道さん(三十四才)が浴室で倒れているのを発見。二十一時五分。君津署より出動した刑事課二名が到着。そこで宮崎巡査部長が救急要請をするが、森田さんは搬送前に死亡が確認された。
同室で負傷した鴇田巡査も病院へ搬送されたが、その後症状改善して署に戻った。
そのまま鴇田は、本件捜査から外された。
「これが、事件のあらましだな」
舟橋はメモ帳を見ながら晶子に言った。
「えーと、確認させて下さい。舟橋さんの後輩が鴇田巡査ですよね? 最後にちょっと書いてある負傷したってとこが気になるんですが、部屋に他に誰かいたんですか? それとも死亡した被害者が加害者? ややこしいですけど」
「いや、部屋には被害者の他に誰もいない。そして被害者は到着時には既に死亡していた。鴇田の怪我はたいしたことない。これは間違いない」
いつも舟橋の話は、小出しで良くわからない。
「でも、現場に最初に到着した警官を、軽い怪我をしたからって、捜査から外すって、変ですよね」
晶子はさらに質問した。
「やっぱりそこ気になるかぁ? まぁ順番に話すから」そう言う舟橋も、どこから説明しようか迷っている様子だった。「俺はね、事件が起こったその時間、木更津のホテルの部屋で、コンビニで買ったつまみで一人わびしく飲んでたとこだ。でも鴇田からその後連絡がないので心配になって、十一時頃にそろそろ落ち着いただろうと思って電話したんだよ。そしたらさ、電話の向こうで鴇田が泣いてるんだよ。『先輩すいません』って、それで事情を聞いたら捜査から外されたっていうんだよ。だから俺も心配になってさ」
この後も舟橋の説明は続いた。
(舟橋の事件回想 つづき)
三月二十四日(水)二十三時十分。
君津署の二階休憩室で、舟橋の電話を受けた鴇田巡査は疲労困憊していた。
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「先輩、俺、悔しくて悔しくて、どうしたらいいんでしょうか」
「何があったかは知らないが、警察だって組織だ。捜査から外れることもある。気にすんなよ。いろいろ事情があるんだ。お前が悪いんじゃない」
舟橋の優しい言葉に、鴇田は胸がつまった。
「ありがとうございます」
涙で目を赤くして、鴇田はスマホを耳にあてながら何度も頭を下げた。
「お前のツラさ、俺にもよく分かるぞ」
ホテルの部屋で寝っ転がってチューハイ缶を飲みながら、舟橋は現場叩き上げ人情派先輩風を吹かし始めた。
「聞かなくても俺には分かるよ。恐らく一番乗りしたお前が生活安全課だったから刑事課から横槍されたんだな」
縦割り組織の警察では良くある話だ。
「違うんです」
「何が」
「横やりとかじゃなくて、自分のせいなんです」
責任感のあまり、自分を責めるその気持ち。舟橋にも覚えがあった。
「あんまり思い詰めるんじゃないぞ」
「先輩の優しい言葉マジ染みます」
「でも完全に外すってのはひどい話だ。俺が捜査に戻すように掛け合ってやる」
自分の立場をわきまえず、舟橋は虚勢を張った。
「それは無理なんです」鴇田は何か言いにくそうになった。
「何で」
「実は、やっちゃってまして」
「何を」
「初めてなんですよ。変死体を見たのが、それでちょっと慌ててしまって、やらかしました……」悔しさを噛み締めるように言葉を絞り出した。
「まぁ、誰だって最初はそうだよ。気にすんな、失敗の程度にもよるけどな。ちょっと状況教えてくれ」
新人警察官にありがちな話と、舟橋も電話しながらのんびりと構えていた。
「今日は二十時半には勤務終了予定でした。明日は非番だったので、舟橋先輩と久々に朝まで飲むぞッ、と楽しみにしていたんです。自転車に乗って巡回先から君津署に戻る途中で、緊急要請の入電があったんです。その時ちょうど別の場所で喧嘩があったらしくて、地域課が出払っていて、現場の一番近くで動けるのが私しかしなかったんです。それで先輩には断りのLINEを入れて、現場に向かったんです。すいません」
「いや悪くないよ、飲み会より仕事優先。当たり前のことだ」
「ありがとうございます。それで誰よりも現場に早く到着したんですが、ホテルのフロントが慌てているのか、上手く話が通じないんですよ」
「まぁな、そういうこともあるよ。夜勤中のトラブル発生だから動転してるんだな。いつも警察官は市民に優しく寄り添うべし。俺教えたよな」
「そうなんですが、話を聞こうとしても、何かすごく慌ててて、『誰も出てこない、一緒にお願いします』ってことだけなんとなく分かったんです。その時は、ただ酔っ払って部屋で熟睡しているか、鍵を持って外出したのをフロント係が見過ごしたんだろう、くらいに思ったんです。本当なら応援を待ってから部屋に入れば良かったんですが、そのとき『警察官たるものいつも市民第一であれ』という先輩の言葉を思い出しました」
「それも、覚えていてくれたか」
この辺までは、まだ舟橋も余裕があった。
「はい、ただ思えば、それが私のおごりだったんです」鴇田の声が小さくなった。
「そんな、強い気持ちを持てよ。クヨクヨするな」
「フロント係と一緒に部屋に様子を見に行ったんですが、ドアをノックしても返事が無く、マスターキーで部屋を開けることにしました」
「それで、どうだった」
「ここは気合い入れて! と思い勢いつけて部屋に飛び込んだんですが……真っ暗で良く見えなくて、部屋の机の端に向こう脛を思いっきりぶつけてしまって、後ろに転んでしまったんです」
「ドンマイ、それくらいの失敗は、警察官の勲章だよ」
適当に舟橋は後輩を庇った。
「それで慌ててしまって、何かをつかもうと手を振り回していましたら、ベッドのシーツとか、椅子とかを引っ張ってしまって、急なことだったんで手袋もしてなくて、あっちこっち触ってしまいまして……」
「それは良くないけど、まぁそういう事もあるよ」
「先輩って優しいですね。ウチの連中とは大違いです。場数を踏んでいる余裕感じます」
「まぁな、それで死体はどうだったんだ」
「はい、フロント係が部屋の明かりをつけてくれました。でも、ベッドの上には誰もいませんでした。バスルームのドアが少しだけ開いていて、そこから赤い……血が垂れていたんです」
「マジか、やばいな」舟橋は思わず声に出した。
「フロント係は、悲鳴を上げて部屋から逃げていきました。私はこの風呂場で宿泊者に何かあったに違いないと思い、恐る恐るドアを開いてバスルームの中を見ました。そこには血だらけで洗面台に倒れ込んだ人がいたんです。水が出しっぱなしで、それが血と一緒に溢れ出して床は真っ赤になっていました」
「それは……大変だったな」
「私は急に気持ち悪くなってゲロゲロゲロッってその場で吐いてしまった……です」
鴇田はその後無言になった。
「うーん、そういう事もたまにはあるかなぁ」と舟橋は電話ではいたわりながらも、「これはひどすぎる」と鴇田の警察官適性を疑い始めた。
「それで、お前はどうしたんだ」
「はい、あわてた拍子に姿勢を崩し、私は遺体の上に倒れかけ……危ないって咄嗟に手をついたら、それは被害者の頭でした。そのせいで遺体が変な方向に動いたので、怖くなって逃げようと思って振り向いたら、ドアに思いっきり頭を打ちつけて、意識を失って倒れ込んでしまいました。応援部隊に発見されるまで記憶がありません……以上であります」
良いところが一つもない鴇田の報告に、フォローする言葉が見つからない。
「現状保存どころか現場をメチャクチャにしてしまいました。すいませんでした! 先輩、聞いてます?」
「あぁ」舟橋からは何も言葉が出てこない。
鴇田よ、素人でもそこまでの愚か者は聞いたことない。
「……その後、病院で検査してもらって脳に異常なしということで、君津署に戻ったんですが、そこで生安の主任から死ぬほど怒られて、現場に戻るな、と捜査から引きはがされました。課長にも電話でまた死ぬほど怒られて、そのまま『しばらく自宅待機しとけ』ということで……今に至ります。新人の頃に伝説の刑事・舟橋先輩に指導して頂いたにも関わらず、とんでもないヘマをやらかしてしまい本当に申し訳ございません。今はとにかく、何とか挽回したいと思っております」鴇田は電話の向こう側にいる舟橋に深い礼をした。
舟橋が思った以上に失点だらけの鴇田の初動捜査だ。これは、どうすることも出来ない。この面倒な後輩には、あまり関わらないほうがいいなぁ、とも思い始めた。
「まぁ、起きてしまったものは、悔やんでもしょうがない。気にするな、若いときに大失敗するやつは大物になるっていうからな、ハハハハ、じゃあなおやすみ」
この電話を切って、ビール飲んで早めに寝てしまおうと舟橋は思っていた。
そんな舟橋の心も知らずに、鴇田は励ましの言葉と本気で感動した。
「さすが先輩は器でかいですね! 千葉県警に舟橋ありと言われるはずです。ウチの現場経験の無い、窓際万年課長に聞かせたいですよ」
褒められると電話が切れなくなる。
「まぁまぁ、俺は寛容な男だよ。働き方改革の時代、ガミガミ言うばかりが指導じゃないよな。はははは、じゃあ……」
電話切ったら、コンビニでチューハイ買い足して置いたほうがいいかな、と舟橋は考え始めていた。
「でもですね、納得いかないのは、遺体の検視なんです」
「もう、いいじゃないかその話、あんまり引きずるなよ」
舟橋は話を終わりたい一心だった。
「いえ、先輩聞いてください」
鴇田はさっきまでの恐縮した声の様子が消え、訴えるような口調になった。
「検視官は、『胃炎による吐血を器官に詰まらせた窒息死』と言ってるんですが、僕は違うと思うんです。だって僕は見たんですよ、被害者の無念の表情を! しかも、誰よりも早く。被害者が何かを訴えかけるような顔が忘れられません。きっと署長は夏休みの観光シーズンに備えて、余計な面倒は起こしたくないと思ってるんですよ。まぁ、現場検証は、その後、僕が倒れこんじゃって体を踏んづけて、ちょっと変形しちゃったから、手間がかかったみたいですが、病死に決めつけるのが早すぎますよ。先輩、どう思います」
「まぁ、そうだな」舟橋はもう難しいことは考えたくない。「今日は疲れただろうし、まずは体を休める。警察官にとって健康は大事だぞ」適当な一般論で終わろうとした。
「先輩! もう無理しないで下さいよ」
鴇田は急に声を荒げた。
「だって今の僕の話を聞いて、本当は先輩も刑事の血が騒いでるんですよね。えぇ分かりますとも、僕の無念の気持ちを一番理解してくれるのは先輩ですから。千葉県警で知らない奴はいません。伝説の刑事です!」
今ただの定年前のおっさんだが、舟橋の刑事時代の実績は抜群だった。刑事課一筋で、現場経験はずば抜けて長い。松戸署時代にフジテレビの『警察二十四時スペシャル』に出演したこともある。その時、酔っぱらって傷害事件を起こした犯人を確保する映像に、乗ったテロップが『怒ると怖い松戸の虎! 現場一筋 伝説の男・舟橋巡査長』だった。それ以来、県警の一部から舟橋は『松戸の虎』、もしくは『伝説の刑事』と呼ばれるようになった。このフレーズ舟橋自身も確実に気に入っている。
「まぁな。でも今は謹慎中なんだから、お前は将来のある身だ、無理は禁物だぞ」
「うっ、ありがとうございます。先輩ならきっとそう言っていただけると思っていました。よろしくお願いします」
「いや、特に何も言ってないけど」
「言わなくても分かりますよ。先輩、私の代わりに捜査してくれる気なんですよね」
舟橋は話の展開に驚いた。
「えっ、何でそうなる」
「噂は、僕も聞いてますよ」鴇田の声が小さくなった。「先輩が、こっそり未解決事件を次々解決しているってこと……」
「えっ」
「分かってます。千葉県警本部長の特命を受けた極秘捜査ですよね。絶対に先輩が動いていることは、他言してはいけないってことも知ってます」
「一体何の話してるんだ、お前は」
「僕たちのような辺鄙な警察署でも、その辺の極秘情報は入ってきちゃうんですよ。今回君津にいらっしゃると聞いた時に、なんか運命を感じたんですよね」
「なんの運命だよ」
「そんな、先輩に捜査を請け負ってもらえるなんて、オレまじで光栄です」
鴇田は、キャラをころころ変えながら、先輩舟橋もころころ転がした。
褒められると舟橋は簡単に調子にのる男だった。
「うーん、いやまぁな。わかったよ、今日はまずは休め、じゃあな」
舟橋はホテルの部屋で、曖昧な笑みを浮かべたまま、思考が止まったようになった。
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