3 百鬼夜行編

1幕 才女の帰還

55話 組織の情勢

 仏蘭西フランスの現人神、アリスの帰国から数日後、七月の下旬に差しかかった頃。


「姫さん、話って何だよ?」


 夏真っ盛りといった気温の午後。

 蓮水はすみ伊織いおり沙奈さなを通して呼び出され、巫堂ふどうの二階、常世姫とこよひめの部屋を訪れていた。


 外では今日も蝉が元気に鳴き、ときおり吹く風に揺らされ、軒下のきしたの風鈴が涼やかな音色を奏でる。


「まずは改めて。アリスさんの一件を収めてくださり、ありがとうございました。心より感謝いたします」


 あぐらをかく伊織の対面、正座している常世姫が、軽く頭を下げた。

 何の用事かと思えば、本当に改まっての礼だ。


「よしてくれ。俺はできることをやった、それだけだ」


 前提として沙奈や玲士れいじ陽菜乃ひなののためだったし、そもそも伊織が天道學園に居られるのは、常世姫のおかげだ。

 魂への再封印も含めて、感謝と言うのなら、お互いさまだった。


「伊織さんにとっては、そうかもしれませんが……。おそらく伊織さんが思っている以上に、わたくしは助かりましたゆえ」

「……どういう意味だ?」

「実はアリスさんが帰国したあと、薔薇十字団ローゼンクロイツァーの団長さんから、密かに連絡がきまして。昨日、仏蘭西の拠点にいき、お会いしました」

「団長……、一番のお偉いさんか」


 常世姫の方から足を運んだのは、移動の手間を考慮してか。

 アリスの帰国しかり、現人神は高天原を経由すれば、どこへいくにも一瞬だ。

 座標は要るが、常世姫の場合、天眼てんがんで視れば問題にならない。


「はい。アリスさん以外には、内密の会談ですね」

「怪しいな」

「団長さんはアリスさんから、一連の経緯を聞いておられました」

「経緯って、全部を?」

「全部です」

「……そりゃ団長とやらも、姫さんと話したくなるか」


 所属している団員が……、普通の術者であれば未だしも、現人神のアリスがこちらに屈したとなれば、看過できまい。


 動いたのは伊織の意思ながらも、海外の組織の視点では、伊織は天道學園、ひいては出雲の戦力と見なされよう。

 よって薔薇十字団の団長は、出雲の統治者である、常世姫に連絡を取ったわけだ。


「団長さんは非常に慌てて……、というよりも、伊織さんを恐れていらっしゃいましたよ」

「見ず知らずの相手に恐れられるのは、複雑なんだが……」

「おかげで、出雲をあなどられずに済みました。薔薇十字団とは今後、良き関係を築けそうです。うふふっ」

「良き関係、か」


 建前上の言葉なのだと、理解は容易たやすかった。

 薔薇十字団の団長にしてみれば、こちらへの恐怖に伴い、少なからず出雲に引け目を感じるだろう。


 伊織やアリスの意思がどうあれ、組織に属している以上、個人の行動と組織は切り離せない。

 つまり薔薇十字団は、出雲に逆らいづらくなった構図だ。

 とはいえ、


「留學はアリスの独断だと言っていたし、団長からすれば、堪ったものじゃないな」


 団長の立場を考えれば、同情してしまう。


「わたくしも可哀想には思います。別段、向こうに何かを要求したりはしませんよ。あくまでも、伊織さんの功績ですから」

「そうか。まぁアリスも含めて、仲良くできそうなら何よりだ」

「ですね。この話を踏まえて、先ほど感謝を告げた次第です」


 日を開けた礼に、納得がいく。

 アリスの一件は思っていたよりも、広い範囲に影響を及ぼしたらしい。


「それにしても、お話した感じ、団長さんは何かと気苦労が多いようで」

「アリスのほかにも原因が?」

「薔薇十字団は現在、幻想教団イルミナリティという、別の海外の術者・異能者の組織と敵対していると聞きました」

「敵対とはまた、穏やかじゃないな」

「戦争まではいかなくても、小競り合いが絶えないと」

「……アリスは関与していないのか?」


 アリスが力を振るえば、簡単に勝てそうなものだが。


「アリスさんは魔術の研究以外、興味が薄いのでしょう。あるいは、関与できないのかもしれませんね」

「できない……?」

「相手の組織にも、現人神が居ないとは限りませんゆえ」

「……姫さんがそう言うのなら、居るんだな」


 意外、というほどではなかった。

 むしろ、だからこそ薔薇十字団と敵対し得るのだろう。


 アリスの全力をかえりみて、現人神同士が組織を率いて戦えば、双方の組織が滅びかねない。

 となれば、お互いに関与しないのが一番だ。


 果たして幻想教団の現人神は、どこの誰なのか。

 天眼を持つ常世姫は、態度を見るに、間違いなく把握しているが。


「海外は大変なんだな。こっちに飛び火しないことを願うよ」


 あえて詳細は訊かず、気楽な調子で流す。

 出雲や天道學園にとっては所詮、他人事だ。

 さほど興味もなく、もしも知る必要に駆られたら、そのとき訊けば良かろう。


「うふふっ、同感です。平和に越したことはないですから」

「まったくだ」


 微笑み合い、伊織は常世姫との話を終え、腰を上げた。




「伊織くん、何の話だったの?」


 常世姫の部屋を出ると、巫堂の廊下の先で、沙奈が待っていた。


「アリスの件で、少しな」

「ふぅーん、アリスちゃんの……」


 アリスの名前を出した途端、沙奈が不安そうな表情になった。


「……ほんとにアリスちゃんとは、何もないのよね?」


 質問の意図は、すぐに察せられた。

 アリスの帰国の間ぎわの、「伊織の子を生ませてください」という発言が、まだ尾を引いているのだ。


 全てを説明するわけにもいかず、先日は適当に濁したが、そのせいで余計に怪しまれているのだろう。


「何度も言うが、何もないからな」


 伊織は苦笑して伝える。

 大切な子に誤解されるのは、本意ではない。


「だって伊織くん、強いし、格好いいし……。アリスちゃんが好きになるのも、仕方がないのかなって」

「アリスの場合、好きとは違うような気がするが……」


 呟いた伊織の片腕に、沙奈が抱き着く。


「ほかの子に、取られたくないな」


 沙奈は拗ねているような、甘えるような声色だ。


「ははっ、大袈裟だな。俺はきみを悲しませるつもりはない。信じてくれ」

「信じているけれど……」


 短い沈黙を挟んで、沙奈が首を左右に振り、伊織から離れた。


「……違うわね。私、こんなんじゃ駄目よ」

「違うって、何がだ?」

「甘えてばかりいても、見っともないわ。私はもっと頑張って、自分を磨いて、強くならなきゃ。伊織くんの隣に居られるように」


 呆気に取られた伊織の口元が、自然と緩む。


「……きみらしい考えだな」


 前向きな姿勢は、眩しく健気だ。


「俺は多分、きみのそういうところに惹かれたんだろう」

「そ、そっか……」


 沙奈が恥ずかしげに視線を落とす。

 友人以上と恋人の境界線が、どこにあるのかは分からない。

 もしくは境界線などなく、気持ちの問題なのかもしれない。

 だとすれば尚さら、沙奈との関係性は焦らず、ゆっくり進めたかった。


「伊織くん、このあとって時間、あるかしら?」

「あるぞ」

「夕方まで仕事もないし、式神の訓練に付き合ってくれない?」

「おう、道場にいくか」


 伊織は快諾し、沙奈と並んで、鍛堂に向かう。

 気づけばいつの間にか、肩が触れ合いそうな距離感が当たり前になっていて、それが少しだけ照れ臭かった。

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