3 百鬼夜行編
1幕 才女の帰還
55話 組織の情勢
「姫さん、話って何だよ?」
夏真っ盛りといった気温の午後。
外では今日も蝉が元気に鳴き、ときおり吹く風に揺らされ、
「まずは改めて。アリスさんの一件を収めてくださり、ありがとうございました。心より感謝いたします」
あぐらをかく伊織の対面、正座している常世姫が、軽く頭を下げた。
何の用事かと思えば、本当に改まっての礼だ。
「よしてくれ。俺はできることをやった、それだけだ」
前提として沙奈や
魂への再封印も含めて、感謝と言うのなら、お互いさまだった。
「伊織さんにとっては、そうかもしれませんが……。おそらく伊織さんが思っている以上に、わたくしは助かりましたゆえ」
「……どういう意味だ?」
「実はアリスさんが帰国したあと、
「団長……、一番のお偉いさんか」
常世姫の方から足を運んだのは、移動の手間を考慮してか。
アリスの帰国
座標は要るが、常世姫の場合、
「はい。アリスさん以外には、内密の会談ですね」
「怪しいな」
「団長さんはアリスさんから、一連の経緯を聞いておられました」
「経緯って、全部を?」
「全部です」
「……そりゃ団長とやらも、姫さんと話したくなるか」
所属している団員が……、普通の術者であれば未だしも、現人神のアリスがこちらに屈したとなれば、看過できまい。
動いたのは伊織の意思ながらも、海外の組織の視点では、伊織は天道學園、ひいては出雲の戦力と見なされよう。
よって薔薇十字団の団長は、出雲の統治者である、常世姫に連絡を取ったわけだ。
「団長さんは非常に慌てて……、というよりも、伊織さんを恐れていらっしゃいましたよ」
「見ず知らずの相手に恐れられるのは、複雑なんだが……」
「おかげで、出雲を
「良き関係、か」
建前上の言葉なのだと、理解は
薔薇十字団の団長にしてみれば、こちらへの恐怖に伴い、少なからず出雲に引け目を感じるだろう。
伊織やアリスの意思がどうあれ、組織に属している以上、個人の行動と組織は切り離せない。
つまり薔薇十字団は、出雲に逆らいづらくなった構図だ。
とはいえ、
「留學はアリスの独断だと言っていたし、団長からすれば、堪ったものじゃないな」
団長の立場を考えれば、同情してしまう。
「わたくしも可哀想には思います。別段、向こうに何かを要求したりはしませんよ。あくまでも、伊織さんの功績ですから」
「そうか。まぁアリスも含めて、仲良くできそうなら何よりだ」
「ですね。この話を踏まえて、先ほど感謝を告げた次第です」
日を開けた礼に、納得がいく。
アリスの一件は思っていたよりも、広い範囲に影響を及ぼしたらしい。
「それにしても、お話した感じ、団長さんは何かと気苦労が多いようで」
「アリスのほかにも原因が?」
「薔薇十字団は現在、
「敵対とはまた、穏やかじゃないな」
「戦争まではいかなくても、小競り合いが絶えないと」
「……アリスは関与していないのか?」
アリスが力を振るえば、簡単に勝てそうなものだが。
「アリスさんは魔術の研究以外、興味が薄いのでしょう。あるいは、関与できないのかもしれませんね」
「できない……?」
「相手の組織にも、現人神が居ないとは限りませんゆえ」
「……姫さんがそう言うのなら、居るんだな」
意外、というほどではなかった。
むしろ、だからこそ薔薇十字団と敵対し得るのだろう。
アリスの全力を
となれば、お互いに関与しないのが一番だ。
果たして幻想教団の現人神は、どこの誰なのか。
天眼を持つ常世姫は、態度を見るに、間違いなく把握しているが。
「海外は大変なんだな。こっちに飛び火しないことを願うよ」
あえて詳細は訊かず、気楽な調子で流す。
出雲や天道學園にとっては所詮、他人事だ。
さほど興味もなく、もしも知る必要に駆られたら、そのとき訊けば良かろう。
「うふふっ、同感です。平和に越したことはないですから」
「まったくだ」
微笑み合い、伊織は常世姫との話を終え、腰を上げた。
「伊織くん、何の話だったの?」
常世姫の部屋を出ると、巫堂の廊下の先で、沙奈が待っていた。
「アリスの件で、少しな」
「ふぅーん、アリスちゃんの……」
アリスの名前を出した途端、沙奈が不安そうな表情になった。
「……ほんとにアリスちゃんとは、何もないのよね?」
質問の意図は、すぐに察せられた。
アリスの帰国の間ぎわの、「伊織の子を生ませてください」という発言が、まだ尾を引いているのだ。
全てを説明するわけにもいかず、先日は適当に濁したが、そのせいで余計に怪しまれているのだろう。
「何度も言うが、何もないからな」
伊織は苦笑して伝える。
大切な子に誤解されるのは、本意ではない。
「だって伊織くん、強いし、格好いいし……。アリスちゃんが好きになるのも、仕方がないのかなって」
「アリスの場合、好きとは違うような気がするが……」
呟いた伊織の片腕に、沙奈が抱き着く。
「ほかの子に、取られたくないな」
沙奈は拗ねているような、甘えるような声色だ。
「ははっ、大袈裟だな。俺はきみを悲しませるつもりはない。信じてくれ」
「信じているけれど……」
短い沈黙を挟んで、沙奈が首を左右に振り、伊織から離れた。
「……違うわね。私、こんなんじゃ駄目よ」
「違うって、何がだ?」
「甘えてばかりいても、見っともないわ。私はもっと頑張って、自分を磨いて、強くならなきゃ。伊織くんの隣に居られるように」
呆気に取られた伊織の口元が、自然と緩む。
「……きみらしい考えだな」
前向きな姿勢は、眩しく健気だ。
「俺は多分、きみのそういうところに惹かれたんだろう」
「そ、そっか……」
沙奈が恥ずかしげに視線を落とす。
友人以上と恋人の境界線が、どこにあるのかは分からない。
もしくは境界線などなく、気持ちの問題なのかもしれない。
だとすれば尚さら、沙奈との関係性は焦らず、ゆっくり進めたかった。
「伊織くん、このあとって時間、あるかしら?」
「あるぞ」
「夕方まで仕事もないし、式神の訓練に付き合ってくれない?」
「おう、道場にいくか」
伊織は快諾し、沙奈と並んで、鍛堂に向かう。
気づけばいつの間にか、肩が触れ合いそうな距離感が当たり前になっていて、それが少しだけ照れ臭かった。
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