54話 瑞風に夏雲、流れゆく
天道學園に帰った伊織は、正門に沙奈を呼び出し、玲士や陽菜乃やアリスの発言も交えて、ことの顛末を伝えた。
勿論、アリスの正体や、高天原での死闘は伏せて。
「……玲士くんが写本を欲したのは、アリスちゃんとの取引で、陽菜乃ちゃんの視力を治すためだったのね……」
顛末を聞いた沙奈は、とりわけ玲士の動機に、納得しているようだ。
「明堂院沙奈、すまなかった……」
「沙奈さん、何卒、ご容赦していただけませんか」
玲士が何の言い訳もせずに謝り、陽菜乃が懇願する。
「許すわ」
沙奈は悩む
束の間、呆然としていた玲士が、「しかし……」と口を開閉させる。
「大切な誰かの治療と、それ以外の全て……。私が玲士くんの立場でも、似たような行動を取ったかもしれないから」
「……許して、くれるのか」
「えぇ。明堂院家に伝えるのは、私も都合が悪いし……。この謝罪で手打ちよ。今後も五大武家の仲間として、よろしくね」
「……寛大な言葉、痛み入る」
「沙奈さん、ありがとうございます」
礼を言った玲士と陽菜乃が、伊織に向き直る。
「では小生は、姫さまと話させていただく。許しを得られれば……、退學を取り消すつもりだ」
「私も付き添います」
「おう。玲士、陽菜乃、またあとでな」
伊織は穏やかな心境で、巫堂にいく二人に片手を挙げる。
というのも、事前に常世姫には話をつけているので、玲士が許されるのは確実だ。
「さて……、最後だな。アリス、沙奈に写本を返せ」
「は、はい!」
静観していたアリスが、びくっと身を竦ませ、懐から一冊の書物を出す。
「……沙奈、ごめんなさい。占事略决の写本、お返ししますわ」
書物を渡された沙奈が、中身をたしかめる。
「間違いないわね。や、やっと戻ってきたぁー……!」
「アリスの処遇はどうする? 何ならきみの
「ひぃ……! さ、沙奈、許してください! お願いしますわ、何でもしますから! お金でも、権力でも、戦力でも手配しますわよ!」
涙目のアリスが、へたり込んで、がたがたと震える。
どれだけ零次元空間への固定が怖かったのか……、少しばかり可哀想ではあったが、自業自得だ。
「伊織くん、アリスちゃんに何をしたのよ……」
伊織に懐疑的な眼差しを向けた沙奈が、アリスを見下ろす。
「反省しているみたいだし、許してあげるわ。アリスちゃん、これからは他人を思いやる心を持って、生活してね」
「……分かりましたわ」
「それと写本は見せられないけれど、術を見せるくらいなら、一向に構わないから。私も西洋の術は気になるし、留學が終わるまで、見せ合って学びましょ」
「留學……、わ、私は……」
沙奈の優しさを受け、アリスが言い淀む。
現人神の力を使った時点で、アリスは學園に戻る気はなかったはずだ。
「まだ数日は、學園に居るんだよな? アリス」
強めに名前を呼び、圧をかける。
せっかく沙奈が誘っているのだし、せめて数日は留學を継続させるべきだろう。
さぞかし居心地は悪かろうが、それも償いの一環だ。
「ひっ! 居ます、居ますわ……」
「ちょっと伊織くん、もう許したんだから、アリスちゃんを怖がらせちゃ駄目よ? 可哀想じゃない」
沙奈の非難に、伊織は「やれやれ」と後ろ頭を掻く。
「きみが言うのなら、これ以上、怖がらせるのはやめておくか」
肩を竦めて、アリスに笑いかける。
「俺は何もしないから、
「……そうさせて貰いますわね」
ようやく全ての事態が収まり、伊織は安堵して、
大鳳の本家に発った辺りから、最低限の栄養補給だけで、ろくに食事をする暇もなかった。
「食堂の飯を食いたいな……」
「皆も誘って、一緒にいきましょ」
微笑んだ沙奈が、アリスの手を取る。
「アリスちゃんも、ね?」
「……ご一緒しますわ」
アリスが曖昧に微笑み返し、伊織たちは食堂に向かった。
そして平穏な日々をすごし、数日後の朝。
「そろそろいきますわね。世話と迷惑をかけましたわ」
學園の正門で、帰国を決めたアリスが、鞄を持って会釈する。
アリスの希望で大人数の見送りは控え、正門には、伊織と沙奈のみがきていた。
「アリスちゃん、ほんとにここでいいの? 港には……」
「心配は要りませんわ。移動手段はありますから」
帰りは船を使わず、高天原を経由するつもりなのだろう。
「仏蘭西でも元気でね」
「えぇ、沙奈もお元気で」
アリスが沙奈と握手を交わし、伊織の方を向く。
「伊織に留學の継続を決められたときは、正直、気が滅入りましたけれど。何だかんだで、楽しい数日でしたわ」
「ははっ、そうか」
ここ数日でアリスは、皆との交流もあってか、すっかり普段の調子に戻っていた。
伊織にしても、もうアリスに危害を加える気はない。
今後は現人神同士、穏便に付き合っていきたいところだ。
「気分が乗れば、また遊びにきますわ。今度は揉めごとは起こさずに、純粋な留學生として」
「それなら歓迎だ。皆も喜ぶだろうしな」
「……こようと思えばいつでもこられますし、長話も何ですわね」
「……ま、きみの場合はな」
「では伊織、沙奈。さようなら」
身をひるがえしたアリスが、正門の先、千敬段に歩く。
かと思えば数歩進んで、くるりと振り返った。
「伝え忘れていましたわ、伊織」
「ん?」
「ここ数日、改めて考えましたの。伊織のあの力は、非常に興味深いですわ。だから、お願いがありますのよ」
沙奈の手前、
研究者気質のアリスが、興味を持つのは無理もない。
「お願いって、何だよ?」
「以前、夜の道場でも伝えましたけれど……」
沙奈を一瞥したアリスが、自らの唇に、人差し指を当てる。
片目を閉じ、悪戯っぽい笑みを浮かべて。
「機会がありましたら将来、伊織の子を生ませてください。私と伊織の間に、どんな子が生まれるのか……。興味が尽きませんわ」
「なっ……」
「え、あ、アリスちゃん!?」
とんでもない発言を残し、アリスが踊るように千敬段を下りる。
伊織は咄嗟に追うが、高天原に昇ったか、既にアリスの姿はなかった。
「伊織くん!? いったいアリスちゃんに、何をしたのよーーーーーーーーーー!?」
背後から沙奈の、悲しげな絶叫が響き渡る。
(あの女……、最後まで油断ならないな……)
どう説明したものかと、伊織は溜め息をつく。
空を見上げれば夏雲が流れゆき、今日も暑くなりそうだった。
留學生編 了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます