16話 浅比古との邂逅
当初は気楽に考えていたのだ。
手の込んだ仕掛けがあっても、所詮は屋敷にすぎない。
歩き回っていれば修一郎と合流できるはずだし、脱出は
……体感で、半日が経った。
「いつになったら外が見えるんじゃーーーーー!」
恋華が
窓はなく、延々と続く同じような畳部屋や廊下。
階段を上っても下っても変わらず、何だこれは新手の拷問かと疑わざるを得ない。
「もう無理ぃ! しばし余は休む~!」
ついには畳に
(……よく持った方か)
伊織も腰を下ろし、足を休める。
「……いっそこの屋敷、燃やしてはどうじゃ?」
「それ、下手したら俺たちも死ぬだろ……」
「内部を壊しまくるのは?」
「どこが支柱になってるか分からないし、倒壊が怖い。最後の手段だな」
単独ならどうにでもなるが、今は恋華が居るし、修一郎も巻き込みかねない。
「むぅ……、おやつも尽きたし、余はひもじいぞ」
「非常食ならあるぞ。味は期待するなよ」
伊織は巾着袋を恋華に渡す。
中身は栄養食を混ぜて、丸めた団子だ。
「み、見るからに美味しくなさそうじゃが……、背に腹は代えられん……!」
恋華が一気に半分ほど
「……あれ? おぬしのぶんは?」
「俺は水だけでいい。十日くらいなら、食わなくても戦える」
「……冗句か?」
「本気だ。動きは鈍るけどな。修行の一環で、そういう身体になった」
「ど、どんな修行なんじゃ……。伊織、口を開けい!」
「……?」
言われて口を開ければ、恋華がそこに団子を入れた。
伊織は
「……自分で作っておいて何だが、凄まじく不味いな。良かったのか?」
「相手が下僕なら余が全部食べるが、伊織はお友達じゃからな」
「ふむ……。もしやこれは、間接
何気ない指摘に、恋華が頬を赤らめる。
「な、う、何でそういうこと言うのぉ!」
手で顔を覆い隠し、可愛らしく
「と、というか、おぬし! かわゆい余とその、それをできて、なにゆえ落ち着いておるのじゃ! 少しは照れよ!」
「単なる食べものだろう?」
「何でじゃーーーーー!?」
不満げな恋華が、さっと目を逸らす。
「休憩は終わりぃ! さっさとゆくぞ」
まったくわがままだが、伊織は何となく自身の非を思い、やれやれと従った。
探索を再開し、しばらくすると、妙な廊下に出た。
「何だここは……」
「おぉ、急に綺麗じゃなぁ~」
隣の部屋は古めかしい癖、ここだけ随分と真新しい。
脇の台には
怪しんで調べていると、
(……誰かくるな。修一郎か?)
廊下の先から、人影が現れた。
「き、き、きやがったな、敵め! 獣に続いて、次は人間か!?」
修一郎ではない。ぼろきれを纏う、壮年の痩せこけた男だ。
片手には木槌を持ち、視線は怯えと敵意に満ちていた。
「待ってくれ、俺たちは」
「その刀、さ、侍か! 言っとくが、おらは負けん!」
情報を集めたいが、伊織の言葉に耳を傾けず、男が襲いかかってくる。
「へぇいやぁーーー!」
(こ、この男……!)
へっぴり腰だ。あまりにも。伊織は斬るか捕まえるか迷い、
「伊織!」と予想外にも、恋華が素早く前に出る。
流れるように徒手空拳で構え、「はっ!」と放った掌底打ちが、
「ぎゃあああぁぁぁ!?」
軽々と男を吹き飛ばした。見事な一撃だ。
「……恋華、やるじゃないか。修一郎が同行を認めるのも納得だ」
「ふふーん、当然じゃ」
伊織は恋華を称え、倒れている男のもとにいく。
「くそう、くそう、腰がいてぇ! 何なんだよ、てめぇらは!」
壁ぎわで上半身を起こした男が、乱暴に木槌を振り回す。
「落ち着け、まずは話をしたい」
「ひぃ! は、話すことなんて何もねぇ! 近づくな、近づくな!」
男は目の焦点が合っておらず、明らかに錯乱していた。
(厄介だな……)
「伊織、余が話そう」
ついてきた恋華が、男を見つめる。
「おぬし、かわゆい余を見よ。お願いじゃ。落ち着いて、名前を教えておくれ?」
「え、お、あ……。おらは大工の、
恋華の異能の効果だ。好意からか、あっさりと素性を吐いた。
恋華が一緒で良かった。それにしても。
(浅比古だと……?)
「嘘を言っているとは思えぬな。しかも余の力が効くのなら、この男は正真正銘の、生きている人間じゃ」
伊織に向き直る恋華は、怪訝そうだ。
「……浅比古、俺たちは敵じゃない。この屋敷には、用事があってきたんだ。危害は加えないと約束する」
「……ほ、本当かぁ? あ! もしやあんた、どっかのお偉い
「武士……? 似たようなものではあるが」
武士の制度は、廃止されて久しい。
身なりも天道學園の制服で、言われるほど高価ではない。
「べっぴんさん」と評されて少し嬉しげな恋華は放っておき、何か違和感があった。
「浅比古、今はいつの世だ?」
もしや、と率直にたしかめる。
「いつって、江戸の世になって百年だろう? 学のないおらでも知ってらぁ!」
……時間が歪み、交わっている。
信じがたいが、伊織は御庭番の隠れ里で、噂程度に聞いていた。
龍穴の上では、そういった現象も起こり得るのだと。
「はぁ? 今は明治……」
「待て恋華、俺が話す」
混乱を防ぐために、恋華を制す。
「浅比古、きみはさっき、敵がどうとか言っていたな。詳しく聞かせてくれないか? 力になれるかもしれない」
「力に……。おらは昔っから、いつかくる敵の存在を確信しとった。誰も信じてくれんがね。そんでこの屋敷を建てて、敵を待ち構えていたんよ」
浅比古がときおり声を裏返らせ、早口で話す。
「そうしたら案の定、敵がきよった。げに恐ろしき、人喰いの獣がね。そんで逃げながら守るために増築しとったら、あんたらまで現れたんよ」
(人喰いの獣……、呪言獣と考えるのが妥当だな)
この場に居るのは、過去の浅比古と仮定して。
おそらく浅比古は、無自覚ながらも、何らかの異能を持っている。
その異能で未来の敵の襲来を確信し、屋敷を建てた。
そして百年近くの時間を経て、敵――呪言獣が侵入したわけだ。
屋敷の不可解な建築も、異能が関わっているに違いない。
「理解したよ。俺たちはその敵、人喰いの獣を退治にきたんだ。居場所を知っていれば教えて欲しい」
「お、おぉー……! やっぱりお偉い武士は、頼りになるねぇ! これがこの屋敷の見取り図でさぁ! 獣はここに居座っとるようで」
浅比古が
立体的で精密、非常に読み取りづらいが、貰えるだけありがたい。
「感謝する。あとそうだ、俺と同じ服装の男を見なかったか?」
「見とらんなぁ」
修一郎とは会っていないか。無事を信じるよりほかあるまい。
伊織は
いったん場所を移し、伊織は恋華に、浅比古やこの屋敷についての仮説を伝えた。
「はぇ~、奇妙じゃが、納得はゆくな……」
「俺も驚きだ。浅比古には、伝えない方がいいだろうな」
知った浅比古が、どんな行動を取るか分からない。
「して、どこへ向かう?」
「まずは玄関まで戻って、修一郎との合流を目指す。それから呪言獣だ」
「賛成じゃ。戦力は多い方が良い」
見取り図を確認し、仕掛けのない通路を選んで進む。
浅比古が作業用に使っているのだろう、これなら迷わずに済む。
「……と思ったが、見取り図にない階段もあるな」
「どれ、見せてみよ?」
恋華と顔を突き合わせ、見取り図を眺めながら歩いていると。
「のわぁ!? だ、誰かの人骨があるぞ!」
廊下の端に、骨があった。
仰向けで死んだのか、何とも綺麗な人型だ。一目で人骨だと分かる。
手元に落ちている木槌は、浅比古が持っていたものと同じだった。
「……多分これ、浅比古だよな」
「さ、さっきまで元気じゃったのに! なにゆえ死んでおるぅ!? 時間の歪みというやつか!」
人骨に事情は訊けず、さらに歩いていけば。
「ごっほ、ごっほ……。何だてめぇら、敵かぁ!?」
今度は階段の上から、体調が悪そうな
片手に、見覚えのある木槌を握って。
「……ご老人、余に名前を聞かせておくれ?」
恋華が恐る恐るといった風に、素姓を訊ねる。
「浅比古だ」
「わあああぁぁぁ! 老いて生き返っておるぅーーー!?」
(場所によって、時間の軸が入り混じっているのか……?)
浅比古屋敷とは、浅比古が建てた屋敷にして、浅比古と無限に出会う屋敷だった。
様々な時間軸の浅比古、不気味きわまりない。
それから合計で四度、浅比古と邂逅し、
「もう嫌じゃぁ! 怖いよぉ!」
恋華が泣き出した頃。
「伊織殿、恋華! 無事であったか!」
玄関近くの廊下で、ようやく修一郎との合流を果たす。
「兄上ぇ! 浅比古が、浅比古がぁ~!」
「む? 二人とも、浅比古と会えたのか? この短い間に……」
伊織は修一郎の反応や、汚れのない制服に疑問を覚える。
「……修一郎。俺たちと別れて、どのくらい経った?」
「三十分も経っておらぬであろう。何があった?」
もしや時間の歪みにとらわれる起点は、あの仕掛けか。
ふらりとよろめく恋華を支え、伊織は修一郎に、経緯を話した。
「ふははっ、面白い体験をしたではないか! 吾輩は羨ましいぞ!」
休憩を挟み、三人で呪言獣の居場所を目指す。
「笑いごとではなーい! あやつめ、夢に出てきたらどうしてくれよう!」
まだ怖いのか、恋華が伊織の制服の袖を掴み、ぷんすかと怒る。
修一郎と合流してからは浅比古と出会っておらず、邂逅にも条件があるのだろう。
見取り図に沿い、仕掛けのない通路を進むと、呆気なく目的の部屋の前に着いた。
「……ひどい有様だな」
中に呪言獣は居なかった。
しかし畳は乾いた泥や血に
死体はどれも内臓が喰われており、呪言獣の被害者だと察せられた。
「何人喰えば、気が済むんじゃ……」
恋華が痛ましげに歯噛みする。
「……渇いている泥や血から考えるに、既に
こうも痕跡が残っていれば、間違いない。
伊織の分析に、
「であるな。それにしても、おかしいぞ」
同意した修一郎が、眉根を寄せる。
「呪言獣は今まで、その場で人間を喰っていた。連れ去るだけの知能を持ち合わせているとは、とても思えぬ」
「
伊織は室内を調べ、落ちていた布の切れ端を発見する。
「これ、俺たちの制服と同じ生地だよな。修一郎、まさか學園でも被害者が?」
その布の色や材質は、天道學園の制服だった。
「今のところ、確認はされていないはずだ。死体の服は違うな。うーむ……」
「誰かが戦った可能性は……、報告がいくよな」
二人で悩むが、答えは出ない。
呪言獣の知能もあわせて、謎は深まるばかりだ。
「……幸いにも伊織殿が見取り図を手に入れてくれたし、後日、改めて警察を派遣して調べさせるか。迷わねば安全であろう」
「だな。俺らは帰るか」
死体を調べたり運ぶのは、警察に任せるべきだろう。
倒せはしなかったが、呪言獣が人を連れ去ると分かっただけでも、大きな収穫だ。
伊織は修一郎や恋華と共に、通路を戻り、外へと出る。
「ふぃ~、やっと外じゃぁー!」
恋華が夕焼けに目を細め、背伸びする。
「そういえば……、浅比古が外に出たら、どうなるんじゃろ?」
「……浅比古の主観で、そのとき生きていた時代に出るか……。もしくは今の時代に出て、一気に老いるか死ぬんじゃないか?」
伊織にも断定はできない。
世界は主観か客観か。そもそも、出られるのかどうか。
「むぅ……、けど屋敷には、別の時間の浅比古がおるぞ」
「ふははっ、見かたによっては、不死と言えなくもないな」
修一郎が
「本人に自覚はないがな。考えても仕方がないさ」
締め括った伊織は、帰路に着く。
耳を澄ませば微かに聞こえる、木槌を叩く音。
浅比古屋敷は、今日も敵に備え、増築され続けるのだった。
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