7話 町の事件
(……遅いな)
数十分後、伊織は天道學園の正門で、恋華を待っていた。
いったん道場で別れ、風呂で軽く汗を流してきたが――てっきり先に居ると思っていた恋華はおらず、欠伸が漏れる。
見上げれば晴天の空、晩春の午後は心地いい温かさだ。
「先に待っておるとは、感心な心構えじゃな!」
やがて待ち人が現れた。背後に数人の男子生徒……、下僕たちを引き連れて。
「……まさか、全員でいくのか?」
「……? 当然であろう」
大名行列と言えば大袈裟ながらも、目立つことこの上ない。
奇異の目で見られるのは、
「すまない、帰っていいか?」
「何でじゃーーー!?」
困惑ぎみに叫んだ恋華が、はっとして胸元に手を添える。
「読めたぞ! おぬし、かわゆい余を独り占めしたいと申すかぁ! 致しかたのない想いではあるが、そのような贅沢……」
「やっぱり帰る。達者でな」
伊織は身を反転させ、歩き出した。
「待てーい! ちょ、待って、帰らないでぇ! 分かった、下僕は帰らせる! 特別に今日は、余を独り占めする権利をやろう!」
「……勘違いも
戻る伊織の近く、
「蓮水、許すまじ」「恋華さまを独り占めとは」
「羨ましい……」「……殺すぞ」
恋華に目配せされた下僕たちが、口々に呟き、寂しげに帰っていく。
物騒な言葉は、聞こえないふりをした。
「よーし蓮水伊織、ゆくぞ~!」
「お手柔らかに頼むよ」
伊織は恋華と隣り合い、學園の外に出るのだった。
天道學園は台地に建てられており、正門の外には、直線の長い
通称、
木々に挟まれた幅広の階段を下り切れば、一気に人通りが増え、地面の道の両脇、
城下町ならぬ、園下町だ。
表通りに面した建物は店が大半で、店員は非術者が多い。
出雲に新しく
理由は税率の低さや、手厚い保険などが挙げられる。
流通はおもに円城寺家と大鳳家が取り仕切り、両家は出雲の活性化に、大きく貢献していた。
町に下りて間もなく。
「これとこれ……、この
散財である。店前を通れば次々と声をかけられ、恋華が商品を買う、買う、買う。
しかも交渉するまでもなく値引きされ、とりわけ店員が男の場合、さらにおまけがつく始末だ。
伊織は開いた口が塞がらず、どんどん手荷物を持たされる。
「……財布の中身、大丈夫なのか?」
「無用な心配じゃな。余は柳葉の本家の長女ぞ?」
「それもそうだな……」
何せ出雲を自治する側の御家だ。金はあって
大通りをすぎると買いものにひと区切りがつき、ぶらりと道を歩く。
人目を引く――好意的な眼差しを受ける恋華に気にする様子はなく、慣れているのだろう。
そもそも恋華の異能が効かない伊織から見ても、整った容姿だ。
「ところでおぬし……、余と出かけるのなら、下僕になる覚悟ができたのか?」
「できているわけないだろ……」
「ぬぅ……、困ったのぅ。金を積めば良いか?」
「積まれても断る。きみ、どうして下僕にこだわるんだよ?」
「欲しいから」
「……欲しいと思っても、手に入らないものもあるだろう」
「なかった」
「な、何だって?」
「今まで欲しいと思って、手に入らぬものはなかった。そのうえ余の異能がまったく効かぬ男となれば、どうすれば良いか分からぬ……」
「…………」
あ然としてしまう。天下のわがまま娘、恐るべし。
修一郎から聞いて予想はしていたが、まさかここまでとは。
「ここ数日、悩んでおる。余を好きではない相手と、どう接するべきなのか」
「……多くの場合は相手を知って、徐々に好きになっていくんじゃないか? 勿論、一目惚れだとか、例外はあるだろうが……」
断言はできないが、伊織の知識にある一般論だ。
すると恋華が、ぱちくりと目を
「つまりおぬしはこれから、余を好きになる可能性があると?」
「否定はしないよ」
「ほぉー、光明が見えたぞ! かわゆい余を知れば、誰であろうと好きになるはず! 伊織、おぬしに余を知ることを許す!」
自信満々に言われ、伊織は「そりゃどうも」と肩を竦める。
「逆に訊くが、きみはどうなんだよ? 誰かを好きになったりしないのか?」
「人の好みかぁ……。身内を除けば、沙奈ちゃんみたいな子は好きじゃ。隆源みたいなやつは嫌いじゃ」
「気が合うな。俺もだ」
「将来の
「ははっ、厳しそうな条件だな……、ん?」
道沿いに足を進めている途中、人だかりが視界に入った。
何事かといってみれば、人々の表情は一様に暗い。
「人死にか」
伊織は鼻をつく死臭で察し、恋華を片手で制す。見せないように。
「構わぬ、見るぞ。治安の維持も、五大武家の務め」
「……そうか」
手を
地面に敷かれた布の上、初老の男の死体があった。
(これは……、むごいな)
死体は頭部や四肢こそ無傷だが、胸から腹が大きく抉られ、中の臓物がない。
くり抜かれ……、いや、喰われたのか。
少なくとも、事故の類ではなかろう。
「この死体、誰が運んだのじゃ?」
恋華の呼びかけに、
「私です! 馬車で荷物を運んでる途中、
態度からして、町で五大武家の生徒は、顔が知られているのだろう。
「……ご苦労であったな。時期に警察がくる、待っておれ」
商人に指示した恋華が、伊織の方を向く。
「……
「呪言獣?」
「最近ここらを騒がせておる、強大な怪異じゃ」
怪異とは、死した生物の思念から生まれる、化け物の総称だ。
特に出雲には
一説では黄泉比良坂の管理のために、初代常世姫は出雲の一帯を選び、貰い受けたとされている。
「死体に抵抗の痕跡がないであろう? 呪言獣は呪いを吐いて相手を縛り、生きたまま臓物を喰らう。残虐な畜生よ」
「討伐はしないのか?」
「警察や退治屋が追っているが、討伐には至っておらぬ。呪言獣は人を喰らうごとに力を増すゆえ、慎重にならざるを得んのじゃろう」
出雲の警察は五大武家の傘下で、全員が優秀な術者だ。
退治屋――怪異退治の専門家も含めて、それで討伐に至らないとなれば、呪言獣はかなり厄介な怪異なのだと分かる。
「お父さん!」
叫んで死体に駆け寄り、泣く妙齢の女性が一人。
恋華が痛ましげな表情で、その女性の
「おぬし、この男の娘か」
「はい……。お父さんは今朝、山菜を採りにいって……。それが、こんな……」
「……これを受け取れ。葬儀代に
恋華が財布を取り出し、女性に手渡す。
ほどなくして警察が到着し、
「伊織、余たちは離れようぞ」
「あぁ……」
再び歩き出す恋華を追い、伊織は場をあとにした。
それから帰路に着く。財布がなくては、買いものできまい。
「……きみ、優しいところがあるんだな」
中身は勿論、あの財布は相当高価な品だろう。
売れば葬儀代どころか、しばらくは生活に困らないくらいの。
「何がじゃ? 持てる者の
聞き返す恋華は、不思議そうだ。
(この子は……)
純粋、という言葉が思い浮かぶ。明け透けとも言い換えられた。
偉いから偉く振る舞う。
五大武家だから死体を見て、発見者に指示を飛ばす。
富めるから施しを与える。何もおかしくはない。
そして――他者に好かれる異能を持ち、欲しいものは何でも手に入ってきたから、わがままになった。ならばそれも、何もおかしくはないのだ。
下僕を従える恋華は、一見すると歪んでいても、その実、真っ直ぐで曇りない少女だった。
「……少し、きみのことを好きになったよ」
千敬段に差しかかり、伊織はぽつりと零す。
「ほぉ! 早くも余の魅力に気づいたかぁ! ようやく下僕に」
「ならないからな。友では駄目か?」
「……男の友人は……、むぅ、余の異能が効かぬ伊織なら、大丈夫かなぁ……」
「心配ごとが?」
「距離の近い男を作るのは危ないと、家族が心配しておってな。男の友人は、居たことがなくてのぅ」
恋華の異能の弊害か。下僕は自衛の意味もあるのかもしれない。
「おぬし、余を好きになりすぎて、襲ったりせんよな?」
「襲うか! 俺を何だと思っているんだ……」
「あははっ、ならば良し!」
数段先をいった恋華が、くるりと振り返る。
「伊織よ! おぬしをかわゆい余の、友人にしてやろう! 暴走しない程度に、余を好きになるがいい!」
満面の笑みで指さされ、伊織は呆れて微笑み返す。
その姿はたしかに、可愛らしかった。
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