第8話 異変
後日、音羽は自身が植えた苗をじっと見つめていた。
「全然変化がないわ」
「そりゃ、一日や二日でどうこうなるものではないからな」
一緒に苗を見ているのはセラだ。セラは音羽を見上げて言う。
「庭の方にも行ってみたらどうだ。そろそろ手入れの時間だ」
「あ、そうね。やり方をちゃんと勉強しないと」
音羽とセラは連れ立って屋敷に戻り、今度は壱護も一緒に庭へ向かった。
「この庭はね、とても繊細なんだ」
壱護は植物ひとつひとつを確認しながら続ける。
「この庭は、もろく儚い、大切なものを抱えている。それを私たちは認識しえないけれど、それを守れるのは私たちしかいない」
「なんだか難しい話ね」
音羽の言葉に壱護は頷いた。
「そうだね。私も初めて先代からその話を聞いた時は、なんて大変なものなんだと思ったよ」
橙色に透き通る花びらを持つ、きんもくせいにも似た花の前で立ち止まる。
耳を澄ませてみれば、何やらシャラシャラと音が聞こえる。庭全体から聞こえるものとは違う、かといってどう違うのかははっきりと言えないような、そんな些細な違いをはらんだ音だった。
壱護は花に触れた。
「だから、守ってもらうために、この庭は音で知らせるんだ。自分が今どんな様子か、何をしてほしいか伝えるためにね。それを聞くために、うちの家系には、聴覚が優れた魔法使いが多い」
「なるほどねえ」
透き通った花の中に一つだけ、くっきりとした花があるのを見つけ、壱護はそれを摘み取った。すると、音が変化した。風鈴のような音になったのだ。
「この花は枯れると透明ではなくなってしまう。枯れた花を摘まなければ、すべてがだめになってしまうんだ」
「枯れた花弁はどうするの?」
「コロンにすると、いい香りがするんだよ」
その作り方も教えてもらおう、と音羽は意気込んだが、今は庭の手入れの仕方を頭に叩き込むだけでいっぱいいっぱいであった。
休憩のティータイム中、音羽はふと聞いてみた。今日の茶菓子はシンプルなスコーンであった。
「おじいちゃん以外にも魔法使いってあんなにたくさんいるのね。やっぱりみんな、こうやって屋敷を持っているの?」
「そうだね。大小はそれぞれあるけれど、みんな、何かしらを守るために屋敷を構えているねえ」
壱護の隣ではセラがお気に入りのクッションの上でゆったりとくつろいでいる。壱護は続けた。
「例えば風観くんの家は、代々視覚が優れているね。占星術はもちろん、風や、普通の目では見えないようなものまで見えるんだ。昔は、偉い人にも仕えていたみたいだよ」
そういえば、風観は視覚が優れていると天が言っていたことを音羽は思い出していた。
「天くんのところは由緒ある家系だ。魔力量が多くて、どちらかといえば、あちら側に近い」
「あちら側って?」
「魔法の世界」
何か違うのだろうか。そう尋ね返す前に、壱護は説明した。
「あちら側の魔法使いは基本的に長命で、魔法で生計を立てることもできる。まったく同じ、というわけではないけれど、それに近いものがある」
「色々あるのね」
「天くんはずいぶんとお転婆みたいだから、先代は手を焼いているみたいだよ」
「ああ……」
顔も知らないその先代に、音羽は少し、同情したのだった。
「……ふむ」
制服が冬服からすっかり夏服に移行してしまったころのことであった。魔法をたたえていない、壱護の普通の庭にも虫が増え、山の方からは朝早いうちから、セミの大合唱が聞こえてくる。
打って変わって、静寂が支配する樹の間。壱護と音羽は双葉を前に佇んでいる。
「さすがに、遅すぎるな」
あれから、音羽が植えた苗は全くといっていいほど成長していなかった。
「もしかして、私が、主としてふさわしくないってこと?」
「いや、それは違うな」
音羽の不安げなつぶやきをはっきりと否定したのはセラだった。
「本来、主としてふさわしくない者が苗を植えると、植えたとたんに枯れるものなんだ。それに……」
セラは当たりを見渡す。
「どうも様子がおかしい」
「おかしいって?」
「他の樹の魔力が、揺らいでいるのだ」
誤差と言われればそれまでだが、と前置きしてセラは言った。
「ここまで揺らぐのはあまり見ない。世界樹に何かあったのだろうか」
「そのあたりはよく分からないね」
壱護はいつも通りの穏やかで落ち着いた口調をしていたが、表情は少し険しかった。
「アネッサにも連絡してみよう。あちら側のことは、彼女の方がよく分かっているだろうから」
そして壱護は音羽に微笑を向けると、安心させるように頭に手を置いた。
「大丈夫。大丈夫だよ」
「ええ……分かってるわ」
音羽も表情を引き締める。
夏休みに入り、音羽はほとんど屋敷に入り浸っていた。庭の手入れをし、魔法の勉強をし、もちろん、学校の課題もこなし、とずいぶんと忙しい毎日を送っていた。
「とにかく今は、私にできることをやらないと」
生来の気質もあって、魔法使いとしてずいぶん成長したようである。
朝の日課である庭の手入れをしたら、夏季課外に向かう。その後ろ姿を壱護とセラはそろって見送った。
夏季課外が午前中で終わると、音羽は旧校舎にまっすぐ向かった。
空き教室にはすでに、風観と天がいた。音羽を見つけた天が、明るく笑い、声をかける。
「あ、音羽。よーっす」
「こんにちは」
一方で風観は相変わらず不機嫌そうであった。
「遅い」
「ホームルームがなかなか終わらなかったのよ」
さんさんと日が差し込んでいるが、教室の中は涼しい。クーラーなどはないが、やはりそこは魔法使いのための空間だからであろう。
一つの机を囲み、三人は席に着く。
「それで、何か変わりはあった?」
天の言葉はいつも通りのんびりとしているが、その瞳には真剣な光がともっている。
音羽の屋敷で起きているような異変は、彼らの屋敷でも起きているらしい。そのため、情報交換として最近はここに集まっていたのだった。
「いや……うちは特に何も」
先に口を開いたのは風観だった。
「ただ、最近、星の巡りが不安定だとは言っていました。そもそも安定しているものではないので、そう指摘されれば何も言えないけど……。ただ、違和感があると」
「んーそっかあ。音羽の方は?」
話を振られ、音羽は今朝がた交わしていた話を伝えた。
「樹、樹か」
天は少し気になることがあったようで、持って来ていた魔導書を開いた。真っ白な皮張りで、装飾はすがすがしい水色の宝石で統一されていた。
「先輩の方がそういうこと、詳しいんじゃないですか?」
風観も魔導書を取り出す。深緑色の皮張りに黒い金具の、シンプルなものだった。
そういえば、祖父が、天の家系は由緒あるもので、あちら側に近いと言っていたということを音羽は思い出した。
しかし当の天は「いやあ……」と首をひねっている。
「ただ、気になることといえば……今年はどうも
甘露草、という単語に音羽は反応した。
「うちの庭にもあります。濃いオレンジ色の花で、実は透明。そのまま飴になるくらい甘いんですよね」
「お、さすが壱護さんの庭」
天は感心したようにそうつぶやくと、続けた。
「生息数の少ない種で、育てるのも難しい。ただ、その実を使ったお菓子はたいそうおいしくて、それはまるで神々の食べ物のようでもあるとか。まあ実際、お供え物に使われることばかりで、俺たちの口に入ることはめったにないんだけど」
「それがどうかしたんですか?」
風観が聞けば、天は腕を組んでうなった。
「ただでさえ量が少ないのに、不作らしいんだよね。向こうの世界で気になることといえば、それだけなんだけど……」
「それってつまり……」
音羽は純粋に疑問に思ったことを口にした。
「お供え物の甘味が減ってるか、種類が変わってるってことですよね」
「うん? まあ、そうだね」
天は音羽に視線を向けた。風観も黙って音羽の話の続きを促す。
「てことは、神様に捧げる供物の内容が変わったってことですよね。世界樹の守り神も含めて」
その言葉に二人は沈黙した。音羽は続ける。
「だったら、世界樹にも、影響があるのかなー……と思ったんですけど……」
しかしお供え物の内容でそんなたいそうな樹が不調になるだろうか、神様たちは調子を崩すだろうか、と音羽も自信がなくなったのか、言葉はしりすぼみになっていく。
「まあ、あらゆる可能性を考慮することは大事だよね。今のところ、一番有力ともいえる」
「普段と違うところといったら、そこしかないですもんね……」
二人は自分を納得させるように呟く。
結局、決定的な原因はつかめないまま解散となったのだった。
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