第6話 樹
アネッサの言ったとおり、二日後にはローブが出来上がって、壱護の屋敷に届けられた。
放課後、屋敷に立ち寄った音羽はさっそくそれを着てみた。
「ああ、ぴったりだね」
ローブを身にまとった音羽をアネッサは満足げに見つめる。
セーラー服の上から羽織ったローブは音羽の動きに合わせてカラスアゲハの羽のように揺らめき、どことなくきらきらと輝いているようにも見えた。
「馬子にも衣裳ってやつだな」
今日は音羽が来た時から人型をとっていたセラが、ふんと鼻で笑ったが、音羽はそんなのにかまっている余裕はないようであった。
絹の様な手触りでありながら、どこかしっかりとした生地のようでもある。それに何より――
「魔法使いっぽい!」
音羽の無邪気な言葉に、アネッサは笑った。
「あはは、そりゃ、魔法使いのローブだもの。みたい、じゃなくて、まさしくそうなんだよ」
「ああ、そっか。そうだったわ」
くるくると回ってみたり、裾を揺らしてみたり、はしゃぐ音羽を微笑まし気に壱護は見つめていた。
ひとしきりローブを堪能した音羽がソファに座ると、アネッサはトランクから重厚な木製の箱を取り出した。
「そしてこれが、貴女の魔導書」
テーブルに置かれた箱に、音羽は恐る恐る触れる。何の装飾もない箱のふたを開けると、そこには、キャラメル色の皮張りに金の留め具と装飾が施された立派な本が収められていた。
「これが、私の……」
音羽はその本を持ち上げ、そっとページを開く。
「あ、開く」
「貴女の魔導書だからねえ」
まだ何も書かれていないページばかりだ。これから想像もつかないようないろいろなことで埋め尽くされていくのだろう、そう想像しただけで音羽の頬は紅潮した。
「ありがとうございます」
「うん。大事にするんだよ」
アネッサはこれから別の仕事が入っているとのことで、今日は早々に帰ってしまった。
「さて、それじゃあ道具もそろったことだし、本題に入ろうか」
そう言うと壱護はあるものを手に音羽の向かいに座った。
それは小さなガラスドーム。中には小さな苗のようなものがあった。
「これが、音羽が育てていくことになる樹の苗だ」
「へえ……」
真っ白な陶器のポットにおさめられているあたり、普通の苗ではないということは分かった。しかし、そこに見える双葉は、ホームセンターで見たことがあるようなものでもあった。
「案外普通の見た目なのね」
「おい、貴様。その言い方は何だ」
呆れたように言うセラは、すっかり元の姿に戻っていた。
「これは、魔法の世界、その中心にある大樹――世界樹からいただいたものだぞ。三柱の守り神が長い間、絶えることのないように護っていらっしゃって……」
「まあまあ、セラ。落ち着いて」
「しかしなあ……」
セラは釈然としないようだったが、壱護になだめられ、渋々ながら引き下がった。
二人と一匹は連れ立って、例の温室へ足を踏み入れた。
「さあ、音羽」
空白の区画の前に立つと、壱護はガラスドームの蓋を取った。
ひんやりと冷たい器に触れ、音羽はそっと苗を取り上げる。まるで奥の方で脈を打っているような、不思議な感覚に音羽は息をのむ。
「……このまま?」
「ああ、そっと真ん中においてごらん」
壱護に言われた通りに音羽は震える手でその苗を空白の中心に置いた。
するとまるで地面に吸い込まれるように器が沈んでいき、双葉だけがちょこんとそこに居座った。
「おおぉ……」
「うん。うまくいったみたいだね」
壱護は双葉の様子を確認すると、安心したように頷いた。
「あとは時間に任せるだけだ。毎日様子を見においで」
「分かったわ」
「ああ、それと、週末の晩は予定を空けておいてくれるかい?」
樹の間から屋敷に戻りながら壱護は言った。音羽は不思議そうに聞き返す。
「週末の晩? 大丈夫よ。何かあるの?」
「こちらの世界に住む魔法使いたちの集まりがあるんだ」
扉を閉じ、階段を下りながら壱護は続ける。
「定期的に集会を開いて、情報の交換なんかをする。そこで、音羽を紹介したいと思っているんだ。私の跡継ぎとしてね」
「跡継ぎ……」
その言葉に、音羽は少しだけ緊張した。
これはごっこ遊びではない。本当に魔法使いとして生きていくのだ、と思うと、不安こそないがやはりどこか緊張するのだ。
しかし後に引く、という選択肢はない。頑張るほかないのだと気合を入れなおし、音羽はぐっと視線を上げた
その様子を壱護の肩の上で見ていたセラは、少し目を細めると床に飛び降りた。
「お前でも緊張するのか」
「私を何だと思っているのよ」
「怖くなったか、今になって」
静かに音羽を見上げるセラを壱護はたしなめることなく黙って見つめる。
「魔法使いとして生きることが」
唐突なセラの問いに、音羽はきょとんとするが、あっけらかんと答えた。
「怖くはないわよ」
「では、楽観的に捉えていると?」
「あのねえ」
音羽は少し呆れたような表情をした。ゆら、とローブが揺れ、切り取られた夜空のような生地がきらめいた。
「確かに私は、魔法使いとして生きることを楽しみだとは言ったけれど、それが楽だとは思ってない」
壱護は興味深そうな視線を音羽に向ける。
勝気な笑みを浮かべた音羽に、セラはピクッと耳を震わせた。
「勇敢と無鉄砲は違うわ」
その言葉に、壱護は穏やかに微笑み、セラは偉そうに鼻を鳴らしたのだった。
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