第42話


『ん?なんだお前は…私の咆哮で気絶したのではなかったのか』


アレルにトドメを刺そうとしていたフェンリルが、こちらに顔を向ける。


「悪いな、フェンリル。お前に今、そいつを殺させるわけにはいかないんだ」


俺は気を失っているアレルを指差していった。


『ふむ…つまり私はまず先にお前を食い殺せば良いのか?』


俺の元まで悠々と歩いてきたフェンリルが、そう言いながら見下ろしてくる。


『気絶したふりをしていたのか…?お前は』


「まぁ、そんなところだ」


『なるほど…私の咆哮を耐えたということはただの雑魚ではなさそうだが……そのまま気絶したふりをしておけばよかったのではないか?』


「そのつもりだったんだがな…勇者が負けたんで、仕方なく戦うことにしたんだ」


『勇者…?』


フェンリルが首を傾げる。


「お前が2回の攻撃で倒したあいつだよ。信じられないかもしれないが、あいつが勇者というのは本当なんだ」


『…冗談だろう?』


フェンリルが気を失っているアレルを振り返っていった。


俺はかぶりをふった。


「冗談じゃないぞ。あいつが勇者だ。いずれ世界を救うことになる英雄だ」


『…信じられん』


フェンリルがボソリとつぶやいた。


まぁ、気持ちはわかる。


『あんな弱っちいのに世界が救えるとはとても思えないが……』


「それは…これから強くなる…んじゃないかな?」


なってくれ。


なってくれなきゃ困るぞ、マジで。


『ふむ……まあわかった。仮にあの雑魚が本当に勇者だとしよう。それで、お前はなんなのだ?』


フェンリルがぐっと俺に顔を近づける。


黄色く光るめが、俺を見極めようとするかのように細められた。


「俺か…?俺はただのモブだ」


『む…?今なんと…?もぶ…?なんなのだそれは』


「目立たない存在ってことだ。一応勇者と同じ村の出身の幼馴染でもある」


『なるほど……同郷の幼馴染か……だからあれを私に喰われるわけにはいかないと?』


「まぁそんなところだ」


『グフフ…親友のために命を投げ打って私と対峙しているその勇気だけは認めてやろう。ただし……蛮勇だと言わざるをえないがな』


フェンリルが俺を見下したようにそういった。


そんなフェンリルに、俺は懇願する。


「なぁ、頼むよ。あいつを食うのはやめてくれ。多分美味しくないと思うんだ。ここは穏便にいこう。俺たちを見逃してくれ」


『貴様らの命に興味はない。どこへでも逃げるがいい。ただしあいつはダメだ』


フェンリルがアレルを頭の動きで示していった。


『やつは私のナワバリに土足で踏み込み、そしてフェンリルの私を軽んじた。許し難い行為だ。必ず食い殺す』


「…それは絶対か?」


『ああ、絶対だ」


どうやらフェンリルの気を変えるのは無理のようだった。


「はぁ…」


俺はため息を吐いた。


どうしてこう、次々と俺の周りで面倒なことが起こるんだ。


…いや、俺の存在自体がこの世界の歯車を狂わせていることは自覚はしているのだが。


…原因の一端が自分にあることがわかってるから怒るに怒れないところが余計にタチが悪いな。


『さて、どうするのだ?勇者の親友よ。今ならまだ許してやるぞ。勇者を置いて他のものたちと逃げるが良い。そして二度と私のナワバリに踏み込まないことだな』


「やれやれ……わかった。なら、戦おう。どうやらそれしかないみたいだ」


『…お前もまた愚かだな…いや、底抜けのお人好し、という解釈もできるか』


「できれば後半の方の解釈で頼む」


『ともかく私に歯向かうなら死んでいくがいい』


フェンリルが前足を薙いだ。 


俺を一撃の元に殺すことを目的とした、鋭い一撃。


「ふん」


バシィ!!


俺はそんな横薙ぎのフェンリルの前足を右手で受け止めた。


…正確には右手の人差し指一本で。


『な、何ぃいいいいいい!!?』


フェンリルが驚き慌てふためく。


バッと背後に飛び退いて、それから驚愕の視線で俺を見下ろす。


『お、お前…今何をした!?私の一撃を……指先で…?』


「まぁ、レベル差があるからな。これくらいは、普通に…」


伝説の魔獣、なんて呼ばれているフェンリルだが、その強さはせいぜいメインストーリーの中ボス程度だ。


裏ボスの足元にも及ばないし、当然カンストしている俺のレベルよりも圧倒的に下だ。


ゆえにフェンリルの攻撃は俺には完全に見えていたし、受け止めるのも簡単だった。


指先から伝わってきた力というのは、非常に柔らかく、飼い猫と戯れている時のような錯覚を覚えたほどだ。


『ななな、何者なんだお前は…!?ゆ、勇者よりお前の方が断然…』


フェンリルが俺と勇者を見比べて混乱している。


『まさか…勇者はお前なのか?』


「違う。さっきも言ったろ。俺はただのモブの幼馴染だ」


俺は地面を蹴って一瞬でフェンリルに接近する。


レベル差があるためか、フェンリルは俺の動きを認識すら出来ていなかった。


俺は跳躍し、フェンリルのお腹あたりに軽いパンチを見舞った。


ボゴッ!!


鈍い音がなり、フェンリルの巨体が浮き上がった。


『ごはぁああああ!?!?』  


フェンリルが悲鳴を上げて、地面に倒れる。


そのまま痛みに悶え、あたりを暴れ回る。


「まだ戦うか?」


そんなフェンリルに俺は近づいていき、そう問いかけた。


フェンリルがバッと起き上がって、尻尾を降り始めた。


『クゥウウン…クゥウウン…!』


まるで愛犬のように、尻尾を振り、姿勢を低くして甘い声を出す。


…伝説の魔獣が全力で俺に媚び始めた。


「お、お前…プライドとかないのかよ…」


つい先ほどまでかなり不遜な態度だっただけに、俺はフェンリルの変わり身の速さに、驚きを通り越して呆れてしまう。


『だ、だって仕方ないだろ…!!今の一撃で理解させられちゃったんだもん…!戦ったら天地がひっくり返っても勝てないって…!』


口調まで完全に変化したフェンリルが、尻尾を振りながらそんなことをいう。


「…はぁ。まあいい」


なんだか力の抜ける展開になってしまったが、決着がついたのならそれでいい。


アレルも守れたしな。


…ったく、本当に手間のかかる勇者だ。


『私を…許してくれるのか?』


拳を収めた俺を、フェンリルが希望のこもった瞳で見てくる。


俺はそんなにフェンリルに向かって頷いた。


「ああ。お前は俺にチャンスを与えてくれたからな。俺もお前がアレルを食わないっていうなら、殺したりはしない」


『ワフンッ!?』


フェンリルが犬のように鳴いて、嬉しげに飛び上がった。

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