6章 プルーフ

6-1

 ガチャ、という扉が開く音に皆が一斉に振り向いた。

 いつものダスクシティの拠点の会議室にマリアが入ってきたところだった。その右手には新聞が握られている。

 ホットスプリングステークスを終えて帰ってきてから一週間。今日は別の競馬場で最後のトライアルレースが行われていた。出走ボーダーライン上のプルーフは、その結果次第で出走可否が決まる。

「どうだった!?」

 ルナがマリアに駆け寄り不安そうな顔で尋ねる。

 マリアはルナを見て微笑むと、他のメンバーを見渡して告げた。

「……駄目だった。勝ったのはあのライトニングボルトだ。最終的な出走ボーダーは二十四点。プルーフは二点足らずになった」

 落胆の溜息が室内に広がった。

「グスタフの奴め。余計なことをしおって!」

 ルドルフは行き場のない悔しさをぶつけるように、手に持ったオリハルコンの兜を殴りつけた。

 ルドルフの気持ちもわかるが、グスタフやライトニングボルトのせいではない。自分の結果で出走を決められないというのはこういうことなのだ。わかってはいたが、それがいざ現実になると受け入れがたかった。

「まだ出走できないって決まったわけじゃないんだよね?」

 ヘカテが力なく浮遊しながら尋ねた。いつも元気な彼女も今日ばかりは落胆の色を隠せない。

「確定ではないね。プルーフの優先順位は十九位だから、もし怪我なんかがあって一枠空きが出れば、出走可能になる。まあ、今までそんな話は聞いたことないけどね」

 日本の競馬では競走馬の怪我はつきもので、本番前に出走回避ということもたびたび起こるが、この世界ではユニコーンへの医療技術が発達しているようで元々そういった事態が少ない。加えてダービーまでの残り一か月はどの陣営もいつも以上に慎重になるからまず期待できないだろう。

「オーケー。じゃあ奇跡が起きて誰かが出走を取りやめることを願うしかないわけだね」

「そういうことさ。ぎりぎりまで出走できる希望を持って最後まで準備を続けるとしよう!」

 マリアはそう言って皆を勇気づけた。

 皆は彼女の言葉に頷いたが、俺にはそれができなかった。

 あのホットスプリングステークスの最後の直線のことを何度も思い出してしまう。死力を尽くしたがユーリとアダマンタイトには届かなかった。もしユニコーンダービーに出られたとしても、またあの絶望を味わうだけではないのか。

「……意味あんのかな」

 そんな言葉が口から零れ落ちた。

「……どういう意味だい?」

「準備なんかしても無駄じゃないかってことだよ」

 言うべきではないとわかっていても、一度溢れた言葉は止まらなかった。

「誰だってダービーに出たくて必死なんだ。出走する権利をみすみす手放す奴なんていないだろ。それに、例え出れたとしても、ユーリには勝てない……。乗っていた俺だからわかるんだ。あいつとの間に埋めようのない差があるって。しかもこっちはスペルを使い切ってるのに、向こうはまだ二つも残してる。そんな状況でどうやって逆転するっていうんだ? 出るだけ無駄だよ。走る前に負けるってわかって――っ?」

 自分の嘆きをぶちまけている内に、いつの間にかルナが目の前に来ていたことに気づいた。

 彼女は俺の目を見据えるとおもむろに手を上げ、強烈な平手打ちを見舞った。

 バチッ!!

 あまりのことに避けることも声をあげることもできなかった。ただヒリヒリとした頬の痛みがゆっくりと広がっていく。

「やめて」

 ルナは目に涙を溜めながら語り掛けてきた。

「フーマはそんなこと言う人じゃないでしょ? 始まる前に勝負を諦めるような人じゃないでしょ? パレードリングで私に言ってくれたじゃない。『走るまで結果がわからないのがレースだ』って。『俺が乗ればジンクス打ち破れそうだ』って。誰とも契約してもらえなくて落ち込んでた私が、あの言葉にどれだけ救われたと思ってるの? あの時の言葉を、あの時の私の気持ちを嘘にしないでよ……」

 ルナは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも続けた。

「私は諦めないから。私の手で何としてもプルちゃんの出走枠を掴み取ってみせる。だから、フーマも最後まであきらめないでよ!」

 そう叫ぶように言うと、ルナは走って部屋を出て行った。

 ルナの言葉と頬の痛みが心に突き刺さる。

 のろのろと起き上がって顔を上げると、他の三人の心配そうな瞳に出くわした。

「っ!」

 俺には彼らの目が自分を憐れんでいるように思えて辛かった。

 そんな視線に耐えきれなくて逃げるように部屋を飛び出していった。

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