5-3
「酷い顔だね。フーマ」
ホットスプリングステークス当日の競馬場で鉢合わせたユーリは、こちらを見るなり爽やかに笑いかけてきた。
「……うるさい」
サウナ騒動から二日が経っていたが、額にできたたんこぶはまだ引かない。
実はあの当時、サウナは女性の使用時間帯だったらしい。事前にルナから聞いていた時間は先月のもので今月から変更されていたそうだ。小屋の扉にもそのことはしっかり書かれていたのだが、競争に夢中になった俺は見落としてしまっていた。
ユーリの方は俺が扉を開く寸前に、書かれた内容に気づいて制止したのだが、時既に遅しだったというわけだ。その後、気を失った俺をユーリが運び出し、上手い事ルナに弁明してくれ、何とかその場は丸く収まったらしい。
ユーリは助けてくれたとわかっているのだが、俺からすればいつも優秀な美男子が今回も上手く立ち回って切り抜けたような感じがして何だか面白くない。
「僕は心底心配しているんだけどなあ。レースには支障はなさそうかい?」
「当たり前だ。この程度の傷、屁でもない。言っておくが今日がお前の連勝が止まる日だからな。首を洗って待ってろよ」
「うん。その様子なら大丈夫そうだね。安心したよ」
「……お二人ともレース前だというのに随分と仲良くしていらっしゃいますわね」
会話に割り込んできたのはヴェロニカだった。
今日も朱色の髪がよく目立つ。彼女がここにいるということはブラックロータスもこのレースに招待されていたのだろう。
「っ!」
最後に出会った時にヴェロニカが発していた殺気を思い出し、俺は思わず身構えてしまったが、今日の彼女はいつも通りの高飛車お嬢様モードのようだ。
「ユーリ・ラフマニノフ殿ですわよね? あなたの乗るアダマンタイト、ここまで中々の戦績ですけれど、わたくしのブラックロータスも負けてはいませんわ。同じ全戦全勝同士、いい戦いになりそうですわね」
ユーリに宣戦布告しつつ、こちらが眼中にないことを示してくる。相変わらず嫌味な奴だ。
「ヴェロニカ様、僕如き若輩者の名前をご存知であられるとは光栄です。このユーリ、貴女のご期待に恥じぬよう、今回のレースを存分に盛り上げるべく微力を尽くす所存です」
「ええ。お互いにいいレースにしましょう。それではごきげんよう!」
ユーリの慇懃な態度に満足したのか。ヴェロニカは上機嫌で去っていった。
「……苦手な相手だな」
「へえ。お前でも苦手な奴がいるのか」
「失礼だなぁ。僕のことを何だと思っているんだい。さて、そろそろ僕も行くよ。フーマも急いだ方がいいんじゃないかい。ほら」
ユーリが差した方を見ると、装鞍所の入り口で仁王立ちしているマリアが見えた。
「やべ」
「じゃあ、また後で」
ユーリと別れて慌てて装鞍所に向かう。
「遅いよ! 何やってんだい、この変態童貞坊や!」
「う……」
今日のマリアはいつも以上にピリピリしているようだ。ダービー出走がかかった一戦なのだから当然だ。ユーリと会話して少し緩んでいた気持ちがキュッと引き締まった。
「いいかい」
マリアは歩きながら語り掛けてきた。
「わかってると思うけど、今日のレースでは一着が必須だ。これが最後のトライアルレースだからね。自力で出走を確定させるには勝つしかないんだ」
今、プルーフのトライアルポイントはノルデンブルク賞典の一着で十点、トワイライトステークスの三着による二点で合計十二点。現時点での予想ボーダーは二十二点とされている。ホットスプリングステークスでは一着に二十点、二着に十点、三着に四点が付与される。したがって三着以下なら即アウト。二着だと丁度ボーダーライン上となり、他の馬とレースの結果次第になる。
本番のダービーでの結果につなげるためにも、何としても勝って出走を決めたいところだ。
「それと前にも言ったように、トライスペルの使用は可能な限り一つまでにしてくれ。アタシらの目的はダービーに出走することじゃない。勝つことだ。だから最低でもダービーで一つ使えるように残しておく必要がある」
「……わかってる」
これに関しては情けないことに完全に俺のせいだった。
トライスペルは三種の魔法を一回ずつ使える制度だが、登録した魔法を試してみたところ、俺は二つしか使えなかった。正確には残る一つは発動するのだが、効果が出ないというかわからないのだ。そのため実際に俺が使える有効な魔法は二つしかない。三つ目が使えない理由は不明だが、現状はその前提で考えざるを得ない。
「遅いよー! フーマ」
装鞍所に入るとプルーフの頭上で旋回していたヘカテにも怒られた。
「もうメディカルチェックも装蹄の最終調整も終わってるよ」
「……ああ。仕上がりは上々だ。後は任せたぞ、小僧」
「よろしくね! 変態!」
「勘弁してくれ……」
ヘカテの軽口に応じながら手早く馬具を身に着ける。
プルーフの手綱を握っているルナの顔は、恥ずかしさで正視できなかった。一応許してもらったとはいえ、いろいろありすぎて気まず過ぎる。
準備を終えてプルーフに跨ると彼の確かな闘志を感じた。温泉効果なのかいつもより気合が乗っているようだ。これはレースでもスムーズにいいポジションが取れるかもしれない。
「フーマ」
プルーフをコースに向かわせようとすると、ルナが呼び止めて来た。
ドギマギしながら振り向くと、やや伏し目になった青い瞳と視線がぶつかった。
「えっと……。一昨日は何ていうか……その……」
しどろもどろなルナの態度に申し訳なさがこみあげて来た。
ここは自分から声を掛けなければいけなかった。そもそも俺の方が悪いのにルナに気をつかわせるようなことをするなんて、どれだけ情けない男だろう。
「一昨日は本当にごめん。俺が全部悪いんだ。改めてだけど許して欲しい」
そう言って馬上で深々と頭を下げる。
「だ、大丈夫だよ! 全然大丈夫! あ、いや、見られて平気とかそういうのじゃなくて……。ちょっと突然のことでパニックになっちゃったの。大事なレース前なのにフーマに怪我させちゃったし、そもそも私が時間を間違えて教えっちゃったのも悪かったし、だからその……私のほうこそごめんなさい」
「えっと……」
逆に謝られてどうすればいいかわからなくなってしまった。完全に謝罪のお見合い状態だ。
「あーもう。困った子たちだなー。こっちが見てられないよ」
見かねた様子でヘカテが間に入ってきた。
「じゃあお互い不注意があって、しっかり謝ったってことでこの件はお終い! それでいいね?」
「あ、ああ」
「う、うん」
結局、ヘカテに助け船を出してもらってしまったが少しすっきりはした。集中してレースに挑めそうだ。
「それじゃあフーマ、今日もプルちゃんと一緒に無事に戻って来てね」
「ああ。ありがとう」
いつも通りのルナの言葉に送り出され、俺とプルーフは決戦の舞台へと歩を進めた。
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