4章 血と憎しみ

4-1

『さあ! 各馬が続々と向こう正面から第三コーナーへと入っていきます! 先頭は変わらずブレインストーム。そこから二馬身離れてナチュラルオーダー、内から並んでグレープショット。良血のブラックロータスはここ四番手につけました。そして注目の芦毛馬、プルーフはそこから少し離れた後ろ、五、六番手の内を走っています』

 熱い実況が響き渡る中、俺とプルーフはかつてデビューを果たしたダスクシティ競馬場の芝(ターフ)を駆けていた。あのノルデンブルクでの勝利から二か月。トライアルポイントをさらに加算するために、ダスクシティのビッグレース、『トワイライトステークス』に出走しているのだ。

 今、プルーフのトライアルポイントは十点で、この『トワイライトステークス』で一着になれば合計で二十点となる。例年のユニコーンダービー出走ボーダーは二十点台前半なので、ここを勝てれば相当目標に近づける。余裕をもって最後のトライアルレースに臨むためにもここは何としても一着を掴み取りたいところだ。

 今回のレースにはあまり強敵はいなさそうだったが、唯一厄介なのがヴェロニカのブラックロータスだった。ブラックロータスも別のトライアルレースで勝利を収めており、ポイントとしては並んでいる。ということはこちらと同じ状況になるから当然全力で勝ちに来るだろう。

 彼女らが強敵には違いないが、今のプルーフなら十分勝てるというのが俺を含むチームメンバーたちの見解だった。デビュー戦ではブラックロータスに負けているものの、その後のプルーフの成長は著しい。今では角も伸びて魔力量も増えているから、最後の直線でも魔力切れせず走り切れるだろう。ブラックロータスの他のレースの記録は見たが、こちらほど成長しているとは思えなかった。客観的に考えてもアクシデントさえなければここはプルーフに分があるはずだ。

 そして今、実際にレースを走りながら、俺の中でその考えが確信に変わりつつあった。プルーフはトレーニングと実戦を通じて、競馬というものを理解していっている。それによって無駄な体力の消費が少なくなり、レースに集中できているのだ。これほど賢い馬は今まで出会ったことがない。

 だから後は俺が彼の力を十分に引き出してやれれば必ず結果はついてくるはずだ。そのためにはタキオンブーストを確実に決められる進路を確保することが第一だ。

 俺は第三コーナーの中間あたりで、徐々に外側に出ようと手綱を動かし始めた。

 その時、少し前を走っていたヴェロニカが急に振り返り、ニヤリと不敵に笑った。

「今ですわ! やっておしまいなさい!」

「っ!?」

 ヴェロニカの不穏な発言の直後、後ろにいた白いユニコーンが急に加速し、プルーフの左隣に並んできた。こちらが進出しようとした方向を塞がれる形になり、危うく馬体同士がぶつかりそうになる。

「気をつけろ!」

 下手をすれば落馬事故が起こりかねない危険な騎乗に俺は思わず声を荒げて怒鳴りつけた。しかし白いユニコーンに乗っているエルフのジョッキーは悪びれるどころか、こちらを馬鹿にするように嘲笑った。

「こいつっ!」

 これは意図的な妨害工作だ。どういう取引が行われたのかはわからないが、この白いユニコーンのジョッキーはプルーフの走行を妨害するよう指示を受けている。さっきの発言から察するにヴェロニカが裏で糸を引いているのだろう。

 日本の競馬では公平性の観点からこうした談合のような行為は厳しく禁止されているのだが、この世界では取り締まりが緩いのかもしれない。今までのレースではプルーフがそれほど注目されていなかったこともあり、こういった被害を受けて来なかったので俺も甘く考えていた。しかし一方で、この程度の妨害で屈しているようではダービーを獲るのは夢のまた夢だ。

 俺は外に出るのは諦め、内を突こうと前方向に加速をかけようとした。

 すると今度はヴェロニカの前を走っていた鹿毛のユニコーンが急減速し、プルーフの前を塞いできた。

「っ!? お前ら!」

 敵は一頭だけではなかったのだ。

 プルーフは前と横を塞がれ身動きが取れない状態にされてしまった。こうなってはタキオンブーストも使えない。無理に加速すれば相手の馬にぶつかって大事故になる。

「ほほほほほほ! どうやら間抜けなロバが罠にかかったようですわね」

「ヴェロニカ! 貴様っ! 卑怯だぞ!」

「何のことかよくわかりませんけれど、あなた方が悪いのですよ。卑しい混血の分際で、このわたくしに盾つこうとするから痛い目を見るのですわ。あなた方はそうしてずっとわたくしの後ろを走っているのがお似合いでしてよ。それではごきげんよう!」

 ヴェロニカは意気揚々と宣言すると、ステッキを入れてタキオンブーストを発動させた。青白い粒子を残して彼女の背中がみるみる遠ざかっていく。つられて俺たちを包囲している二頭以外の馬たちもタキオンブーストに入る。

 まずい……。

 すでに第四コーナーの半ばを過ぎている。このままでは得意の決め手を発揮することもできずに負けてしまう。すでに不利な展開ではあるが、せめてタキオンブーストさえ使えればまだ勝ち目はあるはずだ。そのためには何とかこの包囲網を抜け出さなければ。

 イチかバチか……!

 俺は覚悟を決めると手綱をグッと引いて、プルーフを急減速させた。

「何っ!?」

 予想外の動きに包囲している二騎も対応できなかった。その隙をついて切り返し、大外へと持ち出す。これによりプルーフは横から挟んで来ていた白いユニコーンの後ろを通ってコースの外側へと脱出できた。

 よし!

 距離もスピードも大きくロスすることにはなったが何とか進路は確保できた。あのまま押し込められているよりかはずっとましだ。こうなれば後は信じて進むしかない。

「届け!」

 俺は気合を込めてステッキを振るった。

 プルーフがタキオンブーストに入り、黄金の粒子が舞う。魔力で大幅に強化された筋肉が異次元の推進力を生む。プルーフは爆発的な加速を見せながら、最後の直線コースに入った。

 ゴールまで残り三百メートル。その時点で先頭を往くブラックロータスはすでに直線の半ばまで進んでいる。あまりにも絶望的な位置取りだ。それでも最後まで諦めはしない。

 俺は何とか届いてくれと願いながら、四肢をプルーフの動きに連動させつつ懸命に前へと押し出した。プルーフもそんな乗り手の熱意に応えようと、これまで見せたことがないほど必死な様子で直線を突き進んでいく。

 人馬一体となった俺たちは黄金の竜巻のような走りで、一頭、また一頭と抜き去り、ぐんぐんと前へと迫っていく。

 残り二百メートル。後七頭。

 まだだ。まだ間に合う!

 残り百メートル。後五頭。

 あと少し……!

 だが、快進撃はそこまでだった。

 残りの三頭をかわしたところがゴールラインだった。あれほどあった先頭との差はゴール前では二馬身まで縮まっていたが、ブラックロータスを抜くことはおろか、二着の馬にも半馬身届かなかった。

 結果は三着。何とかトライアルポイントを二点加算できたが、勝てると信じて挑んだレースだけにショックは大きかった。

 鞍上で俺がうなだれていると、呼応するかのようにプルーフも「ヒヒーン……」と寂し気にいなないた。

「よしよし。お前はよく頑張ったよ」

 俺はそう声をかけながら首筋を優しく叩いた。

 賢い仔だからきっとレースに負けたことを察しているのだろう。その分、自分の騎乗でプルーフを勝たせてやれなかったことが一層悔まれる。

 何を言っても言い訳めいてしまうが、ヴェロニカの妨害さえなければ確実に結果は違っていたはずだ。それくらい最後のタキオンブーストは段違いのものだった。

 もっと早く外目につけていれば妨害を受けずに済んだかもしれない。あるいは最初から最後方からレースを進めていれば……。

 俺はそんな後悔を頭の中で繰り返しながら装鞍所へと向かっていった。

「厳しい状況の中、よく力を尽くした」

 俺たちを迎えたマリアの表情は険しいものだったが、ひとまずは労ってくれた。

「まあ、あのドン詰まりの中じゃ仕方ないよねー。三着まで来ただけですごいんじゃないかな」

 ヘカテも持ち前の能天気さで場を和ませようとする。

「……」

 しかし、残念ながら一行の沈んだ空気が晴れることはなかった。

「ほほほほほほ!」

 そこへ嫌味な高笑いと共に事の元凶が襲来した。

「どうなされましたの? チームロバの皆さま。まるで誰か死んだかのような空気ですわね」

「てめえっ……!」

 レース中の妨害に加え、悪びれもせずにこちらを挑発する態度。さすがに俺も堪忍袋の緒が切れ、ヴェロニカに詰め寄ろうとしたが、その前に銀髪の小柄な背中が割り込んできた。

「あなた、自分が何をしたかわかっているの?」

 ヴェロニカに向けたルナの声はいつもと違って低く、怒気を孕んだものだった。

「はあ?」

「一つ間違えれば大事故になって、フーマもプルちゃんも命を落とすことになっていたかもしれないのよ!?」

 ヴェロニカに食ってかかるルナの形相は今まで見たことがないほど必死なものだったが、当の本人はどこ吹く風だ。

「何を言っているのかわかりませんわね。わたくしは正々堂々と戦ってこのレースに勝っただけですわ。あなた方に運がなかったことと関連付けられるのは不愉快でしてよ」

「とぼけないで! あなたが私のことを憎んでいることは理解している。だから私自身は何を言われても、何をされてもいい。だけど、私の仲間を傷つけるようなことをするのはやめて!」

「……黙りなさい、小娘」

 ルナの言葉を聞いた途端、ヴェロニカは態度を一変させた。それまでの高飛車なお嬢様感が消え、静かな威圧感を醸し出す女帝のような雰囲気を纏う。

「汚らわしいハーフエルフの分際で! あなたがわたくしたちの気持ちを知ったような口を聞くことが一番癇に障るのよ。あなたの薄汚い父親がわたくしたちに与えた屈辱と苦痛は、あなたには一生理解できることなんてない。だから二度とそのことをわたくしの前で口にしないことね。次にそんな機会があれば、そこがどんな場所であろうとその首をねじ切るわよ」

 ヴェロニカは恐ろしい宣言を下すと、来た時と同じように唐突に去っていた。

 彼女の背中が見えなくなると、ルナはその場にペタリと座り込んだ。

「……っ」

 俺も思わず大きく息を吐き出す。

 最後にヴェロニカが発していた空気は本物の殺意だった。魔法に疎い俺でもはっきりと感じられるほど強大な魔力が渦巻いていた。

 一体ルナとヴェロニカの間にどんな出来事があったのだろうか。思えば俺はルナの過去について何も知らない。そもそも、彼女がハーフエルフ、人間とエルフの混血だということさえ知らなかった。

「ごめんね。ごめんね、みんな……。私のせいで……」

 ルナは何度も謝りながら静かに涙を零していた。

 その肩をマリアがそっと抱き、優しい言葉をかけていたが、何も知らない俺には彼女にどんな言葉をかけてあげればいいのかわからず、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

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