第7話 王宮への潜入、そして──

 しばらくの説得と説明の後──フロレス伯爵は、ひとまずはクラウディオと手を組むということで合意してくれた。


「現王を引きずりおろすまでは、利害が一致しているようですからな。その後のことはその時のこと──臣下と民が声を揃えて退位を望むとなれば、一部の反乱と片付ける訳にもいかぬでしょう」

「英断に感謝を」


 いかにも渋々ながら、といった様子で絞り出した伯爵に、クラウディオは微笑むと短く述べた。たぶん、ここから長々と言葉を連ねるほうが相手の機嫌を損ねると考えたのではないだろうか。それでもなお、伯爵の気は収まらない様子ではあったけれど。


「王女殿下と侯爵子息殿のお話は、にわかに信じられるものではございません。……ですが。もしも事実ならば……」


 フェルゼンラングと結んでディートハルトを王に迎える計画は、きっと何年もかけた大がかりなものだったに違いない。それを──今は撤回する、とまではいかずとも──軌道修正することへの心の負担は察するに余りある。伯爵の心中を慮ってか、クラウディオは穏やかに制した。


「今は明言されずとも構いません。見ていただければ分かることですし──何より、急がなくては。フェルゼンラングの王子殿下の身に何ごとかあれば、大陸との関係はいっそう冷え込んでしまう」

「……まことに」


 言い切らなくて済む安堵より、認め切っていない相手に宥められた不満が勝ったのだろうか、伯爵はどこか苦い面持ちのまま頷いた。それでも、クラウディオの言はさすがに容れたらしい。アンナリーザやユリウスに向ける視線の鋭さ、その切り替えの早さは、海の向こうの大国と長年かけて共謀するだけのことはあるのだろう。


「……到着した船の様子を窺うのを口実に、王宮に参上しようと考えておりました。中に入って、囚われた御方と接触しようと。ですが、開拓地から後続の手勢が来るならば、別の策も取れましょうな……?」

「無論、考えております」


 案はあるのか、と。言外に問われて、クラウディオは頼もしく頷いた。伯爵の説得が、ある意味で最大の難所だったのだ。彼と、彼の勢力と手を結ぶことができたなら、王宮への潜入はとても容易くなるし──


「流血も混乱も、最小限に抑えねば。だから、ひと息に片をつけてしまいましょう」


 レイナルドを抑えつつ、ディートハルトを救い出し、王宮を制圧する。そのための人手も、足りるだろう。明日──ううん、今日からでも、イスラズールの新しい歴史の幕が上がるかもしれない。そのように、できるかもしれない。


      * * *


 レイナルドを王と認めるか否か、そして、次代の王を誰と考えているかに関わらず、入港した船とその積み荷と乗員の扱いは、ベレロニードの住人すべての関心の的だった。海賊船であれ正式な使節であれ、大陸からの物資は貴重だから当然のことだ。よって、街には様々な噂が流れていたし、フロレス伯爵とその共謀者たちも、噂の真偽を検討しつつ王宮の動向を探っていたのだという。前開拓伯コンタ・ピオネロのアルフォンソも、きっと同様の流れでディートハルトの情報を得たのだろう。


 王宮は、見たところは何ごともないかのように佇んでいた。大陸諸国のそれを真似た、石造りの壮麗な──けれど、細部の意匠や彫刻などの造りは幾らか荒く、この地の色鮮やかな花で彩られた、どこか素朴さと野性味を漂わせる宮殿。……アンナリーザにとっては、懐かしさと同時に少しの恐ろしさを呼び起こす眺めだった。


(とうとうのね……レイナルドのいるところに)


 胸元で手を握りしめるアンナリーザを振り返って、王宮に参じるに相応しい装いを整えたフロレス伯爵が、告げる。


「王も、フェルゼンラングとの内通を警戒してはいることでしょう。我らも公式には何も聞かされておりませぬ。とはいえ、人の口に戸は立てられぬもので──」

「通いの使用人や、出入りの商人などもいるのでしょうからね」

「さようです。……同胞の方々がおられるのはおそらくあの辺り、王子殿下は、あの塔の地下と思われます」


 衛兵に気付かれぬよう、伯爵は控えめな目と指の動きで示した。エルフリーデアンナリーザにはもちろん言われるまでもなく想像がつくし、クラウディオも何度も王宮を訪ねたことがある。ユリウスたちだって、図面と言葉では説明されている。でも、実際に目で見ておくのは必要なことだろう。事実、ユリウスは従者や侍女や船員たちの居場所が上階にあるのを見て取って、そっと息を吐いた。


「虜囚というよりは、客人の扱いのようですね。少しだけ安心できました」


 《海狼ルポディマーレ》号の乗員は、エミディオに監視されているらしい。庶子とはいえレイナルドの寵児である彼は、父王に信頼されているのだとか。父に似て勇猛苛烈な性格だと、クラウディオとフロレス伯爵も口を揃えたから、順当な役割でもあるのだろう。アンナリーザたちにとっても都合の良い配置だ。救出とエミディオの確保を同時に目論むことができるのだから。


「王子殿下は、私がお救いします。義母がいるならちょうど良い」


 フードで顔を隠した格好のクラウディオが言う通り──マリアネラは、娘のセラフィナと共に、ディートハルトが囚われたという牢獄に。「王子様」に惚れこんだセラフィナはディートハルトと離れようとしないから、だとか。

 マリアネラはクラウディオと密かに通じ、かつフェルゼンラング派の貴族がいることも承知している。船の到着を切っ掛けにいずれの陣営も動き出すのを承知しているから、衝突の焦点になりかねないディートハルトと娘を引き離そうと、さぞ必死に説得しているだろう。クラウディオは、母娘の保護も受け持つことになっている。


 フロレス伯爵の手引きによって、王宮内に侵入する。フェルゼンラング派と開拓地の民と併せて増えた手勢で、二か所同時に騒ぎを起こす。そうして、同胞の救出と人質の確保をも果たす。それが、アンナリーザたちが立て、伯爵に提案した策だった。


「では、参りましょうか。」

「本当に、よろしいのですか。高貴な姫君の御身に何かあっては──」


 笑顔で歩き出したアンナリーザに、フロレス伯爵が眉を顰める。


(この期に及んで、まだそんなことを……?)


 守られ庇われ気遣われるのは慣れたことではあるから、アンナリーザは苦笑を隠して晴れやかな笑みを浮かべた。


「ご心配には及びません。私は、すでに海賊に攫われたこともありますのよ?」


 もちろん、作戦の成功のためには相手に対応する時間と余裕を与えてはならない。王宮内の兵の指揮権は、レイナルドに帰する。……つまり、あの男が対応できないようにで気を惹く必要がある。フロレス伯爵は、海賊の魔手を逃れた王女をしたという口実で王に謁見を求めるのだ。一度は求婚した相手だし、何らかの企みもあるのだろうから、気にならないはずがない。


「私が適役です。容姿も伝わっているかもしれませんから、代役を立てる気もございません」

「……はい。申し訳のないことですが。我らも精いっぱい御守りしますが……」

「武器もございますから、不埒な真似はされないと思いますし」

「は……?」


 アンナリーザが、ドレスの裾に隠れた足首に拳銃を提げていることなど、伯爵は知る由もない。怪訝そうな彼にさらに微笑んで、アンナリーザは王宮の門を潜るように促した。


      * * *


 当然のことながら、フロレス伯爵は堂々と王宮に入ることができる。爵位に相応しい供を連れているのもまた、当然のこと。ユリウスもクラウディオも、格式高い場所に相応しい振る舞いができるから、伯爵家の使用人ではないなどとは、衛兵も侍従も思いつかないだろう。何といっても、伯爵は誰もが無視できない、アンナリーザという手土産を連れていることだし。


「マルディバルの王女殿下!? ですが──」

「ふむ、では、その国のその身分の御方がいらっしゃることはずだった、ということは間違いないのだな?」


 驚きの声を漏らした侍従に、フロレス伯爵は鋭く切り返した。フェルゼンラングと通じることを考えるくらいだから、彼は大陸から来る船の内情を詳しくは知らないということになっている。まして、アンナリーザが攫われたことなど、本来は想像の範囲外のはずなのだ。


「それは、その」


 迂闊にも口を滑らせたことに気付いたのだろう、侍従は口元を抑えた。その隙に、フロレス伯爵は強引に足を進める。そのすぐ後に、アンナリーザもぴったりとつける。できるだけさりげなく、当然のような顔をして。


「あの船の入港以来、沙汰がなくて城下が浮足立っている。ちょうど良い、陛下にご報告がてらご説明願うとしよう」

「で、では、せめてその女性だけに──ほかの方々は、控えてくださいますように!」


 反応はすべて予想されているなどとは知る由もない侍従は、願ってもない懇願をしてくれた。単純に、王宮の現状を知る者の数をできるだけ減らそうということでしかなかったのだろうけれど──同行を止められた従者、つまりはユリウスやクラウディオたちが、自由に行動する余地を与えてくれたという訳だった。

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