八章 交錯する前世と今世

第1話 隠された宝の街の領主

 《三日月アルヒラール》は、ゆっくりと減速しながら着岸した。慣性に揺られて、アンナリーザは船舷せんげんを掴んで耐える。あるいは、彼女を揺さぶったのは、驚愕による衝撃だったろうか。


「アンナリーザ様……?」

「さあ、到着だ! 気を付けて降りてくれよ」


 よろめいた彼女を気遣うユリウスの声に、ゲルディーヴはしゃいだ声が重なった。


 遡航そこうしてきた川に錨を投げ込んだ海賊たちは、次は地上に縄梯子なわばしごを下ろしている。マルディバルを出航した時のような地上と甲板を繋ぐ階段など、海賊たちには不要のものなのだろう。ゲルディーヴが気をつけろと言ったのは、足を滑らせないようにとか、脚を人目に晒すことがないように、ということだろう。


 でも、そんな心配以前に、アンナリーザは一歩も動けなかった。足が震えて、心臓がどきどきとして、船舷に頼っていなければまともに発てそうにない。足と同様に震える指で、アンナリーザは海賊船を見上げる地上に人々を指さした。歓迎の列の中心にいる、レイナルドの髪とエルフリーデの目をした青年を。


「ユリウス様……あの、赤毛の青年……」

「ええ……彼が、何か?」


 アンナリーザの声もまた、みっともなく震えて掠れていた。けれどユリウスは、優しく辛抱強く頷いてから尋ねてくれる。その落ち着きに支えられた思いで、アンナリーザはどうにか次の言葉を続けることができる。


「レイナルド王に、似ているのですわ。あの……私は、肖像画で見ていましたから……」


 どうしようもなく動揺してはいても、レイナルドの顔を知っていることの言い訳は、何とか忘れずに付け加えることができた。そう、今や建物の二階から見下ろすくらいの近い距離にいるは、彼女の前世の夫にそっくりだった。


(偶然なはずは、ない……?)


 確信は、深まる一方で──けれど、喜びよりは不安が募っていくのが悲しかった。彼女エルフリーデは、息子の髪や目の色を確かめることもできないまま死んだのだ。彼女にとってのクラウディオは生まれたばかりのしわくちゃの赤ん坊のまま、どんな姿に成長しているか、まして父親に似るかどうかなんて考えてもいなかった。


(外見が似るのは当然よ……でも、人柄のほうは……?)


 海賊と手を組んで、他国の使節を襲わせる──その行為に、十分な理は本当にあるのだろうか。イスラズールで育てられて、この国の気風に染まっていたりはしないだろうか。父の粗暴さを受け継いでいたりは……?


「……まさか。いえ、まだ分からないですが……」


 分からない。その不確かな言葉が、今のアンナリーザにとっては希望になった。なぜか突然青褪めたとしか見えないであろう彼女に、怪訝そうに眉を寄せながらもユリウスは丁寧に語り掛けてくれる。彼がいてくれるから、我を忘れて取り乱さずにいられた。


「王族であれば、話が通じると期待できるかもしれません。ディートハルト様──従兄弟ぎみのこともお伝えできる訳ですし。……どうなさいましたか」


 ユリウスも、クラウディオに思い至ってくれた。考え過ぎではないという保証してもらえたのか、単に彼女に合わせてくれているのか──アンナリーザは、そっと溜息を吐きながら首を振った。


「分からないのです。申し訳ございません……驚いたのと、ほっとしたのも、あると思うのですけれど」

「おーい、何やってるんだ? 下の奴らが待ってるぞ?」


 アンナリーザの苦しい嘘に、ゲルディーヴの気楽な呼び声が重なった。彼はもう、縄梯子を半ばまで降りているらしい。ぐずぐずするなと、言うことなのだろうけれど──アンナリーザは、まだ動けそうにない。

 と、ユリウスがアンナリーザの手をそっと取って、彼の腕を掴ませた。


「……私にしっかり掴まってください。なるべくご無礼のないように、支えて差し上げますから」

「は、はい……!」


 ユリウスの存在は、肉体以上にアンナリーザの心の杖になってくれた。彼に縋ることでやっと、アンナリーザは不安定な縄梯子に足をかける気力をかき集められた。


      * * *


 アンナリーザとユリウス、それにベアトリーチェは、ようやく地面に降り立った。本当の意味でのイスラズールへの到着で、エルフリーデアンナリーザにとっては再訪だ。不思議な懐かしさと感慨は、彼女の胸をいっそうかき乱して目眩を起こさせる。ユリウスにもたれるようにして、どうにか姿勢を正したところに、ゲルディーヴの面白がるように呟いた。


「さあ、いよいよご対面だ」


 海賊たちの仕事はここまで、ということらしい。ゲルディーヴは高みの見物の構えで、アンナリーザたちを紹介してくれる気配はない。代わりに、ということなのか──が進み出る。燃えるような色の髪と、深い水底の色の目をした青年が、アンナリーザたちの目の前に。


「マルディバルのアンナリーザ殿下。強引なお招きになり、大変申し訳ございません」

「…………」


 の言葉遣いは思いのほかに丁寧で、物腰も思いのほかに柔らかかった。レイナルドに似た整った顔に、けれどあの男の癇の強さや傲慢さは窺えない。……今のところは。

 礼儀を守るなら、きちんと挨拶を返すべきだろうに、でも、アンナリーザはユリウスの影に隠れるような有り様で何も言えない。安心して良いのか、が何を言い出すのかもっと警戒すべきなのか、分からないから。


 アンナリーザの答えを待ってかしばらく沈黙した後、は諦めたように小さく息を吐いた。青い目が悲しげに曇ったのが、アンナリーザの胸を締め付ける。そしては、決定的なことを告げた。


「私は──イスラズール王の子、クラウディオです。フェルゼンラングの方も同行されていると伺っているので、ご存知だと良いのですが」

「クラウディオ王子。では、やはり貴方が……!?」


 の名乗りを聞いて、ユリウスは驚きの声を上げ、アンナリーザは彼の影でそっと息を吐いた。彼女にとっては、驚きはすでに過ぎ去った感情だった。だから、やはり、という思いのほうが勝る。それに、理不尽な悲しみと戸惑いが、あるべき喜びを押し流してしまう。


(……立派に成長してくれたわ。わたしがいなくても。素敵な若者、ではないの……? どうして私は嬉しくないの……?)


 こんなふうに、息子の真意を疑う形でのになるとは思っていなかったからだ、とは分かる。に──クラウディオと、前世の息子の名で認識することはまだできない──やむにやまれぬ事情があるとか、誰かしらに操られているならまだ良い。彼自身の考えで悪事を企んでいるのでないのなら。


 正しい判断を下すには、の言葉に耳を傾けなければ、話をしなければ、と思うのに、アンナリーザはまだ震えるばかりでまともに口を利けそうにない。ユリウスだけでなく、ベアトリーチェも心配そうに眉を寄せて見つめてくれるのが分かるのに。


 アンナリーザとの対話を断念したのか、はユリウスに対して困ったように微笑んだ。


「王子というか……開拓伯コンタ・ピオネロの爵位を賜って、この地を預かっています」


 開拓伯コンタ・ピオネロ。その称号は、アンナリーザエルフリーデも知っている。力強い動植物が繫栄するイスラズールの地を、人が暮らせる地にする役目を課せられた者たちだ。もちろんとても重要な役なのは間違いない。それに、開拓した地、築いた街を領地として得られるから貴族に数えられはするけれど──


(王子には相応しくないわ……!)


 実態は、過酷な重労働に従事する農家とさほど変わらない。初期に入植した者たちが鉱山の利権を得たのに比べると、領地から見込める収入も低い。しかも、伯爵だなんて。王の愛人に過ぎないマリアネラでさえ女公爵に列せられたというのに、王子に名ばかりの爵位でさえも与えないなんて。


(レイナルド……との子は、やはり疎ましいだけなの!?)


 前世の夫への憤りによって、アンナリーザは少しだけ気力を取り戻すことができた。彼女が唇を噛み、足を踏みしめる間に、クラウディオとユリウスはやり取りを進めている。


「この地……確かに、大陸にはこんな街があることは知られていません。思った以上に栄えているとは、思いますが……」

「テソロカルト──隠された宝の街、と名付けました。私だけの力ではなく、前の開拓伯コンタ・ピオネロたちから受け継いだものですが」


 言いながら、クラウディオは力強い眼差しを周囲に巡らせた。ささやかではあっても、彼の領地、彼の民を誇るかのように。そして、アンナリーザたちを真っ直ぐに見据えて、告げる。


「この地から、我々は父に反旗を翻そうとしています」

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