第2話 日、没する海の果てに待つは

 ゲルディーヴと名乗った少年海賊は、金色の目をきらきらと輝かせてアンナリーザたちの反応を窺っている。彼女たちが驚くのを確信して、その反応を待っているのだ。


というのは……?」


 相手の思惑に乗せられて台詞せりふを言わされるのは、ひどく苦い薬を呑む時のようだった。


(でも、聞かない訳にはいかないじゃない……!)


 舌に不快なしびれを感じながらも問い質したアンナリーザに、少年海賊は満面の笑みで応じた。


「それは、到着してからのお楽しみ!」


 まんまと焦らされたのを知って、アンナリーザは眉を顰めた。あからさまに揶揄からかわれて、あまつさえ得意げな表情を見せられては交渉向けに余裕を保つのも難しい。彼女の隣に座ったユリウスも同様のようで、穏やかな彼には珍しく、その声は低く、はっきりと苛立ちを滲ませていた。


「どこにしてもらえるかも教えてもらえないんだろうな」

「そうだな……ぜひとも、びっくりして欲しいところなんだけど」


 言いながら、ゲルディーヴは彼の前にも出された干し肉を噛みちぎった。硬い肉片を咀嚼する顎の動きは見た目にも力強くて、ほっそりとした容姿とは裏腹に野性味も感じさせる。


(海賊、なんだわ……)


 権威を笑い飛ばし、法に背き秩序を乱す乱暴者ども。しかも、粗野なだけでなくて狡猾でもある。アンナリーザたち──ううん、経験ある船乗りたちでさえまんまと騙されて嵌められてしまった。


(私に太刀打ちできるのかしら……!?)


 ゲルディーヴが真実を言っているかどうかなんて、判断のしようもない。黒幕がいるというのも、虜囚の混乱を見て眺めようというはらなのかもしれない。ベアトリーチェを航海に誘い、ユリウスには海賊船に乗り込ませてしまった責任が彼女にはあると思うのに。自分自身だけでなくふたりも必ず無事に帰さなければいけないのに──できるかどうか、一秒ごとに不安は増して、揺らいでしまう。


 アンナリーザが唇を噛む間に、ゲルディーヴは肉を咀嚼し終えた。赤い舌がぺろりと唇を舐めてから、ユリウスの詰問への答えが改めて紡がれる。


「お姫様やでも、太陽が東から昇って西に沈む、くらいは知ってるよなあ。だからきっと分かっちゃうんだよな」

「…………」


 わざとらしく横目でこちらを伺うゲルディーヴは、またアンナリーザたちに質問をさせたいに違いない。そして確かに、彼のもの言いには含みがあってアンナリーザの混乱は深まっている。


(……《北》にしろ《南》にしろ、大陸に向かうなら東に戻ることになる。でも、どこに潜伏するかは分からないわ……)


 少年海賊の肌の色からして、彼らの本拠地は《南》なのかもしれない。でも、ひと口に《南》といっても国も港も数えきれない。地図に載っていない海賊の隠れ家や離れ島なら、もうお手上げだ。だから──それなら進行先によって行き先が分かってしまう、ということにはならないのだ。でも、その逆だとしたら?


(まさか)


 思い浮かぶ地の名は、ある。でも、口に出すのは業腹だった。当たっていても外れていても、誘拐犯を喜ばせるだけになりそうだから。ユリウスもベアトリーチェも同じ考えなのか、たっぷり数十秒が経っても誰も口を開かなかった。ゲルディーヴは、少し寂しそうな表情で肩を竦め、ようやく口を開く。


「……俺たちは、イスラズールに向かう。も、そこで待ってる。あんたたちに話があるっていうから、詳しくはそいつに聞いてくれ」


 果たして、少年海賊はまさか、と思っていた単語を口にした。虜囚の三人は、弾かれたように首を左右に動かして視線を交わす。それぞれの目に驚きと疑問が浮かんだのを確かめ合ってから──まずは、アンナリーザが口を開いた。


「ベレロニード──イスラズールの港は海賊船を受け入れないのでしょう。レイナルド王が、臣下を襲った船を許すはずがない。まして、他国の使節を襲っておいて──」

「ああ、そうだな。だが、ベレロニードがイスラズールの唯一の港って訳じゃない」


 オリバレス伯爵の主張を伝えてみると、ゲルディーヴはあっさりと頷いた。そして、またも意味深長な笑みを浮かべる。虜囚に深読みさせるための仄めかしにはうんざりしてしまうけれど、今回は無視を決め込む訳にも言わなかった。思わず、という風に、ユリウスも声を上げる。


「イスラズールの沿岸の大部分は密林に覆われていると聞いている。ベレロニード近郊に漁村が点在するそうだが、こんな大きな船が停泊していれば王に報告が及ぶだろう。補給も船の修繕も──隠れてできるものとは思えないが」

「意外と詳しいんだな。でも、あんたはイスラズールの何も知らないだろう」


 ユリウスの指摘は、エルフリーデアンナリーザの知識とも一致する。ベレロニードは、イスラズールの東側、大陸からの船を迎えやすい位置にある。でも、その立地は交易の利便だけが理由ではなく、ほかに大きな港を築ける場所がイスラズールにはほとんどなかったのだ。たとえあっても、人が住む集落に辿り着くためには危険な獣や虫や毒草がはびこる密林をかき分けなければならない。少なくとも、二十年前はそうだった。


(今は違うというの……!?)


 イスラズールを知っていると言いたげな、ゲルディーヴの口調が物語るのはそういうこと、なのだろうか。


「貴方は、イスラズールに行ったことがあるの? ……というか、イスラズールから来た、のね……!?」


 そう考えれば、納得がいくところもある。


 例えば、航海の半ばを過ぎてから襲撃を受けたことについて。そもそも、が纏わりついてきたのが、出航からだいぶ経ってからだったことについて。マルディバルから彼女たちを追跡していたのではなく、、そろそろ来るだろうと当たりをつけて待ち受けていたのだとしたら?


(いえ……それだと、彼らはいつ、どうやって私たちの出航を知ったの……? まして、私が乗っているという情報は、どこから……)


 立ち上がって叫んだ後、考え込んでしまったアンナリーザに、ゲルディーヴはいっそ優しく微笑んだ。余裕を持って見下されているようで、まったく慰められることはなかったけれど。


「たぶん、お姫様が思ってるよりも良いところだから、さ。しばらく我慢してくれよ。侍女だけのつもりだったけど、従者もついて来てくれたし、着るものとかもいくらかはきたんだよ。だから意外と快適に過ごせると思うんだよね」

「この方は、フェルゼンラングの侯爵子息でいらっしゃいます。それに、こちらは王侯貴族にも顧客を抱えるデザイナーよ。私だけでなく、ふたりの身の安全と相応の待遇も要求します」


 海賊たちが《海狼ルポディマーレ》号から貨物を略奪していたのは、アンナリーザの私物を確保する意図もあったとは。いや、誘拐犯の主張をそのまま信じるのは愚かなこと、耳を傾けてはならないだろう。


 毅然として──たぶん、そう見えていたら良い──言い切ったアンナリーザに対して、ゲルディーヴの態度はどこまでも軽かった。


「ああ。なるべく怪我人を出すなっていうのが依頼主の意向だからな。お姫様の機嫌を損ねるな、って。だからも頑張ったんだし……あんまり怒らないでくれよ、な?」


(機嫌を損ねないのは不可能だわ……!)


 アンナリーザはすでに怒り心頭に発していることを、この少年はまったく気付いていないようだった。

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