第3話 無邪気な振りで探りを入れる

 アンナリーザの思惑通り、ディートハルトは困ったような藩笑いを浮かべた。あからさまに笑い飛ばしてしまって、馬鹿にした風情を出さないように、必死にこらえているかのような。


「これは、アンナリーザ姫。マルディバルの王女殿下だけあって積極的でいらっしゃる。例えばどのような商品を売り込むおつもりですか?」

「そうですわね──」


 南方の砂糖菓子ハルヴァをひと口味わって、アンナリーザは考えた振りをした。


 香辛料をふんだんに使った刺激的な甘さを、好ましいと思う。でも、エルフリーデは違ったはずだ。フェルゼンラングの由緒正し宮廷で育ったなら、慣れない味に顔を顰めないようにするのに苦労しただろう。


だったら、あんなに擦り切れて死んでしまうことはなかったかもしれないわね……)


 たとえ海を越えて嫁いでも、人の妻になり母になっても、エルフリーデの世界はごく狭いままだった。広げることを、許されなかった。

 だからといってアンナリーザならもっと上手くやれたとも思えないし、そもそも何をどう差し引いても悲惨な結婚生活だったし、だから夫と関わり合いになるのは断固として拒否したいところなのだけれど。


 とにかく、重要なのは。アンナリーザはエルフリーデよりも少しだけ見識が広くて、かつての夫や実家のやり口を分かっているということ、実家は彼女を全面的に守ってくれる構えだということだ。だから、フェルゼンラングの思惑を探るためにこんな場を設けてくれるし、彼女にも発言を許してくれる。


 兄のティボルトにそっと目配せしてから、アンナリーザはわざとらしいほど満面の笑みを浮かべた。


「私は女ですから、やはり女性の立場で考えますわね。お菓子や香水、ドレスや化粧品──東方や南方の風物も取り入れて、新しい流行をもたらすなんて、素敵ではありませんか?」

「可愛らしいお考えです」


 ディートハルトは、浅はかな考えだ、と思ったに違いない。浮ついた小娘に説教めいたことを漏らしてしまわないよう、口元が引き攣ったのがはっきりと見えた。考えていることが分かりやすいあたり、外交官としてはアルフレートよりも数段劣る。若いから仕方ないのだろうけれど。


「ですが、イスラズールは男性社会だと聞いています。女性の流行が、大陸こちらほどに大きな動きになるのかどうかは分かりませんね」

「まあ、そうなのですか……」


 しょんぼりと溜息を吐いた、その裏で、アンナリーザは心の中だけで会心の笑みを浮かべていた。老練な外交官とは言わずとも、彼女もなかなか演技力があるのではないだろうか。

 ディートハルトは、アンナリーザに、ひいてはマルディバルに、とても重大な手掛かりを与えてくれたのだ。


(マリアネラは、今は権力を握っていないのかしら。少なくとも、フェルゼンラングは相手にしていないと思って良さそう……?)


 レイナルドと同い年のマリアネラも、もう四十になっているはずだ。天使の美貌も衰えて、王の寵愛を失っているのか、それともいまだに夫婦のように寄り添っているのか。いずれにしても、アンナリーザエルフリーデが想像したいものではないけれど。


(どうせ、イスラズールとは密かに通じているのでしょう……?)


 それは、アンナリーザの考えというだけでなく、父や兄の同意も得られた見解だった。


 フェルゼンラングがいくら傲慢だろうと、他国の王をげ替える企みを、まったく根回しなしで強行するはずがない。現王であるレイナルドは当然あずかり知らぬこととしても、貴族──を名乗る農場主や鉱山の採掘者──の協力者を確保しているはず。マリアネラが工作や懐柔の対象に選ばれていないのだとしたら、少なくともあの女は社交界を築いて女王として君臨したりはしていなさそうだ。


 念押しとばかりに、アンナリーザは無邪気に首を傾げてみせた。


「前王妃様はフェルゼンラングの王女だったと伺ったものですから。イスラズールにも宮廷文化が芽生えているのではないかと思ったのですけれど……」


 フェルゼンラングが次のイスラズール王に据えようとしているのは、エルフリーデの息子のクラウディオではないのか、と。もう少しだけでも手がかりが欲しかったのだけれど。あいにく、ディートハルトは会ったことのない従弟に思いを馳せてはくれないようだった。


「亡き叔母も、かの地の野蛮さでは大層苦労なさったそうですから。女性たちも同様、茶会だの夜会だの開くどころではないでしょうね」


 イスラズールの野蛮さを、は身をもって知っている。わざわざ聞いたのは、変わっていないかどうかを確かめるためだけだった。でも、ディートハルトの訳知り顔は、無性に腹立たしい。彼がイスラズールについて知るとしたら、情報源は限られるから。わずかな書物や、アルフレートを始めとした外交官の手記や報告。それに──エルフリーデの手紙。夫の横暴や愛人マリアネラの専横を訴えて、執り成しを求めたものを、彼女は何通も祖国の肉親に送っていた。


(お父様もお兄様も、やっぱり手紙を読んだ上で無視していたのね)


 蘇った前世の諸々の苦々しさと、舌に残る甘さを同時に洗い流そうと、アンナリーザは今度はティーカップを手に取った。菓子に合わせて、茶器も金彩の鮮やかな南方のものにしている。色鮮やかな唐草模様でせめて気分を落ち着けながら、再び兄に目配せをする。彼女の出番は終わり、の合図だ。


「砂糖や香辛料ならば間違いのない商品なのでしょうが、まとまった量を急いで用意するとなるとかえって高くつく場合もありますから」


 アンナリーザが鹿発言をするのは予定のうちだった。ディートハルトの油断を誘うための。小娘にひと通り付き合った後で、もう少し話の分かった──と思われるであろう──兄が出れば、口が滑りやすくもなるだろう。


「なるほど。おろす先はもう決まってしまっているから、ということですね」

「ご明察です」


 大方の荷物はあらかじめあてがあって仕入れられるのは当たり前。それを横から攫おうとすれば、余分に金を積まなければいけないのも当たり前。笑顔で頷いたティボルトが、心の中ではやっと気付いたか、と呟いているのがアンナリーザにははっきりと聞こえた、気がした。


 形の良い顎に手をあてて、ディートハルトは考え込む素振りを見せた。彫刻めいた端整な顔立ちだから実に絵になる。エルフリーデの兄に、現フェルゼンラング王にそっくりだけど、果たして中身のほうは同じくらい油断できないのかどうか。


「……最低限の利益の保障がなければ、ということですね。ラクセンバッハ侯爵を通して祖国に打診してみましょう」


 ややあってディートハルトが口にしたのは、なかなか思い切ったことだった。いや、交易に乗り出そうというのなら、それこそ当たり前のことではあるのだけれど。フェルゼンラングは、もっとこう──高みの見物で、労せずして利益を得ようとしているものだと、アンナリーザたちは考えていた。


「フェルゼンラングが直接投資するのでしたら、心強く思う船主も出てくるでしょうね」

「何、大したことではありませんよ」


 驚きと困惑を滲ませたティボルトに、ディートハルトはなぜか得意げに胸を張った。


「イスラズールには私が直々に向かう予定ですから。仮にも王子を乗せる以上は、ちゃんとした船団を組まなければいけないでしょう?」

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