第4話 いったい何を考えてるの?
この二十年弱の間に、大陸とイスラズールを行き来する船はめっきり減ってしまった。航海技術は上がっているはずなのにも関わらず、だ。アンナリーザがこれまであの国の名を意識せずに生きてきたのも、こうなると当たり前のことだった。
イスラズールでの需要は、もちろん減っている訳ではない。それどころか増える一方のはずだ。なのに積み荷を満たした船がイスラズールを目指すことが稀になったのは──アンナリーザの前世、エルフリーデの祖国、フェルゼンラングの差し金らしい。
イスラズールとの交易は、商品の量も金額も厳しく制限するとの法を制定し、さらに条約によって同盟国にも足並みを揃えさせたのだ。
(大量の金の流入は大陸の経済に混乱を招くから、って……もっともらしいのかしら?)
その長い歴史を通して、フェルゼンラングは大陸の主要な国と絆を深めている。婚姻や交易や、それこそ条約によって。武力も財力も備えた大国が秩序を建前にして言い出したなら、多くの国が従うのも不思議ではない。
かくして、今のイスラズールは遥かな海の彼方に孤立している。手つかずの大地がまだまだあるから、民が飢えることはそうそうないだろうけれど、かの地では採れない作物もあるし、嗜好品や加工品の入手が限られるのは辛いだろうと思う。
「ええ……本当に欲しいのは、王妃ではなく大陸の商品と、それを売ってくれる相手なのでしょうね……」
だから、イスラズールはフェルゼンラングとの国交が薄いマルディバル港国に目を付けたのではないか、というのが両親や兄、臣下たちとアンナリーザの一致した見解だった。
(それならそうと、初めから言えばまだ良かったのだわ)
本心を隠したうえで擦り寄って利益を得ようとするなんて、結婚相手にしても取引相手にしても、不誠実にもほどがある。父が最初に漏らした通り、フェルゼンラングの不興を買えば、マルディバルも不利益を被るというのに。
油断がならない商売の世界だからこそ、調べればすぐに分かるていどの不実に対して、兄も父も不快の色を隠していない。アンナリーザも当たり前のことだと思う。
「新しい国だから外交や交易に慣れていないのでしょうね、きっと」
「野蛮な国だな。そんなところにお前を嫁にやるなんてぞっとする……!」
ティボルトが吐き捨てるのも、もっともなこと。妹を思って言ってくれるのは嬉しいし、化粧を崩さないようにそっと彼女の頬を
「でもね、お兄様。だからこそ、
エルフリーデの記憶を思い出すと、イスラズールとフェルゼンラングの抗争──なのかどうか──をよそ事として切り捨てるのは心苦しかった。
大陸から切り離されたあの国の中で、クラウディオはどう育っているのか。父親のレイナルドの気質を受け継いでしまってはいないかどうか。民は、どんな暮らしをしているのか。海を隔てていては、窺い知ることができないのだ。
それに──マルディバルの王女としてのアンナリーザとしても、惜しい、と思う。欺瞞だらけのイスラズールの使者の言葉だったけれど、あの国が豊かだというのだけは真実だ。金があって人もいるのに、商品がない市場。商人にとっても夢の国になり得るのに。
「何十年後の話だ? 我々の子供か孫の代で考えれば良い話じゃないか」
ティボルトにそう言われてしまうと、もう反論が見つからないのも事実だった。結んだ唇に紅を差してもらいながら、アンナリーザは心の中で地団太を踏む。
(
お兄様、はもちろん目の前の優しい兄ティボルトではない。エルフリーデの年の離れた兄、老齢の父に代わってフェルゼンラングの重い王冠を継いだフランツ・グスタフのことだ。
二十年あれば、イスラズールはもっと栄えることができたはずなのに。民の暮らしが豊かになるにつれて、交易ももっと活発になっていたはずなのに。子や孫の代のことだとティボルトが笑い飛ばした時代は、今、実現していてもおかしくなかったのに。
何も
(だから──やっぱり情報は必要なのよ。クラウディオの現状を知るにも、マルディバルが商機を得るにも……)
唇を尖らせたアンナリーザが口を開く前に、扉が開く音が遮った。
「まあ、アンナリーザもそろそろ外交の場に出ても良いだろう。国と国の付き合いを考えるようになったのも頼もしいことだ」
「お父様……!」
息子と娘が揃った姿を見て目を細めるのは、
「美しいな、アンナリーザ。縁談というなら、フェルゼンラングの貴公子と話があっても良いかもしれない」
「まあ、ご冗談を。ラクセンバッハ侯爵はお父様より年上の方なのでしょう?」
「お前の評判を広めてもらえたら、ということだ」
着飾った娘の姿は、父にはどうやら実際以上に良く見えているようだった。それに、兄にも。ティボルトも父王に礼をしてから、なぜか得意げに胸を張る。
「良い考えですね、父上。イスラズールの王妃より、フェルゼンラングの公爵夫人あたりのほうがずっと良い」
「お兄様。イスラズールにもフェルゼンラングにも失礼では……?」
不遜な物言いをアンナリーザが諫めても、ティボルトは肩を竦めただけで済ませた。
「表では言わないさ。内輪の話だ」
「もう、お兄様ったら」
(レイナルドほどではないけど嬉しくはない想像ね……)
かつての親戚や知人を舅や姑に迎えるのを思い浮かべてアンナリーザが顔を引き攣らせると、侍女が進み出た。
「アンナリーザ様、茶器はこちらでよろしいでしょうか。お召し物に合わせた青いものを、ということでしたが──」
銀の盆に載せられていたのは、青い釉薬の色合いが美しい磁器のティーカップだった。客人をもてなすのも王女の役目と、少々無理を言い張って用意してもらっていたものだった。
「ええ。これで良いわ。見つけてくれてありがとう」
「我が国の色でもございますものね。フェルゼンラングの大使様もきっとお気に召してくださいますでしょう」
恵みと富をもたらす海の深い碧は、マルディバルの象徴だ。王宮の装飾にもよく使われるから、誰も不審に思っていないようなのは幸いだった。
「ええ……そうだと、良いわね」
ティーカップの艶やかな表面を撫でながら、アンナリーザは微笑む。その裏で彼女が切に願うのは、誰にも言えないことだった。
(彼が、覚えていますように……!)
ラクセンバッハ侯爵アルフレート──フェルゼンラングの大使は、
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