億千万の魔物相手にたった一人で突撃する捨て兵として扱われてきた俺は、モノを大事にするタイプのクールお嬢様に拾われた。

@Makinosan

第1話

 斬った。ただ斬った。鮮血を浴びるのが日課だった。その血の持ち主……魔物なら周囲に億千万ほどいた。そして、俺はただ独り。


 そんな俺の装備はボロボロの革防具とナイフ二本。これを見れば誰でも分かる。


 俺は、ただの捨て兵だ。名はない。ただ、13番とだけ呼ばれている。


 時間を稼げれば上等、万が一情報の一つでも持ち帰ってくれば視界にくらいは入れてもらえるかもしれない。


 俺は所詮そういう身分だ。生まれつき、奴隷の血筋だった。両親の顔も知らなければ離乳食は腐った魔物の肉だった。


 その中でも身体能力がそこそこの者は、奴隷兵として戦場へ送られる。齢六つにしてナイフを握った俺は……ひたすらに生き残る術にだけは長けていた。


「はっ……遅えんだよ、ドン亀が」


 当然、口調は軍隊譲りの小汚いときた。生き延びたってロクな未来なんざありはしない。


 だけど、それでも斬った。任務の成功なんてどうでもいい。後から来る本隊が死のうが生きようがどうでもいい。


 支援の「し」の字もない状況でも俺だけは生き残った。かつてはそこに多くの仲間がいた。


 俺と同じような年齢の奴隷兵。だが、初戦の十三分さえ超えられない奴がほとんどだった。


 十三時間、十三日、十三ヶ月。その数字はことごとく俺達に死をもたらした。


 皮肉な事だ。その中でも13番とだけ呼ばれている俺だけが、十三年もこうして今も戦っているなんて。


 そんな様を見てか、死にゆく仲間達は俺に願った。


「体のどこか一部分だけでもいいから、平和な世界につれていって……」

「断末魔だけでもいい。お前の中に、俺の声を残していってくれ!」


 そんな約束、死んじまったら意味ねえだろ。馬鹿かよ。遺されるのは、ただ生き残った俺の肩に残る重みだけじゃねえか。


 ――『イラー』。このドッグタグ、渡しておくね。いつか、綺麗な海が見える場所に埋めて。


 ついに、俺と二人だけになった相棒はそんな願いだけを口にした。魔物に下半身を食われて、濁った瞳で、指が二つしか無くなった手で差し出されたそれを――受け取らないなんて野郎は、きっと人間じゃない。


「いっそ、死ねたら楽なのにな……クソが、重てえ役目背負わせやがって」


 それが、最後の一匹。魔物は殲滅?


 ご冗談を。魔物は世界のどこからでも、億千万と沸いてくる。ただ、俺の任務の目的地へたどり着いただけ。


 捨て兵の俺に本隊が通る道全ての魔物を殺すなんてできない。命じられているのは、最初からこの地の死守なのだ。


 ああ、分かりにくかっただろうか。要は、死ぬまでそこで戦ってろって話だ。『ソイツ』が確認できるまで。


「さあ、殺ろうか――」

 


 ◇


 カッポ、カッポと馬の蹄の音が幾重にも重なる。それは帝国本隊の行進の音。


 その中でも立派な赤い装束を身につけた隊長に、一人の兵士がおどおどと声をかけた。


「隊長、こんなペースで大丈夫なのでありましょうか……魔物の陰も見えない今こそ、全力で向かうべきでは?」

「ん、ああ……お前、この隊は初めてか。何、心配ない。魔物が現れた時に本気を出せばそれでいいのさ。それに、お前もまだ死にたくないだろう?」

「はっ、それはそうですが……?」


 隊長は汚らしく生やした茶色いヒゲをなでて、ぽつりと呟くように言った。


「俺達の歩く先にゃあ、死神憑きがいるのさ」

「し、しにがみっ……!? あの即死魔法の使い手ですか!?」


 それは、この戦場に住むと云われている悪魔の事。数年に一度降り立っては、魔物人類問わず十万は殺して行くと入隊式の日に誰もが聞く存在だ。


「普通の行軍なら、死神の存在にビクビクしながらするもんだ。先兵が確認し次第……つまり、謎の死を遂げたら即時交戦だ。だが、俺達の先兵はどうやらその死神を惹きつけるらしい。ソイツが通った後にゃ血肉と骨しか残らねえよ。どう考えても、死神を呼んでるだろ」

「そ、そんな危ない兵隊がいたのですね……しかし、それはそれほど腕の立つ兵というだけの事では……?」


 そんな新人の声に、今度は周囲からも声が漏れた。


「ばーか、そんな奴、隊に入れるわけねえだろ。ただの雑巾だっての。死神様が通った後を拭いて回るだけの道具だ。ま、便利っちゃ便利だけどな」

「俺達はソイツの死体を確認したら気を張るくれえでちょーどいーんだよ。魔物だけを殺してくれるなら死神だろうが何だろうが、どうでもいいだろ?」


 そんな声の中で、気の弱そうな新人は顔を落とし「そういうものでありますか……」と呟いた。


 彼に、隊長はただ一言。


「あの雑巾を見れば分かる。同情なぞするな。魂を持って行かれるぞ」


 ――そして、その言葉は真実だったと、彼は思い知る。


 目的地にたどり着くまで、馬で数時間。ただ一匹の生命さえ見当たらず、あまりに綺麗な死体ばかり。その果てには……山のように積もった赤黒い肉の山があった。


 魔物。全て、元は魔物だ。そして、彼はようやく怯えた声で声を漏らした。


 その理由は、そこに唯一立っていた、全身に薔薇のメッシュを被ったように血まみれなのに、平然と魔葉を吸う青年のあまりに冷たい目だった。


「ああ、本隊様の登場か……また、死に損なったな」


 声はあまりにいつも通りで、紫煙を纏わせる彼は、確かに兵隊とは言えなかった。甲冑の一つも着けず、たった一人。


「総員、傾注! この先に陣を張る。準備しろ。ああ……あと、そこの雑巾。いや、死神憑き。ちゃんと死神にお礼を言って帰れよ」

「ハッ。そりゃどーも……」


 そして、13番は帰って行く。真っ赤に染まった大地に、またただ一人で。その様は、まさに死神憑きであり雑巾だ。


 それが、帝国の進軍のいつもの光景。


 ◇


 そんな安定していたはずの帝国軍に、ここ十年で初めて乱れが生じた。


 魔物が、武装していた。それも棍棒や奪われた剣の類いではない。それはかつて滅びた旧文明と呼ばれる時代にあった、銃器だった。


 亜音速で鉛玉を毎秒二十五発打ち込まれては、帝国ご自慢の鎧も意味をなさなかった。それだけなら、まだ広範囲を焼き払う魔法使いが――という所で、今度はどこから撃たれたかも分からない何かが的確に魔法使い軍を撃ち抜いていった。


「総員、撤退、撤退!」


 もはや交戦なんてできやしない。こちらの剣はおろか弓さえ届かない距離から圧倒的な破壊で弾幕を張られるのだ。無理もない。


 だが、その瞬間。救いは現れた。銃器を乱射していた魔物達が、謎の光に包まれて次々と死んでいったのだ。それが意味する所は、戦場に立つ者誰もが知っている。


「し、死神を確認した! 総員、てったあああああい!!」

「クソッ、ボロ雑巾は死んだのか? 死ぬ時くらい役に立てやクソが!」


 そう、戦乱の中に現れ双方を壊滅させる死神が出たのだ。次々に上空から発射される即死魔法の乱射に魔物は狂い軍隊は混乱していた。


 ドクロの仮面を着けたそのローブ姿を目に焼き付ける――前に、死んでいく。


 もう、魔物に撃たれた者は三十を超え、即死魔法を受けた者は百に達していた。


「あ、ああ……!」


 そして、かつて新人だった彼もまた怯えたじろぐしかできなかった。当然だ。安全な道のりを歩いて陣を張るだけの作業だった行軍が、いきなり死神に襲われるなんて。


「ちっ……もういい、そこで死んでいろ! 動ける者で行くぞ!」


 隊長はあっさりと新人を見捨て、かろうじて残った兵をかき集め本軍は去って行った。


「……ここまで、かあ」


 指を鳴らすだけで百を殺す死神を目の当たりにしてしまえば、たかが数年の軍歴もない新人に取れる選択肢は諦めしかなかった。


 ――そのはず、だった。


「あんた。名前はなんていうんだい?」


 まだ若い、まるで平常時な声。その声を聞いたのは、いつの事だったか……。


「キミは……13番」


 そう、雑巾だ死神憑きと呼ばれていた13番はまだ生きていた。


「おかしいな、俺は名前を聞いただけなのに、どうしてそう怯える? 共に死ぬ奴の名くらい知っておいて損はないだろ?」

「ぼ、僕はミーシェ……き、キミは?」

「あんた、さっき言ったじゃないか。13番って。俺に名前なんかないよ」


 そして、彼は頭上の死神を見上げる。そして、紙の筒を取り出して火をつけ魔葉を吸い始める。その顔を見て、新人……ミーシェは歯が噛み合わないまま訪ねた。


「ど、どうしてそんなに嬉しそうにしているんですか……?」

「ハッ、だってあんた。やっと死ねるんだぜ? 謎の武器使い魔物集団に、死神……もういいだろ、俺も……十三年を超えたんだ、今度は百三十年戦うハメになるとこだった」


 それを聞いて、ミーシェは確信した。コイツは、自分の知っている誰よりも狂っていると。本当に自分の命が消える事に喜びを感じていて……もう、誰も彼は救えないと。

 

「嫌だ、僕には妹がまだ――」


 無情にも、即死魔法の照準……死神の指先がミーシェに向いた。そして。死の光。


「……そうか、そうだな。そりゃ。死ぬわけにゃいかねえよなあ……」


 その光は、ミーシェに届く前にバチン、と弾かれた。あり得ない、死神に出会って死なないなんて……。


「ミーシェ、早く逃げな。殿は俺の役目。やっともらった死に場所だ。奪ってくれるなよ」


 ミーシェを庇った13番は、そう言ってニカリと笑うのだった。


 ◇


 そして、ミーシェを見送って俺は煙を吐きながら呟いた。


「……とはいえ、どうしたもんかねえ……」


 さっきの光。即死魔法とやら……俺が弾いたわけじゃない。俺にそんな超常的な力はありはしない。


 そう、外したのだ。あの死神が。一体、どうして……?


 そんな事を考えていると、もう周囲に生命は居なくなっていた。あのうるっせえ音をまき散らす魔物達は裏に回った俺が大抵殺したはずだ。


 そう、これがいつもの光景……落ち着くな、やっぱり。


「……で、俺も何も果たせずみんなの元へ、か。これだから、約束は嫌いなんだ……」


 残るは、俺と上空から動かない死神。


 未来など決まっている。今度こそあの即死魔法で俺は死ぬのだろう。何一つ守れないまま、何の雪辱も果たせないまま、夢見ていた未来を掴む事もできないまま。


「……ふっ」


 その声は、俺のものじゃない。じゃあ誰が――と考える前に、真後ろからさらなる声が聞こえた。


「もう抗わんのか。無様だな、神の天敵よ」

「っ……死神!?」

「くっくっく……死神、か」


 ドクロの仮面の奥で笑う死神は言葉を続けた。


「貴様も、私から見れば同類だ……十数年、億千万の魔物を葬ってきた貴様を、死神以外の何と呼べば良い?」

「俺は……俺に、名前はない」

「そう、名のない者を死神は殺せない。魔物一匹一匹にも固有の名がある事を知っているか? だが、貴様にはそれすらない。だから、私は殺せなかった」


 なるほど、さっきの光が俺を避けたのはそういう理屈か……って、納得してる場合じゃないんだけどなあ。


「で、どうする?」

「……どう、って?」

「私に貴様は殺せん。役目も終わった事だしな……そして、もう飼い主は壊滅した後だ。さて、そんな犬はこれからどこへ行く?」


 ……もう、軍に戻る必要はない。出て行ける。この惨状だ。俺なんか報告書の隅っこにすら載らないだろう。


「殺して、くれないのか……?」


 あったのは、ただの絶望感。もう、いいだろう。もう、戦わなくていいだろう。もう、死んでもいいんじゃないのか……?


「貴様はよほど死に急いでるらしいが……私にはどうしようもない。そこらの魔物の前で座っていたらどうだ? 生きたまま食われる感触を味わうのも悪くない」


 だが、と死神は言葉を続ける。


「死神の私が言うのだ。貴様に死相は出ていない、と。ならば、外にでて生きてみたらどうかね?」


 外の世界へ、出て行ける。そこはもっと過酷な世界かもしれない。出て数分で野垂れ死ぬかもしれない。


 だけど、せめて……あいつらとの約束だけは、果たせそうだ。


「……一応、感謝しておくよ。死神さん」

「殺せるなら殺していた。死ねなかった不運を喜べ。そら、もう魔物が押し寄せてくるぞ」


 見れば、確かに遠くから黒い影が進軍してくるのが見えた。今更、あれに突っ込む必要もないか。


「外の世界……綺麗な、海」


 もう俺には、これしかないんだ。戦死した、人とも呼ばれなかった何者達との約束しか。


 そう思い、俺はただ走った。走るのは得意だ。血の海を何百十キロも走り続けてきた。


 ◇


 やがて俺は、やけに青く広い水溜まりが見える高台まで来た。とても泳いで渡れそうにはない。俺は、海に行かなければならないのに……。


 待てよ、海ってそもそもどこの事だ? 俺は魔物の出る戦地しか知らないぞ。


 腹も減ってきたけど……この草たちのどれが食えるんだ?


 魔物の肉しか食った事のない俺には、食い物の判別がつかない。やけくそ気味に外の世界へ出てきたけど……俺は一体、何をすればいいんだ?


「しかし、困った。腹は減るんだよなぁ」


 まあ、魔物の肉以上にマズい物はそうそうないだろう。そう思い、手近にあった緑の果実を手に取った。


 果物。初めて手にする高級品だ。しかも、天然モノ。まあ、死んだ時は死んだ時か……。


 ゴクリと鳴る喉に味わうなんて事はできない。一気にそれをかじりつくし飲み込んだ。


 その瞬間……俺の意識は暗闇に呑み込まれた。


 ◇


「まったく、お嬢様はまた拾いものをなされて……困ったものです」

「いいでしょ、別に。私の趣味なんですから。ちゃんと丁寧に使いますよ」


 遠くから、声がする。同時に、なんだか頭がくらくらしそうな甘い匂い。そして、どこか懐かしいものの香り。


 徐々に意識がはっきりしてくる。こんな悠長な目覚め、生まれて初めてかもしれない。


「ここは……っ!?」


 言う前に、俺は飛び起きてとっさに腰に手を伸ばした。だが、そこに愛用していたナイフはなかった。


 終わりだ。いよいよ俺は死ぬ。


「あら、起きましたか? すみませんが、武器は取り上げてあります。うふふっ、残念でしたね?」


 いやに澄み切った声の元をたどると……そこには、純白のドレスに身を包んだ少女がいた。 


「簡潔に申し上げましょう。私の名前はトゥトゥ・アルマイト。貴方は、私に拾われました。安心してください。私、こう見えてもモノは大事にするタイプなんです」


 そう言って、軽やかなステップで編まれた布を取り除くと、中にはボロボロの懐中時計を取り出した。


「この子の名前はアルセウス。旧文明の頃の遺物ですが……大事にすれば、まだ使えるんですよ。物価的な価値はゼロですが、私個人にとっては大切なものです」

「そりゃ、いいことだな……だけど、俺に生きてる価値なんかないぜ。俺を大事にするつもりなら……俺の幸せを考えるなら、もう殺してくれ」


「そんなわけにはいきません1 私が拾ったものは、みんな幸せにならないとだめなんです!」


 というわけで、と黒髪のお嬢様……トゥトゥは俺を指さし高らかに宣言していた。


「モノは長く一緒に居れば居るほど愛着と価値が付くんです。ですから、私が貴方に価値をつけてみせますよ」


 あくまで俺はモノ扱い。ただの気まぐれによる拾いもの。だけど……こんな真っ直ぐな瞳で俺を見てくれる人なんて居なかった。


 その人がそう言うなら、そうなるだろう。そう思わせるカリスマ性が彼女にはあった。


「貴方の名前は……そうですね、イラー。イラー・アルマイト。今日から貴方は、私のモノです」


 だから、救われた。もちろん、仲間との約束も大事だった。死にたくないという思いも強かった。


 だけど、何より……自分を、誰かに選んで欲しかった。生きる価値を、見いだしたかった。


 ただの13番でしかなかった俺に、名前をくれた。それが、どれだけ嬉しいことか。


 それを彼女は見つけてくれるという。なら、信じる以外の選択肢はない。


「ありがとう、トゥトゥ……俺は、今日からあんたのモノだ」


 こうして、俺の生きる道を見つける旅が始まったのだった。

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