第2話 クレーム対応

「抹茶の味がしなかったんだよ」


「……はい?」


 これは……どういうクレームだろう、と瞬時に脳をフル回転させる。


「だから! 紛らわしいっつってんの!」


 途端にお客様が大きな声を出すからびくんと肩が跳ねた。


「こちらの抹茶ケーキのことでしょうか……」


 ショーケースにあった抹茶ケーキを示して恐る恐る訊ねると「ちがう」と睨まれてしまった。う……怖い。シェフ怖い。いや、シェフじゃない。これはお客様。きっと凄い強面で、もっと身体も大きいのかも。そう思うとだんだんと本当にそう見えてくる気がした。


「そっちの、緑のやつだよ」


 示された方を見るとそこには黄緑色のムースのケーキ、〈ムース・ピスターシュ〉があった。


「こ、こちらは抹茶を使用したケーキではございません。ですので──」「は? なら出すのやめるかもっとわかりやすくして売れって。つかなんだよ、ピス? なに?」


 あなたが付けた名前です、とはもちろん誰も言えない。


「ピスターシュ、です」

「日本語で書けって!」


 被せ気味の応答。とにかく威圧的で、油断すると気圧されてしまいそうだった。


「お姉さんはさ、若いからわかるか知らねーけど、俺らみたいなおっさんにはわかんないわけ。そもそも横文字が多すぎんだろ。読みづれーの、不親切だろ」


「ケーキ店ですので……」

「日本だろここは!」

「ごもっともです」


 場合によってひとつの対応として、謝罪を繰り返してお客様が発散し切ってくれるのを待つ、というやり方もある。だけど、それじゃきっとこのテストは不合格だろう。



 ──クレーマーには下手したてに出ないってのが俺のポリシーなんで。



 小野寺くんがいつかそんなことを言っていた。それはつまり『謝る』ことだけがクレーム対応ではない、ということ。


 謝らずに、でも怒らせずに、乗り越えないといけない。どうすれば……。



「こちらのムースピスターシュのことですね」

「ああ、そう。そのムースなんたら。緑だろ、抹茶みてーに」

「はい。その通りですね。ピスターシュは緑色のナッツ、ピスタチオのことです」

「知らねーよ! わかりづれーっつってんだろうが!」


 怒声にびくつく身体をぐっと堪える。大丈夫。負けない。だって私は、ヴァンドゥーズだから。


「……そうですか。では……どのような名前でしたらわかりやすいと思われますか?」


「はあ?」


 反撃、開始。


「お客様のご意見を大切にしたいので」

「それはあんたらの仕事だろ!?」

「召し上がられたんですよね? お味はいかがでしたか? お口に合いませんでしたでしょうか」


 絶対に美味しかったはずです!


「……美味うまいか不味いかは関係ないだろーが」


 お客様の圧がいくらか減った気がした。

 ……いける。見えた。


「ピスタチオは最近注目されている食材なんです。この機会にぜひ名前だけでも知っていただきたいです」


 ここ。ここでにっこりあんみつスマイルをお送りします。もう怖くない。だから笑顔も引き攣らずにきっとうまくできる。


 お客様が、う、と困る様子が窺えた。笑顔は、使い所によっては怒りを増長することもあるけど、逆に鎮めることも出来る。同じ言葉でも、表情ひとつで伝わり方は格段に変わる。


 そして極めつけがこれ。


「本日は抹茶ケーキもございますので、よろしければぜひ食べ比べなさってみてください。お代は結構ですので。どうぞ、ほかのケーキも一緒にご覧下さい」


 笑顔のままでぺこりと頭を下げた。

 お客様を必ず満足させてみせます。それが私たちの仕事ですから。


「……いや、払うよ。……ったく、なんだよ」


 そう言うとお客様はズボンの後ろポケットを探るようにして俯いて、やがてはたと顔を上げた。


「あらら、財布がないや」


 降参とでも言うように手のひらを振りながら、べ、と茶目っ気たっぷりに舌を出すのは、いつものシェフだった。


「あんみつちゃん、合格。花丸の満点あげる」


 見守ってくれていた全員の肩の力が抜けるのを感じた。同時に私は全身の力が抜けて床にへたりこんでしまった。


「シェフ……凄すぎですよぅ」


 今更涙が込み上げた。シェフにこんな特技があったなんて聞いてない。


「いやほんと、今確かにそこにおっかないクレーマーがいたもんな」


 厨房から覗いていた那須さんも興奮気味にそう言った。


「よく泣かなかったねぇ……」

 タケコさんは同情の目を向けてくれている。


「伝説の名役者だったんだよ」


 ふふん、と得意げに笑った。そして「いや俺よりさ」と続ける。


「あんみつちゃんにびっくりだよ」


 ゆうこさんも「ほんとね」と頷く。


「私より上手かったかも」


 ふふ、と嬉しそうに笑ってくれた。


「一回も謝らなかったもんね」

「まず泣かなかったのが偉い」

「しかも悩殺笑顔だぜ。あそこでよく出せたよ」


 ぼ、と顔が熱くなるのを感じた。嬉しい。こんなにも褒めてもらえるなんて。


「今のお客、実在した人すか」

 小野寺くんがシェフに訊ねた。たしかに真実味がかなりあるお客様だった。


「ああうん。俺が修行してた店に来たひどい酔っ払いのクレーマー」


 シェフは軽くそう答えると「本物はもっとヤバい感じでねぇ。警察呼んだりして大騒ぎだったんだよねぇ」と笑った。


 いや、笑えませんよ。警察沙汰だなんて。


「いろんなお客様がいるからね。でもあんみつちゃんなら大丈夫そうだね」


「そう……ですか?」


 まだ自信満々とはいかない。


「自信もって、これからもがんばって」


 そう肩を叩いてくれた。



 そしてシェフは「さあ」と手を打つ。


「開店するよ!」


「「はい!」」




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