第3話 ありがとう
勝負の12月23日──。
公立小中学校がまだ冬休み前とあってお店自体は普段の平日に少しプラスした程度の忙しさで大したことはない。代わりにこの日は翌日のイブ分の仕込みを行う厨房の繁忙ピークとなる。
「
「今できます」
小野寺きょうだいを区別するため、シェフは小野寺くんのことを下の名前で呼ぶようになった。
「クオリティそのままでもうちょい早く上げれる?」
「はい」
今日お店に出す分のプチガトーが全てショーケースに出たら、あとはひたすらにデコレーションケーキのサンドとクリーム塗り。小野寺くんがサンドして、シェフがクリームを塗って絞りと飾りまで仕上げる。サンド用の苺をスライスしたり生クリームを泡立てたりするのは南美ちゃんの担当。
「苺のスライス揃ってないね。兼定から南美ちゃんに注意していいからね」
「……」
「ま、俺から言うからいいよ」
きょうだい仲は同じ場所で仕事をしだしても見ての通り険悪。シェフに気を使わせるとは何事か。私も南美ちゃんとは何度か話をしたけど、普通のかわいい女の子だった。スイーツ好きではあっても誰かさんみたいに度を超えたりしてないし、人当たりもよく話しやすい。早い話がお兄さんとは全然違った。
『兄は完璧主義だから。私みたいなのは許せないんだと思う』
私の方がひとつ年下となるけど、敬語やめよう、と提案されて距離はさらに縮まった。
いい機会だったのでなぜお兄さんと同じ職場にしたのか訊ねてみると、こんな答えが。
『うーん、たしかに気まずいかなとは思ったんだけど、それでも私も好きだったんだよね、このケーキ屋さんが』
〈好き〉がないと続かない仕事だからこそ、その点をなにより優先したんだそう。なるほど。
「ゆうこ。あんみつちゃん借りれる?」
夕方を過ぎてケーキもお客様の入りもほとんどなくなった頃にシェフからそんな申し出があった。
「ちょっと帰り遅くなっても大丈夫?」
「えっ……は、はい」
笑顔はいつも通りでもその目はすでに血走っていた。
それからは目の回るように時間が過ぎた。ケーキの飾り付けに苺のヘタ取りやゴミ集めまで。あらゆる雑務に追われて時計を確認する余裕すらもない。去年までもクリスマスは経験していたけど、アルバイトでしかも高校生だった私は販売の仕事だけ済ませてさっさと帰らされていたから。
ケーキ屋さんって、こんななんだ……!
今更そんなことを知って、嬉しいような恥ずかしいような、複雑な心境だった。
そんな目の回る中でも、悪い空気を放つ二人の存在は私にもびんびん感じられていた。
小野寺きょうだい……。
やはりというか、会話はほぼない。だけどフルーツカットや生クリーム立てという南美ちゃんの仕事は、それらを使ってケーキをサンドする小野寺くんの作業に直接影響するもの。だから本来ならこの二人はしっかりコミュニケーションをとって連携しないといけないはず。なのに。
小野寺くんのやり方といえば、少しでもなにか気に入らなければ、
「かして」
この三文字。それだけ。
どうやらこの
当然南美ちゃんはおもしろくない。こんな仕打ちを何度もやられては、どれだけいい子でもさすがにため息のひとつも出るでしょうに。
「悔しいならちゃんとやれば」
ああ、もう。最悪じゃん小野寺
「小野寺くん」
「は?」
む。私にまでそういう態度ですか。
「『ありがとう』……って、言ってみて」
「は?」
「言える?」
じ、と睨み合った。負けないよ。私、間違ってないもん。
「南美ちゃんに、言える?」
ぎゅ、と太ももの横で拳を握っていた。
「言って。思ってください。『ありがとう』って」
張り詰めた空気の中で「はは」と笑ったのは小野寺くん、ではなく、シェフでした。
私になにか言い返そうとしていた小野寺くんを制して、「あんみつちゃん」と私を呼んだ。
「いいね、それ。いい心がけだよ」
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