第4話 はじまる
そんなわけでその後はなにか受け取る際には「ありがとう」という言葉を必ず言うことが強制された。
はじめはかなり嫌そうだった小野寺くんも時が経つにつれてぎこちなさはなくなり、そしてそれに伴って場の空気は格段によくなった。
「あんみつパワーだねぇ」
そんなことを言われると恥ずかしくてたまらないです、シェフ。
「こういうとこさ。兼定があんみつちゃんに勝てないとこでしょ」
シェフの言葉に黙る小野寺くん。まさか私が小野寺くんに勝つ部分があるなんて思ってもみなかった。
「このお節介さと、場の空気に敏感なのがヴァンドゥーズには不可欠なんだよ」
そしてそんなことを言うから思わず「へ」と手を止めた。
「お節介……?」
「いい意味で」
ふふん。と笑われてなんだか複雑。するととなりで「ぷ」と噴く声がするから視線を刺した。「な、笑った!?」
「『いい意味で、お節介』……くはは」
小野寺くんが笑っている。過労ハイもあるんだろうけどこれはかなり珍しい光景でシェフも「はは」と嬉しそうにした。
「兼定には
訊ねられて「無理っすね」と即刻答える。な、なんだろう。褒められている気がしない。
「褒めてる褒めてる。ヴァンドゥーズに向いてるってこと」
シェフはそうフォローしたけど、本当かどうかは疑わしい。
それにしても小野寺くんが笑ったのをきっかけにして、なんだか急に空気が和んでとても驚いた。
「あー、つかれた」
「今何時?」
「あとどのくらい?」
「ちょっとトイレ」
などという本来あるべき会話も自然と増えはじめた。そして「あんみつちゃん」と声がかかった。
「上がっていいよ」
「え……でも」
「もう大丈夫でしょ。あの
って言えるほど早い時間じゃないけどね。と苦笑するシェフから壁の時計に視線を移して目を剥いた。
そうして翌日。
戦いの12月24日──。
遅くまでいたとはいえ結局は先に帰らされた私は、彼らとシェフが昨日何時まで働いていたのかを知らない。
いつもより早めに出勤したのに厨房にはすでにその顔が昨日のままあった。……え、昨日のまま!?
「え、シェフ帰りました? 昨日」
「細かいことは気にしなーい」
そう背中を押されて厨房から売り場へ追い出されてしまった。
「南美ちゃんは今日は午前は休みあげたから。まあ来るだろうけどねぇ」
「お、小野寺くんは」
訊ねると「ふふん」と笑った。「兼定、おもしろいよね。あいつほんとヘンタイで」
「ヘン……!?」
そういうシェフも徹夜ハイなのか妙なテンションでこちらは戸惑う。
「
一体なにがあったんだろう。
はー、涙出ちゃった。とまだ笑うシェフに苦笑いを返しながら、厨房の小野寺くんをちらりと覗いた。
無心……。というか新境地に達してる? もはやちょっと怖い。もちろんいつもの怖さとは違う意味で。
「全然寝てないんですか? 今のうちに二人とも少しでも休んでください」
「ああ大丈夫。俺らやりながら寝れるから」
「へ」
「今もあいつ寝てるよ、たぶん」
「な!?」
嘘か真かわからないらことを言ってくつくつ笑うと厨房へと戻っていった。言われてみればたしかに寝てる……? って人間にそんなことできるの? なんにせよ二人になんだか妙な絆が生まれているような気はした。
人の心配ばかりしてもいられない。なんせ今日はクリスマスイブ。ヴァンドゥーズの戦いの日なんだから。
改めて気合いを入れて、朝の準備にかかった。ほどなくしてゆうこさんが現れて、一緒に最終確認を行う。クリスマスソングのオルゴール調BGMが掛かれば、長い戦いのはじまりの合図。隅にある小さな鏡の前でサンタの帽子をきゅ、と被って気合いを入れた。
「では。がんばりましょう」
「はいっ!」
さあ、最も忙しい一日が始まる。
「メリークリスマス。ようこそいらっしゃいませ! 洋菓子店シャンティ・フレーズへ!」
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