猫にみたいなやつに餌付けをした。
にうびー
第1話
鷲尾 正親と猫宮 雪の関わりというのは、とても希薄で、触れただけでちぎれてしまいそうなぐらいに細いものだ。
会話という会話はゼロ。奇跡的に日直や学校行事で組まされることは無く、クラスも別。視線すら交わしたことが無いレベルで。
そんな二人だが、一度だけ線が交わる時があった。
事の発端は一年次の七月に起きたとあるクラスの喧嘩。
いや、喧嘩とも言えないような小さな言い争いが二人の男女の間で交わされていた。
いわく、「あっくんが知らない女と街を歩いてた!」だとか。
さらにいわく、「ちーが勘違いしただけで、あれは妹だ! それよりちーこそ他の男と図書室でイチャイチャしていた!」だとか。
これが家の個室だとか人気のない教室で行われていたのならまだしも、太陽燦燦輝く昼休みの時間に勃発したせいでクラス全体、ひいては他クラスも巻き込んで騒ぎ始めたのだから、もう大変。
そんな中、当時あみだくじのせいでクラス副委員長に任命されていた正親は、イライラし始めた五限目教科担当の教師から無謀な大役を告げられてしまった。
つまり、この場をおさめろ、と。
何故副委員長の自分が? と反論しようとしたが、そういえば委員長は季節外れのインフルエンザで休みだと思い出した。
正親は、委員長コノヤロウと口から絶望の欠片を口から零しながら、いやいや、本当にいやいやながら教卓の上に立った。
「えー、次の授業が始まるんでー」
明らかにやる気のない声。
「そろそろ他クラスの人は教室に戻ってー」
ドアの前に立つ通称関ティー(関 円香。二八歳独身。日本史担当)からの殺気すら籠り始めた視線を横目に感じながら。
「あっ、こりゃダメだわ」
普通に諦めた。
こんなの無理だろと即座に見切りを付け、般若になりかけの関ティーに向かって、
(俺頑張ったんで、これ以上無理っす。先生何とかして下さい)
と視線を向けた。
関ティーも呆れ半分、怒り半分で大きな声をあげようと勢いよく息を吸った時。
「うるさ.......」
正親よりも小さな声。
されどその声は教室内にいる全員の耳に届き、そちらに意識を引き付けた。
一片のノイズ無く、澄んだ清水のような声の主は、関ティーの後ろ。
ぬるりと姿を現したのは、まるで人形みたいに綺麗で、小さな少女。
太陽を嫌うかのような白い肌に、日光に煌めくブルーアッシュのショートヘア。華奢な手足と大きさが合わないブラウスに、なで肩なせいでずり落ちそうなサマーセーター。薄ピンクの唇はへの字に曲げられており、長く反り返った睫毛と不機嫌そうに眉目を顰めさせ、けれどその美しさは全く損なわれていない。
交友関係が極々狭い正親でも、雪のことは知っていた。
見たことは無いが、その美貌と優秀さは常にどこかで噂され、小耳に挟んだことがあったから。
そんな雪の登場に、この空間だけ凍結されたかのように時が止まっていた。
そして時を動かすのもまた雪だった。
「関先生。これ、課題です」
「あ、あぁ。分かった」
まず初めに溶けだしたのは関ティー。
その後ゆっくりと教室全体が動きだし、結局あっくんとちーの痴話喧嘩はなぁなぁで終結した。
今起こった全てに脳のCPUを稼働させていた正親は教卓の上で放心状態のまま、自分の教室へ帰ろうとする雪を見つめていた。
ここで雪がそのまま帰っていれば、正親のいつも通りは保たれ、何の面白味もない平凡な学生生活を過ごすことができただろう。
しかし、現実はそうならなかった。
そう、雪がさせてくれなかった。
「ダサっ.......」
雪が正親に背を向けた、その瞬間。
教室に来た時よりももっと小さな声で。
ただ一言、何の興味も感情も込めず、事実を述べた。
正親の心に大きな楔を残して。
☆
余談になるが、あっくんとちーが起こした大論争の結末は、あっくんは妹と買い物に出かけていただけ。ちーは図書委員に借りた本を返していただけという。
その事実を友人から教えてもらった正親は、家で静かに台パンした。
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